七人の居候は魔法少女 編

第1話 運命的な遭遇

 東京都の西側、埼玉県との県境にある武蔵ヶ丘むさしがおか市。そこで最も栄えている境川さかいがわ駅前の、バスロータリーに続く中央広場。ここからは駅前のごった返す人群れの様子も、ホームに電車が発着する様子も見渡すことができる。

 ふと、辺りに乱立する高いビルの窓ガラスに反射されて、眩しく暑い陽光が目に刺さる。今日の空はあいにくの晴れ模様。まだ梅雨も明けきらないというのに、今日に限ってこの真夏のような暑さとは。やっぱり外になんか出るんじゃなかったと、オレは早くも後悔を感じていた。

 オレは日よけも兼ねて屋根のあるベンチを見つけ、腰を下ろす。と、餌を求めてか、足元に鳩が数羽寄ってくる。随分と人に慣れていやがる。誰かが定期的にエサやりでもしていたのか。

 悪いけどオレはエサやらないよ、と追い払って、オレは本来の目的に戻った。


 そう、オレはここで待っている・・・・・のだ。


 ここで何か・・が起きると確信を持って言える。それは今日ではないかもしれないが、今日かもしれない。ただそう遠くないうちに、必ず何か・・が起きる。それだけは間違いなかった。だからここ数日は、放課後になると時間を見つけて毎日ここに通っていた。

 どうしてそんなことがわかるのか。根拠はもちろんある。だけどそれを誰かに説明しても、たぶんわかってもらえないだろう。どうしてか、オレだけがそのことに気付いているのだ。


 突然、何かが爆発したような轟音が聞こえ、オレははっと振り返る。ほらやっぱり、思った通りだ。不謹慎だとわかってはいても、オレは笑みを隠せずにポケットからスマホを取り出した。カメラアプリで音のした方を拡大すると、駅前のビルの一角から煙が上がっているのが見えた。あの場所はたしか、一階にドーナツ屋のあるデパートだ。


 オレはすぐさまチャリを駆って、デパートの裏手に急行する。たぶん停めちゃいけないところだろうけど、今はそうも言っていられない。オレは隅っこにチャリを停めて、すぐ近くの北出入口へ急いだ。

 何が起きているか、この目で確かめたい。オレの仮説が合っているなら、これはきっと事故ではないんだ。


 煙が上がっているのは五階建ての建物の二階から。中は吹き抜けになっていて、二階は女の人の服が売っているフロアだったはず。どこから火の手が上がっているのだろう。とりあえず野次馬の隙間を縫って、建物の中には入ることができた。取り乱す人たちに紛れながら、止まっているエスカレーターを駆け上がって二階にたどり着く。


 何か・・が起きている場所がどこなのか、オレには簡単にわかった。目印があるのだ。これをたどっていけば、この事件の核心に迫れるはず。オレがずっと知りたかったことの答えがわかるはず。——そう考えていた。


「うるせぇ、ぶっ殺すぞ! このクソガキがァ!!」


「いい加減にしなさいよ! あんたなんていなければ——ッ!!」


「ごちゃごちゃうるせぇんだよ、ババア! 死ねッ!!」


 たどり着いた先で見たのは、目を疑うような地獄絵図だった。

 ここに買い物に来ていた客だろう。老人、夫婦、子供連れ、恋人同士。老若男女関係なく、周囲の物や人間に当たり散らしている。それも、殺気を隠すことなく手近にあったものに手を伸ばし、本気で振り回していた。

 悲鳴と怒声が入り混じる中、オレは何もできずにただその場に立ち尽くしていた。


——怖い。これに巻き込まれたら、殺されるかもしれない。


 たぶん、この現場を目にした誰もが思ったことだろう。鼓動が逸り、手に汗が滲んでくる。膝の力が抜けて、今にもその場にへたり込んでしまいそうだ。

 それでも、オレは今日この現場に来て、一つ確信を得た。やはりそうだ。これは集団発狂なんかじゃない。れっきとした原因のある、事件だ。誰かの悪意によって、この現象は引き起こされた。しかし、それがわかったところでオレにはどうしようもないということも、同時にわかってしまったが。


 辺りに漂う黒い靄のような人影が周囲の人間に触れると、人はその影に飲み込まれたように真っ黒くなり、目の前の彼らのように発狂してしまう。その瞬間をまさに目撃したから、間違いないはずだ。

 オレはこの黒い影が小さいころからずっと見えていた。でも誰も取り合ってくれなくて、信じてくれなくて、話しても無駄だと思って――いつしか考えるのをやめた。


 この影が人に悪い影響を与えているらしいことがわかったのは、少し前のことだ。そしてこの影が人の悪意から生まれたもので、母さんもこの影のせいで死んだと気付いた時、オレはこれまで目を背け続けていた影の存在を意識するようになった。

 そして最近も、この黒い影が集まっているのが見えて、ここで何か・・が起こるのだとわかった。でもそれは、誰に言っても信じてもらえるものでもない。この影は、オレだけが見えている。だから、気付いているオレがどうにかできないか。そんなヒーローぶった考えを持ってしまった。


 しかし、これが現実だ。目の前でその何か・・が起きたって、オレには何もできない。人が傷付き、あまつさえ死ぬのを、こうしてただ呆然と見ているだけ。何か・・が起きる兆候に気付いて、駆け付けることができたって、オレには何をどうする力もない。あまりにも無力だ。


 どうすれば、良かったんだろう——。


 そんな時、黒い人影の一つがオレに向かってくる。これは触れたらダメなのか? これに触れたらオレも発狂してしまうのか? 触れたらダメなら……どうすれば。 


 戦う——どうやって?

 逃げる——いや、間に合わない。


 考えていても答えなど見つかるわけもなく、オレは身を守ろうと咄嗟に腕で身体を庇った。ああ、オレはここで死ぬのかもしれない。いざ死ぬかもしれない事態に直面しても、そんなことを思いはしても、他には何も思い起こされなかった。


 ところが次の瞬間、黒い人影はオレの目の前で破裂したように弾けて消えた。

 一体何が起こったのだろう。その答えを探る間もなく、辺りの黒い人影は同じように次々と爆ぜて消えていく。黒い影に纏わりつかれていた人も、影から解放されてぐったりと倒れ込んでいた。


 何が何だかわからないが、とりあえず助かった、のか……?


 まだ周囲への警戒は解かずに黒い影が残っていないか見回してみたが、一つ残らず消滅したようだった。助かったことに安堵したら、腰が抜けてその場に座り込んでしまった。情けない。こんなんでヒーローを気取ろうとしてたんだから、笑えてしまう。


「——ねえ、君」


 背後からそう声を掛けられて、思わずびくっと肩を跳ねさせてしまった。

 後ろから誰か来ていたことに気付かなかった。声色は若い女の人。何を驚いているのだろう。別にやましいことなんてない。どうせ黒い影はオレ以外誰にも見えなかったんだし、オレに何もできなかったとしても、誰かに責められることなんてないんだ。堂々としていればいい。


「何、でしょうか……?」


 振り返ってみると、ふわりと揺れる長い栗色の髪が、真っ先に目に飛び込んできた。清楚な白いブラウスに身を包んだ、オレよりも小柄な女の人。でも雰囲気は大人びていて、歳はオレよりも上なのだと何となく感じた。どこか不敵に、それでいて柔和に微笑んで、座り込んでいるオレに目線を合わせるように身を屈めてくれる。


「そんなに警戒しないで大丈夫だよ。わたし敵じゃないからさ。ちょっと聞きたいことがあるだけなの。ね、ちょっとだけ、いいかな?」


 オレが彼女の問いに頷くと、彼女はオレに怪我がないか簡単に確認した後、場所を変えようと提案してきた。何故場所を変える必要があるのだろう。人目に付いたらマズいことでもあるのだろうか。不審に思いはしたが、オレ自身もこの場に残って警察の事情聴取に拘束されるのは面倒に思っていたし、ちょうどよかった。


「わかりました」


 オレが快諾すると、彼女はオレの手を取り、にこやかな笑みを見せた。


「ありがとう~! ちょっと待ってね。おーい、あやのーん! 行くよー!」


 彼女は遠くにいるらしい“あやのん”なる人物を呼んだ。話を聞くのに“あやのん”も同行させるようだ。少しして、被害者たちの様子を確認していたらしい、アイボリーの緩いシャツに黒いショートパンツの女の子が、こっちに向かってくる。彼女が“あやのん”だろうか。


「ルリ姉、もう行くの?」


「うん。面白い子見つけたから、ちょっとお話聞こうと思って」


 “あやのん”と呼ばれていたボブカットの女の子は、そのあやのんにルリ姉と呼ばれたオレに声をかけてきた女の人よりも背が高く、どちらかと言えばあやのんの方が姉に見える。


「ふーん、面白い子、ねぇ……」


 面白い子、と聞いて、あやのんはオレを値踏みするように眺め回してくる。何だかくすぐったくて、居心地が悪い。


 結局、あやのんはそれ以上何も言わず、オレは二人に連れられるまま、この事件が起こる前までいた駅前の広場に戻ってきた。先ほどのベンチに腰掛けると、彼女らはオレの両隣に腰を下ろした。

 両隣に美少女を侍らせるなど、そうそう経験できることじゃない。とはいえ、できればもうちょっと違う雰囲気で味わいたい経験ではあったかもしれない。この場合、彼女らがオレの両隣に座ったのは、オレを簡単には逃がさないためかもしれないから。

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