6
その昔――というには早い、二十年ほど前のことだが――勇者は五人の仲間を引きつれ、魔王討伐へと向かった。
人間には「魔王」としか呼ばれない彼、彼女は、性別から外見まで、そのほとんどが謎に包まれている。
人間でそれを知っているのは魔王を討伐した六人だけだろう。
しかし、暴力的な、ある意味で慈悲とも取れる強さだけは公のものだ。
あまりに強すぎる、この世に並ぶ者のいない絶対的な強者。
発する言葉にすら魔力が込められ、純然たる闘気が周囲に立ち昇る。
放たれる魔術に一度触れようものなら、魂まで消し飛ばされてしまう――それが知られている魔王の全て。
それに対して、勇者パーティは大部分が明らかだ。
質実剛健で、魔王と相打ちとなり世界を救った勇者。
魔王ですら直接的な対決を拒んだと言われる無双の武闘家。
彼がいなければ、魔王の魔術を止めることは不可能だったと伝えられる魔術師。
神の化身と呼ばれ、どんな傷でも瞬く間に治癒してしまう僧侶。
預言者のように全てを見通したと言われるもう一人の魔術師――痕跡魔術の使い手。
そして、暗殺者。
暗殺者に関しては、魔王討伐の旅の最中にあっても、世界に平和が訪れてからも、その情報はほとんどなにもない。
人々の中には、暗殺者の存在を一種の精神的な威圧として用いたのではないかという説もある。
それほどまでに存在意義が薄いとされているのだ。
だが、その中でもまことしやかに囁かれている「御伽噺」がある。
暗殺者は「毒蛇のディラン」という名で、場合によっては勇者をも超える力を発揮することができるということ。
そして、その本気の一撃受けたものは
――必ず死ぬ。
・
はらり、とピンク色の髪が舞った。
「……どういうつもり?」
ボンフォルトの娘・オリビアは、突然自分に斬りかかってきた男を、そして仲間と思われる数人を睨みつける。
敵の数は四人。どれも男で、山賊のような汚らしい格好をしていた。
「どういうつもりだぁ? そんなこと知る必要ねぇだろ」
先ほど剣を向けてきた男が、唾を飛ばしながら答える。
「確かに、こんなか弱い女の子一人に、男四人で向かってくる理由は知る必要ないね。情けなくて知りたくもない」
男のこめかみがぴくりと動く。
「まぁ、それも仕方ないよね。私はAクラスのボンフォルトの娘だし、私自身がBランクに近いCランク。あんたらみたいな街にも入れない臆病者には重荷だもの」
オリビアは挑発を続けたが、思考は別のことに向けられていた。
そもそも、山賊たちが日頃、街に入ろうとしないのには理由がある。
罪を犯したものは、その顔が手配書として拡散され、ギルドの掲示板に張り出されることになる。
自らの命を狙う人々がいる中に、わざわざ飛び込む馬鹿はいない。
だというのに、今、目の前には山賊の集団。おそらく誰かに雇われたのだ。
誰に雇われたかというのは考えるまでもない。フォルモンド家だろう。
オリビアはギルドを飛び出してから一度も戻っていない。
自分になにができるのか探しているうちに山賊に鉢合わせることになったのだ。
つまり、彼女はギルドマスターとエマ、そしてディランが危機に面したことを知らずにいた。
しかし、やはり山賊の背後に何が潜んでいるかは明白。
一刻も早くギルドに戻って状況を確認しようと決意した。
そのためには、目の前にいる雑魚を排除しなければならない。
オリビアは滑らかな動きで目の前の男――の右後ろで呑気に立っていた男を殴り飛ばす。
冒険者の中でも自らの拳で戦う者は少なく、それは女性であれば尚更だった。
父親であるボンフォルトが巨大な剣を振るうことも、山賊たちの油断を誘ったのかもしれない。
結果的に、四人いた山賊は早くも一人減り、続くオリビアの後ろ回し蹴りで剣を持っていた男が吹き飛び、半分になった。
「それで、どうするの? 私、まだ成人してないんだけど、男の人ってこうすると喜ぶんだっけ?」
オリビアはゆっくりと、倒れている男の股間に踵を乗せ、圧をかけていく。
絞り出すようなうめき声を聞いて、残った二人の山賊は、慌てて去って行った。
・
ウィリアムにとって、ガレクがこのタイミングでウィンドモアに戻ってきたことは不運だったのかもしれない。
自らの末路を決定的にしてしまったからだ。
「人使いが荒いったらないぜ。村をぶっ潰してきた後だっていうのによ」
髭を蓄え、野蛮な顔つきをした男――ガレクは、まばらに雲が泳ぐ空を眺めながら大股で歩いていた。
「まぁ、焼いた村で暖をとるのは……最高だったぜ」
雰囲気の割には子綺麗な格好をしていて、背丈もあまり高くはないものの、妙な迫力がある。
彼はアレクセイと並ぶウィリアムの隠し玉で、腕利の格闘家だ。
格闘家と武闘家の違いとは、一般的には「敵」にあると考えられている。
冒険者として己の身体で魔物と戦うのが武闘家であり、格闘家は人間と戦う。
それが興行的な時もあれば、命を奪うための時もあるが、どちらにせよ、格闘家は魔物と戦わない。破壊する箇所が違うからだ。
格闘家は医者のように人間の身体に精通していて、どこを攻撃すればどの部分が破壊されるのかを正確に理解している。
その中でもガレクは、その暴力衝動を抑えられず、些細なことで人と揉め事を起こしては殺し、自警団や兵を差し向けられても殺し、殺し続けてきた。
そして、強さに目をつけたウィリアムから、自由や金と引き換えに、フォルモンドの邪魔になる人間を排除する「仕事」を負っているのだ。
先日、鉱山を巡るやりとりに飽きたウィリアムによって、一つの村が滅びることになった。
報告のためにウィンドモアへ帰還したガレクが、見張りの兵士から次に言いつけられたのは、暫定的に――信じられないものの状況証拠的に――ドラゴンを殺した犯人と見られるディランを殺すことと、彼の所属しているギルドメンバーを皆殺しにすること。
なかなかにイージーな仕事だ。依頼を聞いた瞬間、用済みになった兵士を気まぐれに殴り殺しながら、ガレクは思った。
その足で街の中心部にたどり着いたガレクは、ピンク髪の乙女を発見する。
彼女自身に思うところといえば下衆な考えばかりだったが、どうやら視線を這わせるだけではいけないらしい。
「その足元のゴミはどうしたんだ? 随分人間に似せて作ったみたいだが」
ピンク髪の女性――オリビアはガレクの方へと振り返り、その姿に上から下までサッと視線をやると、鋭く睨む。
「あんたも山賊? 転がってる雑魚みたいになるのがご希望?」
「誰が山賊だって? この俺様に向かって、山賊?」
ガレクは両腕を広げて見せる。オリビアは変わらず警戒を続けた。
「どっからどう見てもそうでしょ……。その格好はどうしたの? 誰かから奪った……にしてはサイズが合ってるわね」
「俺はキッチリした格好が好きでね。白いシャツが、皺一つないタイが血で汚れると興奮するのさ」
「キモ」
「いいねぇ、生意気な嬢ちゃんだ。そんな反応をされると興奮しち――面倒になってきた。お前、ディランってやつの知り合いか?」
名前を聞いた瞬間、オリビアの顔が強張った。
「そうかそうか、当てずっぽうで聞いてみるもんだな。こんなところで会うなんて俺たちは運命かもしれない」
「はぁ? 誰が、こんな野獣と運命だっていうのよ。種族が違うのよ、種族が」
「魔王だって人間と恋をしたらしい」
「あっそ。すぐに別れちゃったんじゃない?」
「あぁ、俺もそう思う。ただ、熱く愛し合ったんだろうなぁ。朝も夜も、人間も魔族も忘れて、一瞬が永遠に感じられるほど、長く」
「何が言いたいの?」
嫌悪感を顔の全てで表したオリビアを鼻で笑いながら、ガレクは言う。
「お前で愉しませてもらうってことさ。殺すのはその後にして、まずはゆっくり、拳の形を身体に刻んでやる」
・
セルゲイはディランの元へ戻り、ウィンドモアの中心部へ向けて歩きながら、彼が連れ去られてからのことを説明した。
ギルドマスターとエマがどこにいるのかはわからないが、ギルドの面々と手分けして襲撃することで、彼らを見つけることができるのではないかという、その時に思いついたことも告げた。
「……わかった。苦労をかけたね、探してくれてありがとう」
「あの、どうやってドラゴンを?」
胸に込み上げる熱い気持ちをどうにか抑えてセルゲイは言葉を続ける。
「痕跡じゃ見抜けなかった。ディランさんの姿が消えたと思ったら、そのまま……」
「ぼくにはいくつか特別な技があってね」
特別な技。それがなんなのかは分からないが、ドラゴンなんていう規格外の存在を殺すことができるのは異常だ。
この技があれば、どんな相手もディランの敵ではないのではないか。
「残念だけど、これは今日はもうできないんだ」
セルゲイの心を読んだかのようだった。
「それより、みんなでフォルモンドの屋敷を襲うのはいい考えだと思う。ただ――」
「なんですか?」
「なるべく穏便に済ませたい。ぼくはウィンドモアの人間でもないし、あの場に割って入ったんだ。餌にされるのも納得はできる」
「じゃあ、ウィリアムたちの命は奪いたくない……ってことですか?」
「もちろんだよ。過ちを犯してしまったとしても、その罪を認めることで成長できる。いい人間になれるかもしれない。ただ、命を奪ってしまえばそれまでだ。話すことも、笑うことも、憎むことも、喧嘩することも、何もできなくなる。後に残るのは、冷たく動かない肉と、重く感じる腕だけだよ」
セルゲイは、ディランの寂しそうな、何かを思い出しているかのような言葉と表情に、どう返せばいいかわからなかった。
彼はウィリアムたちを信じている、というより信じたいように見えた。
なにか、自分が思いだしたくないものを封じ込めておきたいと、切に願っているように。
だが、ディランのその願いは次の瞬間、無惨に打ち砕かれることになった。
足元に視線があったセルゲイは、ディランが立ち止まったのに気付いたのだ。
「――? どうしたんですか、ディランさん」
ディランの目が見開かれていた。
口をぎゅっと結び、顔が、身体全体がふるふると震えている。
――これは怒りだ。
それを見て、セルゲイはゆっくりと正面に顔を向ける。
「――――――」
言葉を失っていた。
十メートルほど先には小柄な男が立っていて、その足下にも、人間と思しき物体が三つ転がっている。
そして、そのうちの一つは
「――オリビア?」
・
気付いた時には、自分と男の距離が縮まっていた。
走り出していただけでなく、叫んでいたのにも、今更気付いた。
足蹴にされているオリビアは、まだ死んではいないようだった。
しかし、活発で美しかった顔には無数のあざが、口元からは血が流れ、服はボロボロに破れ、片足に至っては折られている。
(なぜ、どうして?)
そんな疑問が頭の中を巡っている。
男との距離が縮まる時間がはるかに長く感じるほど、思考が早まっている。
だが、早まっているだけで全く冷静になれていないということは、自分でも理解できていた。
まだ、男は足元のオリビアを、ニヤつきながら見ていた。
僕に気付いていないはずがない。相手にならないと舐められているんだろう。
でも、そんなことはどうでもいい。
思い切り右腕を振り上げて、男の後頭部目掛けて振り下ろ――。
一瞬、視界が真っ黒に染められる。
すぐに色がつきはしたものの、身体に力が入らない。
(い、息ができない……)
痛みを超えた何かが鳩尾に溜まっていることだけは、かろうじて理解できた。
たとえ僕が冷静でも、目に見えないほどの速度で殴られたのだ。
「痛かったかい、坊や?」
息を吸うこともできず、カヒュッと情けない音を出す僕を見下ろしながら、男は嗜虐的な笑みを浮かべている。
「出来損ないの楽器みたいだなぁ。この嬢ちゃんは坊やの友達かい? それなら話が早くて助かる。ちょうど今、この子を半殺しにしてたんだよ。勢い余って一本折っちまったけど、まだまだ楽しむつもりだから安心していい。殺すのは最後、犯した後だ」
こいつが何を言っているか理解できるのに、身体が動かない。
怒りに身を震わせることすらできない。
「……坊や、俺の知り合いに似てるなぁ。ちょっとムカついてきたし、お前から先に殺してやろう。お前をいたぶっても全然興奮しないし、俺は優しいから、首をへし折って一息に殺してやる。じゃあな」
そう言って男は、なんでもないような虫を殺すように、僕の首に踵を振り下ろした。
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