3.過ちを裁かれた悪の末路

 あのかくりのせいで、この街が脅威に晒されていた……? どういうことだろう。そういえばさっきも、この街の外からこの街を見てみろと彼は言っていた。わたしの知らない何かが、わたしに知らされていない何かがあるということなのだろうか。その問いに肯定するかのように、彼は小さく鼻を鳴らした。


「その様子じゃあ、次期当主である娘にも伝えていないんだな。よほど大事な娘なんだろうなぁ。そのけがれた宿命から目を背けたままでいさせるつもりだったのか? 優しいお父様よぉ」


「黙れ――ッ! ……いずれは話すつもりだったさ。郁夜かぐやが正式に当主を継いだなら、その時は」


 わたしは少しでも父様のことを信じていたかったのに、父様はあっさりと、わたしに隠し事をしていたのだと認めた。


「父様、教えてよ! わたし、知らないままでいるなんて嫌だよ。あの幽は何だったの? この街の脅威って何?」


 わたしの詰問きつもんに、父様は観念したように深く息を吐く。そしてお母さん以外の者は家の中に戻るように指示して、話をしてくれた。


「あれは志岐しき家の四代目当主の弟の幽だ。志岐家は十代以上もの間、あの幽を祓わずに封印し、ずっとかくまってきた。あの幽が放つ強い霊気に呼び寄せられ、周囲の幽が集まってくるからだ。そうすることで、散り散りになっている幽の被害をこの街に集約させ、我々志岐家が一網打尽にする構想だった」


「物は言い様だな。お前たちのせいで、この街の住人は遭わなくていい被害に遭った。一網打尽にする? これまでに防げなかった被害がどれほどあると思う? 大量の雑魚狩りをして名を上げた志岐家だけがいい思いをしたんじゃないのか?」


 男の言葉に父様は唇を噛みしめるばかりで何も反論しない。


 確かに、二人の意見は言い方の加減の差で、事実は同じように思える。だからどちらも事実であることに変わりはないのだろう。志岐家のやり方はメリットもあったが、デメリットもあったのは認めるしかない。


「……それで、お前は何がしたい? 娘の前でこんなことを暴露させるためだけに、あれの封印を解いたわけじゃなかろうな?」


 父様の問いに、男は近くにあった庭園の石に腰かけて、軽い調子で返す。


「俺は交渉に来たのさ。志岐家の処遇についてな」


「交渉? お前と私の間に交渉できる余地などあるものか」


 対等に話を進めようとする男を、父様は鼻で笑った。


 彼が何者なのかはわからないが、父様は志岐家の当主。彼も祓霊師ふつれいしであれば志岐家がどういう存在か知らないわけでもあるまい。彼個人が到底交渉できるような相手ではないと、彼ほどの実力者が理解できていないわけもない。それともこの交渉には、何か裏があるのだろうか。

 父様もそれに気付いているのか、鼻で笑いながらもどこか落ち着かない様子だった。


「そう言うな。こんな大それたものを隠していた志岐家のことを、祓霊師連盟に報告してはどうだろうと思ってな。まあそれが、本来あるべき形だろう?」


 痛いところを突いてきた。しかしこれには、父様は表情を変えることなく間髪入れずに返す。表情に出してしまうわたしは、こういうところがまだまだ当主として未熟だと思わされる。


「この志岐家を相手に、お前のような若造の言うことを連中が鵜呑みにすると思うか?」


「俺の発言なら、そうだろうな。だが、“真庭まにわ信元しんげん”の言葉ならどうだ?」


「“真庭信元”だと……?!」


 流石の父様も、“真庭信元”の名を出されては動揺を隠せないようだった。


 真庭信元――わたしも聞いたことがある。圧倒的、伝説的な実力を持った祓霊師で、霊能者界隈でその名を知らぬ者はいないとされるほどの人物。あまりにも突飛とっぴな噂話ばかり聞くものだから、実在するのだろうかと思っていたが、二人の様子からすると、現存する人なのだろう。


「俺は真庭信元の弟子だ。そもそも、俺が何故あの幽の存在を知っていたか、少し考えればわかるだろう」


 あの幽を一瞬で祓った実力は、確かに真庭信元の弟子で偽りはないのだと思わせる。いや、そもそもあれを祓ってみせたこと自体、そのことを信じさせるための演出に過ぎなかったのかもしれないとすら思う。


「……何が望みだ? 交渉しに来たんだろう?」


「やっとその気になったか」


 折れたようにうなれる父様に、男はにやりとした笑みを投げかけた。


「俺が交渉したいのは二つ。さっき俺がはらったかくり祓霊ふつれい報酬と、志岐しき家四代目当主の幽を隠し、この豊瀬とよせ市を脅かしていたことの口止め料だ」


 わたしが余計なことを言わなければ、この男の交渉材料は一つだった。わたしのせいで、家に迷惑をかける結果になってしまった。

 しかしそれすらも計算づくで、最初から彼は二つの交渉をしようとしていたのなら、わたしは完全に彼の手のひらで踊らされてしまったというわけか。なんという屈辱だろう。


「まあ信元しんげん様にも報告はするが、連盟へは言わないように俺から伝えておく。万が一どこかから情報が漏れたとしても、連盟が事実確認をしようとしたところでその幽はこうしていなくなってしまったことだし、信元様がそのような事実はなかったと連中に言えば、それ以上深く追及はしてこないさ」


「……して、対価として望むものは何だ? 勿体もったいぶらずに早く本題に入れ」


 なかなか肝心の要求を言わない男に、父様はれたように結論を急がせた。


「一つは志岐家に伝わる妖刀・空蝉丸うつせみまる。そしてもう一つは、志岐家の最高傑作・志岐郁夜かぐやだ」


 それを聞いて、一同は凍り付く。


 一体どういうつもりだろう。要求されたのは、わたし……? 応えにくい要求を後に持ってくることで、先の要求へのハードルを下げようとする交渉術の一種なのだろうか。確かに空蝉丸も、志岐家にとっては簡単に譲れるような代物ではないとは言え……。


「対価に郁夜を要求するとは、何を思ってのことだ? 跡継ぎを失くして志岐家を滅亡させるのが目的か? それとも娘を殺せとでも言うのか?」


「跡継ぎには長男がいるだろう。そうでなくとも、まだどうにかなるんじゃないか? まぁ、優秀な・・・跡継ぎを失うという意味では、間違いはないだろうが」


 そう、わたしには弟がいる。わたしが跡を継げなくなっても、志岐家が滅亡することはない。父様はこの男がどこまで何を知っているのか試しながら、どうにかこちらの優位に持ち込めないかと探っているのだろう。


「それに殺すつもりもない。志岐郁夜はこの俺、天宮あまみやけいの嫁にもらう。そして天宮郁夜となった暁には、彼女は志岐家との一切の関わりを断ってもらう。これが呑めないのであれば、連盟に報告するだけだ。……さあ、どうする?」


 父様は何も答えない。悩んでいるのだ。無理もない。父様にとってわたしは大切な娘に違いない。だけど、それと家という大きな組織を天秤に掛けるのは酷というものだ。


 志岐家という組織には、家族だけでなく、多くの者が関わっている。もし志岐家がついえることがあれば、彼らの行く先も考えなければならない。

 本来なら、娘っ子たった一人と、大勢の人の生活が天秤で釣り合うわけがないのだ。でもその娘っ子が自分の娘だから、価値の判断がおかしくなっているだけだ。当主としての結論は、もう迷いなく出ているはず。あとは父親としての結論を出すだけのはずなのだ。

 それが、志岐家の当主たる者が下す決断で、次期当主たるわたしが受け入れる運命だ。納得はしていない。けれど、逆らえるはずもない。


「バカなことをお考えになるのはおよしください! 郁夜を渡すなんてこと、できるはずがありません!」


 迷っている父様に、ずっと口を開かなかったお母さんがついに、すがるように声を上げた。

 お母さんはうちにお嫁に来ている人だけど、当然望んで父様と結婚したはずだ。自分の娘に不幸な結婚をさせたくないというのは、母親として当然なのだろう。


「……すまない、月子つきこ、郁夜。恨むなら私を恨んでくれ。どうしても、家を切り捨てることはできないんだ」


「正気ですか、正夜せいやさん……! あなた、自分の娘をわが身可愛さに売ろうって仰るのですか!」


 非情な決断をした父様に、お母さんが掴みかからん勢いで詰め寄る。お母さんだって、父様の決断は仕方がないことだってわかってはいるはず。ただ、それを受け入れられるかどうかは別の話だ。

 どちらも悲しい顔で睨み合うのが悲しくて、わたしは思わず二人の間に割って入ろうと声を飛ばした。


「いいよ、お母さん。父様だって簡単に下せた決断じゃないのは、わたしもわかるから……」


「本当にすまない、郁夜……」


 そんなことを言い合いながら、父様もお母さんも、二人して泣き崩れた。

 しかしそこへ、この光景を生んだ元凶が、冷ややかな声を投げかける。


「それで、答えは出たのか?」


「……いいだろう。条件を呑む。空蝉丸と志岐郁夜を、お前に譲ろう」


「交渉成立だ」


 父様の苦虫を噛み潰したような表情を、天宮景はにやりとしながら見下ろしていた。


「後日、誓約書に調印しに再び来てほしい。その時に、要求されたものを引き渡す」


「そうだな……では期日は一週間後だ。当然、その時に志岐郁夜も引き渡してもらうからな。調印後はうちで生活してもらう」


「……わかった。それまでに支度をさせておこう」


 わたしに確認も取らずに、父様は勝手に彼の要求を呑んでしまった。わたしに残されたこの家で過ごす時間は、たったの一週間。あまりにも短いリミットだった。


 目的を果たした天宮景は、最後にわたしの方へやってきて、そっとわたしの頬に触れる。しかしほとんど反射的に、わたしはそれを払いけた。


「そう怖い顔をするな。そんなに嫌か?」


 そんなこと、言われないとわからないのだろうか。


「……本心では、そうよ。当然でしょ。でも、仕方ないことだってわかってるから」


「そうかい。それは残念だな。気が変わってくれることを、ぜひとも祈ってるよ」


 それだけ言い残し、彼は闇に溶けるようにして姿を消した。残されたわたしたち家族は、揃って呆然と膝から崩れ落ちた。



 この日、わたしの人生は確かに大きく変わった。それは予見した通りで、これ以上ないくらいの劇的な変化だった。でもその変化は、必ずしも望んだ形で訪れるわけじゃない。

 そんなこと当然わかってはいたが、物語とは違うのだ。わたしは主人公でもヒロインでもない。今日のわたしは、どちらかと言えば悪役だったのだろう。あの男を正しいと表現するのは気が進まないが、あやまちを裁かれた悪の末路が、まさしく今のわたしだ。


 呆然と天を仰げば、眩しいくらい白々とした光が降り注いでくる。こんな日に限ってこんなに月が美しいなんて。この身を焼くような月光が、何とも恨めしい。いっそこのまま、何もかも燃やし尽くしてくれればいいのに————。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月12日 21:11
2024年12月13日 21:11
2024年12月16日 21:11

空蝉は月夜に啼く taikist @_Rubia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画