あなたの好きな人になりたい

稲井田そう

第1話


「ねぇきーくん。ボク、きーくんと一緒に行きたいところがあるんだぁ!」


 そう言ってボクは世界で一番好きな人こと、きーくんの武骨な手に自分の指を絡めた。彼は身長がすっごく高くて、自販機と同じくらいの身長だ。身体はがっしりとした筋肉に覆われていて、見ているだけで抱きしめてもらいたくなる。


「どこに行きたいんだ?」


 そして、何といってもボクが好きなのはこの優しい目だ。身体はどこもかしこも丈夫で逞しいのに、僕を見下ろす目はいつだって優しくて甘い。この瞳に、ボクだけ映ってたい。好きで好きで仕方ない。今すぐ、ぎゅってしてもらいたい。


 だから今日ボクは、きーくんを殺す。



 世界で一番好きな人の為に、世界で一番可愛くて綺麗な女の子になる。


 そう決めて毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日頑張った。


 丁寧に洗顔をして、クレンジングをして、お風呂から出たら化粧水をつけて美容液をつけて乳液をつけて。身体だってスキンケアローションを塗って、いい匂いのするボディクリームで保湿した。


 ふわふわもちもちの、無敵の女の子肌になるように。髪の毛だって、シャンプーもコンディショナーもこだわったものを使って、二日に一回パックをしてヘアオイルで艶々になるように入念に手入れをした。


 服装だって、男の子が好きそうな服を研究した。小物から何から全部、きーくんの心に刺さるように。


 きーくんが好きだったから。


 きーくんが欲しかったから。



 きーくんと出会ったのは、二年前。ボクが中学二年生の頃だ。


 中性的な外見故に虐められていたところを、ランニングをしていた彼が通りかかり助けてくれたのがきっかけだ。


 それからいつも使っている通学路と、彼の放課後ランニングコースが一緒だった事もあって、夕方は公園のベンチに座って一緒に話すことが日課になった。


 話をするうちに、きーくんの名前が神宮季績じんぐうきせきという名前で、近くの中学に通っている三年生ということや、筋トレが趣味だということを知った。彼は不器用なところがあるというか、俗っぽくない、むしろ武士っぽい人だった。話を聞く限り友達は少なく、でも女の子に人気はあって、男子にも頼りにされている、そんな人だ。


 でも、仲良くなるにつれボクはきーくんと会うことが怖くなってきた。何故なら出会った時、ボクは体育祭当日で、足が遅くビリだったことで責められ、公園で女子トイレに入れと虐められているところだったから体操服を着ていたからだ。


 虐めっ子とボクの詳しいやり取りを知らないきーくんは、多分ボクのことを女の子だと思っている。だからか、彼はもしかしたらボクを好きかもしれないと思うことが時々あった。それは笑いかけてくる瞳だったり、かけてくる声の優しさだったり。少しずつ期待する度に、彼を騙している気持ちになって、どうしていいか分からなくなった。


 そんな矢先に、きーくんの引っ越しが決まってしまった。彼は隣の県の高校へ進学することになったのだ。毎日公園で会うことも出来なくなってしまったボクは、開き直って彼を一生騙し続けようと決めた。彼に愛されるために、好きでいて貰うために。離れている間ボロが出ないよう連絡を最低限に抑えて会わないようにして、世界で一番可愛い女の子になろうと頑張って来た。


 そしてきーくんと同じ高校に合格して、一年ぶりの再会を果たす日が決まった。ボクは少し声変わりをしたけど、声は高いままだった。制服でバレる可能性もあるけど、ボクと彼の通う高校は自由な校風で、男女関係なく好きな制服を選べる。


 きーくんと会うのが楽しみで、毎日毎日カレンダーを黒く塗りつぶしていた。待ち合わせの日が待ちきれなくて、一週間前。ボクは隠れて彼の高校まで会いに行った。


 物陰から少しだけ様子を盗み見て帰ろうと、高校の下校時刻に合わせて校門の前で待ち伏せをした。


 するときーくんは、知らない女と一緒に校門から出て来たのだ。仲が良さそうに距離を近くして。肩と肩が触れ合いそうなくらいの距離で並んで歩いていた。


 知らない女はアイドルみたいな美少女で、神様が作ったみたいな女の子だった。きーくんはジャージ姿だったけど、まるで御伽噺に出てくる王子様とお姫様みたいだった。



「ボク、ずっとここに来たかったんだ」

「そうか。涼しい場所だな」


 そうして再会当日、きーくんを連れ出したのは廃工場だ。今日は本当はご飯とか食べたり、タピオカ飲んだりしたかったけど計画変更。彼をボクのものにしなくちゃいけない。最期に、あの女について聞きださないと。


「あの、さ、この間一緒に帰っていた女の子、誰?」


 きーくんが、他の誰かのもの。そう考えただけで吐き気がする。というか朝四回吐いた。彼がボクの傍から離れていく。彼の未来にボクはいない。そう思うたびに、あの女を引きずり回してやりたくなる。


 けれどあの女をきーくんと同じ場所になんて連れて行ってやらない。あいつはずっと生きてればいいよ。ボクが彼と死ぬんだから。でも、この結末を当然なのかなと思う自分もいる。だってボクは彼を一年放ったらかしていた。知らない間に女が寄って、きーくんをかすめ取っていっても仕方ないのかもしれない。


 ボクが女の子じゃなかったから。ボクが嘘をついたから。何が悪かったのか考えていくと、全部悪かった気さえしてくる。ああ、きーくんが女の子だったら良かったのかな。そうしたら、無理矢理ボクのものに出来たのに。


 でも、そんな妄想してる意味なんてない。どうせすぐきーくんは死ぬしボクは後を追う。これからはずっと、一緒だ。




「ボク、ずっとここに来たかったんだ」


 後輩の光にぜひ行きたいと言われ、彼はかわいいものが好きだから「たぴおか」とかそういう「しょっぷ」とやらに行くと覚悟してついて行けば、たどり着いたのは廃工場だった。


 三月にも関わらず記録的な暑さにより七月同然の暑さだとテレビで言っていたが、もの寂しい空気もあってか風が冷たく感じ、とても涼しく過ごしやすい。


「そうか。涼しい場所だな」


 私は頷きながら、ちらりと光の様子をうかがう。彼は弧を描く向日葵色の髪を揺らし、真っ白なカチューシャを髪につけている。装いは私が一周回っても似合わないだろう「ぱすてるからー」という色の服だ。たしか「わんぴーす」とか言う、上と下の服が一体になっているものを、いま彼は纏っている。


 本日、大安吉日であり国民的な休日の今日、何が起きたかはよく分からないが、一年ぶりに会った私の初恋の男児……根淵光ねぶちあかりが、世界で一番可愛い女人と錯覚するような装いになっていた。


 正直、めちゃくちゃに驚いている。


 元より光は、可愛さも美しさもかっこよさも、全てを兼ね備えた容姿をしていた。一方私は女子にしては背が高く目つきも悪い。髪の毛も今は長いが、光と出会った当初は乾かすのが面倒と言う理由でかなり短く断髪していた。


 僧侶の父、人々の肉体改造を指南する鍛錬所、じむのいんすとらくたーである母の影響で、私自身、身体と精神を鍛え上げることを好み、筋力を向上させる鍛錬に日夜励んでいる。可愛いとはかけ離れ、人に恐れられる私に唯一近づいてきた存在が光だった。それから一緒に公園で話をするにつれ、素直な感情表現や芯のある考え方、はっきりとした物言いに惹かれた。


 そして光は私に犬のように懐いており、もしかしたら私と同じでお互い強い気持ちを抱いているのかも、なんて自惚れたことは何度もある。 


 しかし私はこれといって女人の可愛らしさ、麗しさを持ち合わせてはいない。それでいて鍛錬を辞めれば身体つきはいくらか変わるはずなのに、生きがいである鍛錬を辞めることが出来なかった。


 にもかかわらず、正直なところ期待をしていなかったと言えば嘘になる。光が私と同じ高校を受験し合格したという報せを受けたとき、私の心は間違いなく浮かれた。


 もしかしたら、光は私を少なからず好いており、私を追って同じ高校に入学してくれたのではないかと。


 しかし、そんな甘い夢の城は、光の装いによって崩れ去った。落城だ。何故なら光が、女人の装いをしている。苺と牛の乳、卵から作り上げられる甘味、しょーとけーきを魔法で人型にしたような姿に変貌している。


 もし光が女人の装いを好んでいるだけなら、まだ望みはある。でも心も女人、そして性的対象が男児だった場合私の初恋は終わるだろう。何故ならば私は正真正銘の女人である。


 私は男児ではない。男児を好むものに女人を愛せよとは全くもって無茶な話だ。


 だが彼の性的対象が女人だった場合、勝機は残されているかもしれない。しかし所詮それは泡沫の夢だ。私の期待でしかないものである。


 男児も女人も対象の場合もあり勝機の分はあるように思えなくも無いが、同じようにどちらも対象ではない可能性もある。


 こうなると私に残った道は一つしかない。下手に勝負に出ず光が幸福になるのを傍で見届けることだけだ。


 これから先、徐々に彼への恋心を治めていき、婚姻の式で愛する者と愛を誓う姿を見守り、その夜引き出物のバームクウヘンを涙で濡らしながら貪り、この恋心の終幕を飾ろうじゃないか。


「あの、さ、この間一緒に帰っていた女の子、誰?」

「この間……?」


 光がいじらしく俯きながら問いかけてくる。


 しかしあいにく思い当たる節が無い。私に女人の友は少ない。応援や称賛してくれる者たちは数多くいるが、友になろうとすると途端に「恐れ多い」と拒絶されてしまう。


 男児らは男児らで「姉貴」「姉御」と私を称し、隙あらば弟子になろうとする。悲しいことに私には共に帰宅をするような友情を育んだ存在が極めて少ないのだ。


「先週、すっごく可愛い女の子と帰ってたよね……」

「……あ。ああ、菊島のことか?」

「その人が、きーくんの彼女なの?」

「いや、菊島とはそういう関係ではないし、菊島は相思相愛の恋人がいる」


 菊島は私の数少ない友人だ。彼女は初恋を実らせ、毎日毎日想い人と仲睦まじく暮らしている。この間も爛漫とした笑みを浮かべ恋人である藤角の手を握っていた。藤角は時折周囲の男児に対し氷のような目を向けているが、恋人が注目を集める性質故、牽制をしているのだろう。自然の摂理だ。


「そう、なんだ。じゃあ、きーくんは二股をかけられていたってこと?」

「……どういう意味だ?」

「だって菊島って人と、あんなに仲良さそうにして、菊島って人、きーくんのこと好きなんじゃないかな」

「それはないな。菊島は藤角のことを心から愛している。何せ、汗をかいた後の体育着の匂いすら愛おしいと言うのだから」


 菊島は、体育が終わった後、藤角のジャージを愛おしそうに畳み、左右を確認して、思い切り匂いを嗅いでいた。汗の匂いは不快なものだ。愛の前ではその臭気すらかけがえのないものに感じるのだろう。


「……え、じゃあきーくんは弄ばれてるの?」

「……? さっきから光は何の話をしてるんだ?菊島は私のことを性的に好んでいないし、私も菊島のことはそういった目で見ていないが?」

「え、え、じゃあ、ボクの勘違い……? あれ、でも……」


 光はどうやら混乱しているようだ。私が菊島と歩く様子を見て、何故私が菊島に想いがあるのだと勘違いしたのだろう。早とちりにもほどがある。菊島が藤角にするように指を絡ませ、あわよくばシャツの袖の香りを嗅いでいたわけでもないのに。


「菊島とは、想いを温め合う関係では無い。共に更衣室へ連れ添ったり、体育で組む私の数少ない友人だ」

「更衣室って!? どういうこと!? 体育で組むってなに?」

「さすがに私の身長と体格が女人とは離れているとはいえ、女人は女人だ。男児の中には混ざれんよ」

「は?」


 私の言葉に光は大きく口を開けた。それでもぱっと手を口元にあてるのだから、とても行儀がいい。きちんと気遣って生活しているのだろうと思う。私も普段から所作には気を付けないと。


「えっ、えっ、きーくん女の子だったの?」

「? ああ」

「え、え、えー、え!」


 光は私のことを、男だと認識していたのか。基本私を初見で女であると判断する者の方が少ないが、光もそうだったと思うと心に深くくるものがある。


「え、じゃあボク、女の子になる必要もなくて、あれ、じゃあきーくんはきーちゃんで、ボクが無理やり自分のものにしようとすれば、出来ちゃうってこと……?」

「いや、別に私はお前が男だろうが女だろうが構わないぞ」

「わ、わ、どうしよう、そうなんだ。え、えー、どうしよう!」

「……? もしやお前は私が男児だと考え、女人の装いをしていたのか」

「う、うん! そう!」


 頬を赤らめ目を潤ませて頷く光。なるほど、となると光は私が男児で私が女人を性的対象に見ているから女人の装いをしたということか。


 私が男児とて恋愛の対象が女人とは限らんが、まあ視野狭窄に陥ったと考えれば無理も無い。恋は人を狂わせるというもの。


 ん……? 恋?


「待て光。何故頬を赤らめ目を潤ませる。その反応はまるで……、いや、あのな光、一つ、いや二つ聞きたいんだが、私と同じ学校に進学したのは、私を追って、か?」

「そう、そうだよ!」


 おっと。これは。おっとじゃないか。


「お前は女人、男児どちらが好きなんだ」

「きーくん、いやきーちゃんが好き。男の子でも女の子でも、どっちでも好き。あの女と何も無いなら、どっちでももう関係ないよ。女の子なら無理矢理ボクのに出来るけど、男の子だってボクだけしか見られないようにして、ボクだけしか分かんないようにすればいいんだもんね」

「あ、ああ」


 光が昏く笑っているが、言っている意味がいまいち分からん。ただ一つだけ確かなのは、光が何もせずとも私は光しか見てないことだ。


「えっと、私は光を好きなのだが、こんな私でもいいのか、光は」

「うん! 大好き! 好きだよ! 嬉しい!」


 飛びついてくる光をしっかりと抱き留める。勢いあまって姫抱きにしてしまった。


 ん? こういう時、飛びついて来た彼氏をしっかり受け止める彼女はどうなのだろうか。いやしかし、光は大好きと言うのだし。体育着を嗅ぐことが愛情表現の「かっぷる」もいるのだ。こういうのだって悪くないだろう。


「私は、鍛錬を欠かさないし、ふわふわもしてなければ桃色も似合わないがいいのか」

「何でもいいよ! 好きにして! むしろボクを好きにして! そしてきーちゃんをボクの好きにさせて! 一生! 永遠に好き! 愛してる!」

「そうか……ふふ」


 コアラのように抱き着いてくる光を支える。


 いつも鍛錬の為に土嚢や瓦を抱えているから、光の重さなんて羽のようなものだ。しかし愛しているものの重みはやはり違う。身体や筋肉だけではなく心も温まる。


「……いいな、恋なるものは」

「うん!」

「とりあえず、場所を移そう。ここは冷えてしまうだろう」

「ボクきーちゃん家行きたい! 挨拶する! あれ、でもこの格好どうしよう……」

「好きにすればいい。その格好で行きたいなら行けばいいし、別の装いがしたいなら、店に行こう」

「分かった! あっじゃあ和菓子屋さんに行かなきゃ! お土産買う! 初めにきちんと外堀埋めないといけないから」

「そうか」


 外堀、まぁきちんと挨拶したいということだろうな。


 私は光を抱え、ときめきを覚えながら廃工場を後にしたのだった。

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