第40話 平穏の終わり
竜斗の心情を表すように天気は快晴だった。雲ひとつない蒼天を見上げながら竜斗は気の抜けた顔で、真横にいるサヤカのすまし顔を見つめた。ディフェンダー110は込み入った都内の道をゆっくりと走る。化粧を直したサヤカと先ほど本当にあんなことが起こったのだろうかと、竜斗は自分の意識を疑った。
――こんな美女が、まさか、あんなふうに、でもこれってまさか、コイツ俺のこと好きなんじゃね?
「どういたしました、リュウトさま」
「い、いや、別に」
「変なリュウトさま」
くすっとサヤカが小さくはにかんだ。そこには一線を超えた男女が共有する独特の馴れがあったが、竜斗は気づいていなかった。サヤカは竜斗のことを好き、という程度ではない。愛している、いや、その感情には尊崇さえ籠っていた。
サヤカは竜斗と一部であるが肉体的接触を持ったことで、自分では気づかないにしろ異常なまでの「情」を持ち始めていた。無論、男性警護官とはそういった仲になることが前提で創設された部分があることは否めないが、サヤカの中で竜斗に対するひと口では表現できない感情は、煮込まれ、熟成し、育ちつつあった。
「ンぬぐっ!」
「すみませんっ、お怪我は?」
「いや、大丈夫だ。どうしたん」
夢想に気を取られていた竜斗はキュッと停止した車両のショックで舌を噛みそうになったが、情けなさを噛み殺して聞いた。
「渋滞、みたいです」
気づけば車両は街のど真ん中で立ち往生していた。場所は新宿の中心部だ。しばらく、フンフンと鼻歌を口ずさんでいた竜斗だが、なにやら周囲の様子がおかしい。人々が歩道を逃げ惑っている。停止した車両のあちこちからクラクションが鳴らされている。
「出ましょう」
警護官であるサヤカの判断は素早かった。竜斗はシートベルトを外すと車両から躍り出た。手には拳銃であるグロック17を握っている。オーストリアの銃器メーカーであるグロック社が開発したこの自動拳銃は耐久性に優れ、男性警護官は使い勝手の良さからか、これを好んだ。
――強烈な殺気だ。
それも複数である。真っ黒な闇のオーラを感じ取った竜斗は身を固くした。人々の狂奔は加速度を増していた。運転席から降りたサヤカが焦りを押し殺せず叫ぶ。
「こちらに、早く!」
「どうやら、もう間に合わなさそうだぜ」
駅に通じる地下階段の出口から、次々に、無数の小鬼が吐き出されていた。小鬼たちの大きさはどれもが120センチそこそこであるが、なにしろ数が多い。どれもが、短剣や弓を装備しており、逃げ惑う人々を誰彼見境なく襲い始めている。
無数のゴブリンたちが襲っているのは無抵抗な女性ばかりだった。比率的に、男性は皆無に近く、地上においては探索者の資格がある者も精霊の加護を受けられないので超人的なスキルや魔術は使えない。それは、英雄であり魔術師の竜斗も同じだった。得物もない。地上において無許可に刃物を持ち歩けば普通に銃刀法違反である。
――けど、黙って見ていられるほど、こちとらおとなじゃねーんだよ。
「リュウトさま!?」
竜斗は女子学生にマウントポジションを取って、上着を引き千切っているゴブリンに飛びかかった。
「どらあっ!」
気合を込めてゴブリンの脇腹に爪先を叩き込んだ。小柄なゴブリンはサッカーボールのように吹っ飛んで、ショーウインドウに激突したが、ヒビすら入らない。
――マジかよ。いつもなら、いまの一発で粉々になってんだけどな。
それは魔力補正がダンジョン内で働いているからだ。地上において、竜斗の体力は超人的なレベルに達していたが、岩を砕き鋼鉄を紙のように切り裂く、神の如き恩恵は剥奪されていた。
「ほら、立てるか!」
「え、あ、男の人?」
女子高生らしき少女はこんな状況だというのに、息を呑むような美貌だった。感覚が狂う。誰も彼もが美女なので、自分が映画の中の登場人物になったような気がする。
「怖いですっ」
「おお」
ここぞばかりにひしっと抱きついてきた。たわわな胸が顔面に押しつけられて、中腰だった竜斗はひっくり返りそうになった。
「だーっ。こんなことしている状況じゃ」
「きゃんっ」
女子高生の悲鳴。竜斗が顔を上げると、そこには銃を構えたサヤカが鬼のような表情で立っていた。
「リュウトさま、ここから早く非難しましょう。モンスターたちは、まもなく警官隊が排除しますので。あなたも、そのお方から離れなさい」
視点を転じると、突き飛ばされて転がった女子高生は凄まじい目つきでサヤカのことを睨んでいた。そこにはゴブリンに対する恐怖よりも、竜斗の理解できそうもない怨念のようなものが籠っていた。
「わ、わかった。とにかく、きみも早くここから逃げるんだ」
「ああ、せめてあなたのお名前とご住所と連絡先を――ひでぶっ!」
サヤカが女子高生の顔面に蹴りを入れた。ドザッ、と音を立てて女子高生が横倒しになる。続けてサヤカは片手でグロックを連射した。激しい炸裂音が鳴り響く。閃光が銃口から噴き出し、周囲にいた3体のゴブリンが脳天を撃ち抜かれて、地に伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます