第41話 ゴブリンロード
「逃げましょう!」
「あ、ああ」
サヤカは立ちふさがるゴブリンの顔面を爪先で蹴り上げ血路を開いた。通りでは、買い物帰りだろうか若い女性ふたりが喉元をパックリと切り裂かれ、信じられないという表情で天を仰ぎ絶命している。
「ぐ――」
竜斗は怒声を呑み込んだ。サヤカが言うように、ここで自分ができることはほとんどない。見れば、周囲で元探索者かそれなりに格闘の心得があるような女性たちが必死で抵抗をしているが、被害は時間と共に増えている。このまま黙って逃げるのが男のすることか。
竜斗のためらいを引き裂くかのように、重たく濁った音が響き渡った。通りの向こうに到着した警官隊がライフルを構えて一斉射撃を行いだした。ゴブリンたちが瞬く間に掃討されてゆく。人々の顔に希望が灯った。ちょうど見計らったように、駅の出口からのそりと巨大な青黒い鬼が現れた。
「ゴブリンロードだ……」
誰かが呟いた。なるほど、スキルや魔術が使えるダンジョンの中であるならば、この推定C級とされるモンスターは絶望的な脅威ではないだろう。
しかし、抵抗すべき加護が発現しない地上において、このゴブリンたちの族長と言われる怪物は街中でヒグマに出会うよりもはるかに危険だった。
4メートルを超える体躯には禍々しい甲冑で固められている。右手には巨大な戦斧。左手には壁のような大きな盾を持ち、道路を埋め尽くす車両に飛び乗ると、威嚇のための大声で叫んだ。
「ひ」
本能的に恐怖を感じたのだろうか、抵抗を続けていた女性たちの士気がみるみるうちに消えていった。
だが、訓練された警官隊はそれでも負けじと銃口をそろえてゴブリンロードに銃弾を見舞った。
銃口から黄色い閃光が激しく瞬き、ゴブリンロードの身体が弾かれたように痙攣した。
「やった……!」
警官のひとりが言った。だが、ゴブリンロードはなんら痛痒を覚える様子もなく、車両のルーフから飛び降りると、首を左右に振ってコキコキと音を鳴らした。戦斧の石突をコンクリートに突き刺す。それから無造作に車両のフロントドアを引き千切り、軽々と警官隊のいる場所へと放った。
しゅるしゅると異様な風切り音を残してフロントドアは放物線を描いて飛んでいった。
雷鳴が落ちたような轟音を残して、警官隊は弾け飛んだ。
投擲されたフロントドアにぶつかった警官のひとりは、肉餅になって原形を留めず、地面に飛び散った。かろうじて、抗戦の意思を示していた警官たちも小銃を投げ出し離れた場所で、虫の息で悶えている。
ゴブリンロードが人語ではないなにかをボソリと呟いた。同時に、地上のゴブリンたちが息を吹き返して、再び凌辱を始める。
サヤカが撃ち尽くしたグロックのグリップで跳びかかってきたゴブリンの前頭部を殴りつける。
「逃げてください! あなただけでも逃げてッ!」
竜斗は前方の車両の陰から2つの人影が飛び出したのを見た。まだ、若い事務服を着た女性が、園服を着た幼女の手を引いていた。その後方から、こん棒を手にしたゴブリンが襲いかかる。チリ、と竜斗の脳が焼けるように痛んだ。
あなたはなにを望むの――。
記憶の底で、誰かが竜斗に問うた。
「ンなことたぁ決まってるよな」
「え――?」
竜斗の顔に穏やかな笑みが浮かんでいた。
やることは決まっている。一見して、ダンジョンから這い出たモンスターを退治する方法は彼らがこの世界にやって来た時から、基本的に地上軍の火力に期待するしかないとされていたが、竜斗には異論があった。竜斗は園児を連れた女性を救うために、まず、駆け出すと、追っていたゴブリンを制圧にかかった。竜斗は無手だがゴブリンは得物を所持している。たいていが錆びたナイフか棒切れくらいであるが、彼らは狡猾で生きぎたなく生命力はゴキブリ並みだ。竜斗はゴブリンを真正面から殴りつけると、まず、ナイフを奪った。
「よっし、と」
これで武器ができた。竜斗はナイフを持つと、まず、地の利を活かして徐々にゴブリンを狩っていく。スキルや魔術の加護がない竜斗の筋力は弱体化しているが、それでもゴブリンよりははるかに強い。向かって来るゴブリンの喉を集中的に斬った。だが、元々がナマクラである。2、3体斬り殺せばナイフは脂が巻いて仕えなくなる。その度に敵の武器を奪って、竜斗は徐々に目標物へと前進する。
「――!?」
不意に頭上が暗くなった。反射的に横っ飛びでかわした。地面が爆散して土煙が上がった。灼熱の炎に焼かれて、瞬間、視力が奪われた。ゴロゴロと地面に転がる。かすかに右目が開いた。ゴブリンロードだ。これが、地上の人間がモンスターを恐れる理由のひとつだ。ダンジョンの中でしか、スキルや魔術が行使できない探索者と違い、地上に這い出たモンスターたちは魔術が使える。いまのは、ファイアーボールだろう。ダンジョン内では、初球の魔術師が最初に覚える術で、ゴブリンロードのそれも威力は高くないが、地上では迫撃砲に匹敵するだろう。
「ぐっ」
なんとか立ち上がろうとした瞬間、ゴブリンロードが戦斧をこちらに向けるのが見えた。
切っ先に魔力が集中するのがわかった。このゴブリン、術に関してもかなり造詣が深いらしい。普通のモンスターでは、ここまで数秒程度ではロクに魔力を貯めることができず、連発は不可能なはずだ。回避しようと身体を動かしたが、ゴブリンロードの詠唱のが終わるほうが早かった。真っ赤に灯る戦斧から高熱の塊が飛び出した。まともに喰らえば、焼け死ぬ。竜斗がなんとか身体を右に逃がそうとした時、サッと現れた影に突き飛ばされた。
「サヤカ!」
吹っ飛びながら自分を押した人物を竜斗は見た。サヤカは笑っていた。次の瞬間、歩道の一切合切が吹き飛んだ。爆風で巻き上げられたガードレールの破片や、点字ブロックの破片、ひとつひとつまでもがしっかり見えた。そして、襤褸切れのように転がるサヤカの姿も。竜斗は怒りで脳髄までもが焼き切れそうに熱くなったが、遠くでゴブリンロードが異様な笑い声を上げているのを聞き、ガチリと撃鉄が落ちる音が聞こえた。
「――野郎」
竜斗はいきなり立ち上がると、一番近くの地下鉄出口に突っ込んだ。最初から、それが狙いだったのだ。やつらは、ダンジョンという異界から駅の出入り口に繋がったゲートを通って、時折、地上に侵攻する。その戦力はたいしたものではないが、人間たちは、いつ現れるかしれない恐怖に怯えて生活していた。やつらが現れる場所は一定ではない。都内だけではなく、地方の至る場所。マンホールや無数にある地下鉄の出入り口付近に決まって「穴」を開ける。穴の向こうがダンジョンに通じているのならば、手はある。
「んがっ」
だが、竜斗は階段が続く出口の直前で見えない壁に跳ね返された。わかっていた。どういう理由かは知らないが、このゲートは常に一方通行なのだ。出ることはできても入ることを許さない。ゴブリンロードを含めた、小鬼たちが竜斗の所業を嗤っていた。
「わ――かってんだよ、ンなことは!」
この障壁は壊せない。自明の理だ。だが、竜斗は諦めなかった。
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