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「驚いた、ぬしは魔物と人との区別もつかぬ無知であったか。そのような者がまさか<蒼穹の君>の縛りを解くとは」
悪口を言われているらしいことはわかっていた。けれど言い返せるほど頭が上手く回らない。
(一体何がどうなっているんだ。一体わたしは“どこ”に来てしまったんだ)
ざわざわと胸が騒ぎ出す。
琴子は何ひとつ持たないまま、何もわからない場所に放り出されてしまったのだ。これまで無我夢中で森を走り続けていたけれど、ここに来てようやく少しずつ、自分の置かれた状況を理解し始めていた。
言い知れない不安と恐怖が胸の奥からじわりと滲む。
(いつまでこんな場所で。これからどうやって。一体、わたしは……)
そのとき。ぎゅっと袖が引っ張られた。小さな手が、くたびれたパーカーを強く握っていた。
華奢な肩では落ち着いた呼吸が繰り返されている。薄い瞼は閉じたまま、髪と同じ白に光る睫毛が、時折細かく揺れていた。
あたたかい温度だった。琴子のものではない、違う人の体温だ。
「……ねえ、<蒼穹の君>って言ってたよね。あんた、この子のこと知ってるの?」
「知っている。<蒼穹の君>は、人の手によりこの場に封じられていた」
「人の手? 何それ。つまり、誰かがこんな子どもをここに置き去りにしたっていうわけ? あんたのような魔物ってやつがいる森に、動けないようにして?」
「そうだ。恐怖にばかり支配され、考えることを放棄した愚かな人間によって<蒼穹の君>はここで永い眠りに就くこととなった」
「嘘でしょ……そんなことって。あんたも、知っていたのならもっと早く助けてあげなよ」
「我らにはどうすることもできなかった。あの封印を解けるほど力のあるものなどいない。だが、ぬしが縛りを解いた。それにより<蒼穹の君>を救うことができた」
感謝する、とユーグは言った。
しかし今の琴子には、異形からの思いがけない感謝の言葉が響かなかった。
(この世界にも、この子ども以外にも人がいるみたい)
だがそれは、このような小さな子を、森に置き去りにする者たちだ。
琴子は頭を抱えた。
「……おかしくなりそう」
「うむ、確かに人の娘よ、ぬし、少しおかしいな」
「は?」
おまえに言われたくはない、と琴子はユーグを睨みつける。するとにょきにょきと腕が生えてきたので「ヒッ」と身を引いた。
「魔力の使い方を露ほども知らぬ、けれどこれほどの魔力を持った人間が、なぜ、この森にいるのか。この封印を解いたことから、少なくともぬしは、王国の魔導士ではないのだろうが」
筋張った指が琴子の額に触れる。その瞬間、キン、と軽い音が頭に響いた。不快に感じたのはその一瞬だけであり、やがて額がじわりと熱くなって、言葉に直せない感覚が体を廻った。
自分のすべてを読み取られているようだった。
「……ふむ、なるほど」
ユーグが指先を離すと、奇妙な感覚は消えていった。
すっと腕をしまったと、ユーグは一度だけ大袈裟な瞬きをして、琴子を眺めた。
「人の娘よ。ぬしは、異邦人であったか」
「い、ほうじん……?」
「そうだ。ここではない、別の次元に平行に存在するいくつもの世界のどこかのひとつ、異界からの訪問者。どのように辿り着いたかは知らぬが、珍しい者に出会った」
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