1-2-11.四月二十二日②

 今度はわたしが一紀くんの手を引いて、お姉さんの元へ歩み寄っていく。


「あの、すみません」


 何をする気だろうかと不思議そうな顔をしていた一紀くんは、わたしがお姉さんに声を掛けたことで、途端に顔を真っ青にした。何してるんですか、と言わんばかりに。


「あ、はい、わたしですか?」


 振り向いたその顔は、間近で見ると余計によく似ているのがわかる。普通は近くで見ると細かい差異が目につきそうなものなのに。そして、口元のほくろ。それほど大きいというわけではないが、パッと顔を見た時に、真っ先に目を引く。確かに印象的で、記憶にも残りそうだ。


「すごい、本当だ……! あ、すみません、うちの彼氏がわたしによく似てる人がいるって言うので見てみたら、他人とは思えないくらい似ててびっくりしちゃって。思わず声掛けちゃいました」


 考えよりも行動が先走ってしまう子を演じて、まずは話すところから始める。できれば少し打ち解けて、ゆっくり話ができたら良いが、そう上手くいくかは何とも言えない。


「わ、確かに! え、すごいそっくりだね。ドッペルゲンガーってやつ?」


「それ会ったら死ぬやつですよ」


 意外にも好感触。ボケとツッコミも成立して、可笑しくて笑ってくれる。


「記念に一枚お願いしてもいいですか? こんなそっくりさん、もう二度と出会えないと思うんで」


 わたしのその申し出も、いいよと快諾してくれる。スマホを内カメにして、一緒にピースして写真を撮ってくれた。


「なんか、うちの彼氏が前にも見かけたって言ってて、その時はこんなに似てると思わなくて。何だっけ、横浜に行った時だっけ?」


 横浜の地名を出しても、彼女は特に表情を変えることはない。これで動揺を見せてくれればと思ったが、そう簡単には尻尾を見せるつもりもないらしい。こちらとしては目撃証言を掴んでいるので、彼女が横浜に行ったことは知っている。横浜に行ったことはないなんて言えば、その時点で偽証、何か後ろめたいことがあると考えて良さそうだ。


「違いますよ、船迫ふなさこ駅前で見かけたんです」


 わざと間違ったことを言えば、一紀くんなら訂正してくれると思っていた。それが彼女への効果的な追い打ちになるとも知らずに。

 事件が起きた船迫と横浜の両方の地名を出したらどうだろう。さすがに動揺を見せるかと思ったが、まるで表情に出ない。それはそれで恐ろしい。


「ふふっ、君たち仲良いんだね。彼女さん、違ったらごめんなんだけど、上杉うえすぎ志絵莉さん?」


「あ、そうです。え、何でわかったんですか?! 知り合いでしたっけ?」


 わたしも動揺しないように必死だった。向こうもこんな気持ちなのかもしれない。

 どうしてわたしのことを知っているんだ。わたしの知り合いの誰かと関わりがある人なのか? それか、やっぱりお母さんの関係者で、わたしのことも知っているとか。


「わたしも、弟がわたしによく似た人がいるって話しててね。合コンで出会った翠泉の子で、同じ合コンに来ていた他の男の子と付き合うことになったって。姉さんに似た綺麗な人なのに、冴えない子を選んでて驚いたって言ってたけど……」


 と、お姉さんはちらと一紀くんの方へ視線を向ける。

 冴えないってよ、と脇を軽く小突くと、知ってます、と情けない返しをされた。


「えーっと……雨村あめむら唯翔ゆいとくんのお姉さん、ですか?」


 あの場に男子は四人いて、一人は一紀くん。残り三人の中で、わたしを綺麗な人だと認識してそうで、一紀くんを冴えない男だと認識してそうな人は彼かなと思った。


「当たり。雨村憩都けいとといいます」


「憩都さんは、今日お一人ですか?」


「ううん、弟と来てるの。今トイレに行ってるけど」


 まさか、唯翔くんも来てるのか。ちょっとした修羅場だぞ、これは。彼が戻ってくる前に、退散した方が良いだろうか。


「あ、唯翔じゃなくて、上の弟とね。うちは三人姉弟なの」


「そうだったんですね」


 と、胸を撫で下ろすと、ごめんね、と憩都さんに苦笑いされる。


「なんかうちの弟が迷惑掛けてるみたいで、ごめんね」


「大丈夫です。今のところ実害があるわけじゃないですし。あ、そうだ、良かったら連絡先交換しません? 何かあったら相談させてもらえたら助かるなぁと思いまして」


「いいよ。同じ顔のよしみだしね」


 あっさり連絡先も教えてくれる。これはわたしを信頼しきっているのだろうか。あれだけ慎重な犯人が、こんな気安く初対面の人間に連絡先を渡してしまうのか? しかも、わたしの質問からわたしを警戒してもおかしくないというのに。


「あ、戻ってきた」


 憩都さんが手を振って弟さんを呼ぶと、彼もわたしたちと同じように驚いていた。同じ顔が二つあることに。


「うわ、本当にそっくりだ……」


 彼の名は藍斗あいとというらしい。正直、唯翔くんとも憩都さんとも似ていない。というより、この三人姉弟は誰一人全く似ていない。三人とも血縁関係はないのだろうか。違ったら失礼かもしれないが、そう思えるほどだ。


「それじゃあ藍斗も戻ってきたことだし、デートの邪魔しちゃっても悪いから、わたしたちはこれで。唯翔がまた何かやらかしたら、遠慮なく連絡してくれていいからね」


「ありがとうございます。じゃあ、わたしたちも行こっか」


 そうしてお互いに違う方へ、それぞれの連れの手を引いて歩きだした。振り返らずに、一紀くんに余計なことを言わせないようこちらから話しかけ続けて、次の展示室に移った。


「ふぅ、もういいか」


「どうしたんですか? さっきの志絵莉さん、なんかめちゃくちゃ怖かったんですけど」


 わたし自身も、かなり気を張っていた自覚がある。相手の一言一句、一挙一動に集中していたし、自分がボロを出さないようにも気を付けていた。

 その上で思うが、彼女は恐らくシロだ。事件に全くの無関係かどうかはわからないが、少なくとも殺人は犯していない。向こうはわたしが警戒心を丸出しにしていたことに、恐らく気付いている。もちろんわたしだって、簡単に気取られるようなヘマをしたつもりはない。だけれど、わたしの警戒心に気付いていてなお、わたしに全てをさらけ出そうとしていた。これはわたしを舐めてかかっている余裕か、逆に、敵ではないと示しているようだった。


「ごめんね、せっかく念願のお姉さんに会えたのに、あまり話させてあげられなくて」


「いえ、それは別にいいんですけど……何かあったんですか?」


「一紀くんは本当に、わたしをよく見てるんだね。でも大丈夫。わたしもちょっと思うところがあっただけで。心配掛けてごめんね」


 初対面の彼女にはわからなくても、普段のわたしを見ている一紀くんには気付かれてしまうとは思っていた。それにしても、あのわたしを“怖い”と評すとは思わなくて、実に興味深い。今だって、何をそんなに怯えているんだろう。彼の目には、わたしはどんな風に映っていたのだろう。


「志絵莉さんが大丈夫ならいいんです。あのお姉さんに会ってみてよくわかりました。本当に顔が似ているだけだなと。顔が似ていても、あのお姉さんと志絵莉さんは全然違いますし、昔助けてくれたお姉さんとも違う。わかってはいたことでしたが、やっと、実感を持ってわかった気がします」


 彼だって彼女の名前を聞いたはずなのに、頑なに憩都さんの名を口にしようとしない。曲がりなりにも彼女の前で他の女の名を出さないようにしているのだろうか。


「そっか。ちなみに、同じ顔でも憩都さんとわたし、どっちの方が好みだった? 怒らないから正直に言っていいよ」


 試すようにそんなことを聞いてみると、彼はそれを軽快に笑い飛ばした。


「悪いですけど、比較にならないですよ。顔だって、確かにすごい似てはいますけど、同じじゃない。中身なんて、もう全然違います。ちょっと会っただけでもわかりますよ。どちらがいいかと言えば、その差は圧倒的です」


 それって、結局どっちがいいか言ってくれてないじゃない。


「で、どっちがいいの?」


「それはもちろん、志絵莉さんです」


「本当に~? 別に本当のこと言っても怒らないってば」


「本当ですよ。むしろ俺がそんな忖度しないって、志絵莉さんならわかってるでしょ? 彼女になってくれたのが志絵莉さんで、俺は本当に幸せだなと思います。俺はもしあのお姉さんと先に出会って、今と同じように彼女と仮初の恋人関係を築いていたとしても、志絵莉さんを選んだと思いますよ」


 そうだ。わかっている。彼はこういう時、嘘を吐かない。そんな彼だから、わたしだってこうして隣に置いているのだし。でも一つ言いたいが、その言葉はもう告白と同義じゃないだろうか。自分が何を言っているか、彼自身は正しく理解しているのだろうか。理解していないから、そんな平然と言えてしまうのだろう。しかもこんなことを言うのは、わたしに対してだけなのだろう。恐ろしい。対わたし用の、歩く兵器だ。


「そんなのわかんないでしょ。もっと関わってみたら、憩都さんの方がいいってなるかもしれないじゃん」


「いや、それはないですよ。あの人は“姉”なんです。でも志絵莉さんは“お姉さん”なんですよ。わかりますか?」


 わかりますか? じゃないよ。何言ってんだこいつ。そんな大真面目に、馬鹿じゃないのか。面白過ぎる。


「言いたいことは何となくわかったけど……ううん、まあいいや。わたしを選んでくれたのは、素直に嬉しかったって言っておく」


「それじゃあ気を取り直して、続きも回りましょうか。一通り回ったら、お昼にしましょう」


 わかった、とわたしはそれに答えてまた歩き出す。


 彼はわたしのことが好きではないかもしれないが、わたしを捨てたりはしないだろう。きっと今の彼は、わたしのことを友達以上家族未満として見ているのだ。そもそも彼の中に恋人という概念があるのだろうか。彼を惚れさせるのは、なかなか困難な道のりになりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る