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@matune01

第1話


 我が輩は時空管理局長である。名は秘密だ。






「何馬鹿なことを言っている、主人(マスター)。現実逃避するな」


 ゴスッ!ガンッ!!……と続いて響く打撲音と共に感じるのは、後頭部と額からの鈍い痛み。

 見なくても分かる。絶対に額はぶつけた衝撃で赤くなっているに違いない。


「姫、痛い……」

「これで目が覚めただろう?後二山なんだから、さっさと手を動かして終わらせてしまえ」


 一応痛みを訴えてみるが、見事にスルー。

 逆に目を逸らしていた書類の存在を引っ張り出され、机の上に上体を倒したまま呻く。

 後二山と言うが、床から天井近くまで積まれている書類が二つ。「まだ二山残っている」と言った方が正しい気がする。

 いや、最初はそんな山が部屋中に溢れていたので、「後二山」の言葉も正しいのかもしれないが……。

 でも間に休憩を入れていても、もう数千時間はずっと書類仕事ばかり。

 いい加減飽きたし、色々と限界だ……。

 机に突っ伏したまま起き上がろうとしない私を見かねたのか、姫霧は溜め息を一つ。


「仕方ない。今机の上にある書類を片付けたら、研究部へ行ってみるといい」

「……何かあったっけ?」


 起き上がらずに視線だけを向ければ、目の前に一枚の書類を差し出される。

 えっと、研究部からの許可申請?


「新しく出来た薬を試したいと言ってきている。……思い切り拷問用だがな」

「そう言えば、効率よく拷問するのにふさわしい薬の理論を見つけました!!って書類に埋もれる前に副班長から報告来てたっけ。そっか、試薬できたんだ」

「そして獄牢部からも報告。この前の馬鹿を放り込んだそうだ」


 別の書類を目の前に出され、そこに書かれていた名前にガバッ!!と体を起こす。

 そんな私に姫霧が呆れたような視線を向けてくるが、知ったことではない。

 今の私の目は爛々と輝き、側近以外の局員たちは逃げてしまうであろう凶悪かつ真っ黒な笑みを浮かべていることだろう。


「そう……アーノルド・フィスが獄牢部にいるのね。そして研究部では拷問用の試薬が出来た……と」


 くすくすと笑みがこぼれる。

 いいタイミングだ。いや、むしろタイミングが良すぎる。

 だが今の私には、タイミングの善し悪しなどどうでもいい。

 私をこの書類地獄へと突き落とした張本人がいるのだ。この、溜まりに溜まったストレスと鬱憤を晴らす対象がいる!!

 私は素早く姫霧の手から研究部の報告書を奪い使用許可のサインをし、机の上に残った数十枚の書類を片付けていく。

 やるべきことがあると、あっという間に書類は姿を消し、これで私を局長室へと止める物はない。


「じゃ、研究部に寄ってから獄牢部へ行ってくる!!」

「戻る前に、食堂で食事はしてくるように」

「はーい!!」


 姫霧の許可を貰い、うきうきとした気持ちで局長室から出ると掛けられる声。


「あっれ?ねーさん仕事終わったんか?」

「姫から休憩の許可貰った!」

「赤いねーさんから?」


 首を傾げながらの問いに、はっきりと頷く。

 仕事を終えずに、勝手に休もうとするのは自殺行為。それを分かっているのだろう、そか。と頷いてくれる。

 ふとそこで、室内に一人足りないことに気付く。


「リュウ、美奈は?」

「美奈は食事休憩中や。用があるんやったら、食堂におるで」

「あ、別に用はないからいいの。あ……と、そうだ。ねぇリュウ、アーノルド・フィスの担当って誰?」


 問いかければ、リュウは「あーのるど?」と首を傾げながら収監一覧表を机の上に表示する。

 それを見て、思わず呆れる。


「姫から最近放り込んだって聞いたんだけど……まさか忘れたの?」

「ねーさんも知っとるやろ?俺がアホやって」

「だからって開き直らない!!てか、最近の多忙の原因を作ったのの名前を普通忘れる!?美奈や私ほどじゃなくても、リュウだって忙しかったでしょうが!!」

「あー……原因ってそいつやったっけ?」

「……知らなかったのね」


 その返答に、ガックリと肩を落とす。リュウなら確かに受け持ちが違うからとの理由で知らなくてもおかしくはないが、美奈が隣で仕事をしているのだ。

 篭もっていた私は見ていないが、書類の受け渡しをしていた姫霧から美奈が「アーノルド、許すまじ……」と呪詛を呟きながら仕事をしていた。と報告を貰っている。

 それなのに、リュウは知らない。


「やー、そん時の美奈すげぇ怖くてさー。結界張って声は聞こえんようにしたんや。顔は仕事しとったら見んですむしな」


 いらん火の粉はかぶりとうないし……。と遠い目をするその姿に納得。

 私自身は怒らせたことはないが、美奈は怖い。姫霧が怒った時と同じくらいには怖い。そしてリュウが相手な場合、その怒りの導火線はかなり短い。

 しかも今回は予定外の仕事の山で、かなり不機嫌な状態だったのだ。ストレスも、そうとう溜まっていたことだろう。

 そんな状態の美奈に、話しかけただけでもリュウなら確実に怒られる。まず間違いなく。

 理不尽や!!とリュウが言おうが、美奈は絶対に逃さないし容赦もしない。ストレス発散に使っていた。


「そっか……うん。ようやく学んだんだね……」


 労りも込めて、よしよし……。と頭を撫でる。

 実はこの二人が出会ってからかなりの年月が経っているが、そこはあえてツッコまない。昔の美奈は、今ほど怒りっぽくはなかったしね。

 まぁリュウに怒りをぶつけるのは、甘えている証拠でもあるんだろうけど……。


「うぅ……ねーさんはほんま、優しーなぁ」

「美奈の方がずっと優しいわよ。知ってるくせに……」

「最近はずっと、優しゅうないからなぁ。ずーっと目くじらたてよる」


 はぁ……。と溜め息を吐くリュウに、美奈の状態は相当深刻らしい。

 確かに美奈の仕事量は、私の次くらいに多い。

 それはもちろん受け持っている担当のせいなのだが……しかしリュウと姫霧も結構な仕事量を任せているので、美奈の仕事を二人に振ることもできない。

 基本的に信用している……と言うか、私の直属の部下はこの三人だけだ。この「時空管理局」を立ち上げる以前からの関係だし、何よりこの三人だけは私の「本当の名前」を知っているのだから……。


 まぁ、今は私のことは置いておいて……。話を戻そう。


「で、リュウ。担当は誰だっけ?」

「んぉ?……あー、そう言えば最初はそんな話やったなぁ」

「コラ!」

「冗談やって。えっと、アーノルド・フィスの担当は……ヒュー。ヒューバートや」


 収監一覧表を確認しながら、ようやく担当者の名前を教えて貰う。

 そっか、ヒューバートか。


「分かった。ありがと」

「行くんやったら、連絡しとくで?」

「研究部に寄ってから。って伝えといてね」

「りょーかい!……ねーさん、罪人イジメんのもほどほどにしときや?」


 私の言った言葉の意味に気付いたのだろう、どこか呆れたような……心配そうな視線を向けてくる。

 それに返事を返さずに口元に笑みだけを浮かべると、最後にぽんっ。とリュウの頭を撫でて今度こそ廊下へと出た。


 局長室は、リュウと美奈のいる部屋の続き部屋になっているため、どうしても一度あの二人の部屋を通らなければならない。

 他にも局長室へと行ける道はあるのだが、研究部や獄牢部へ行くにはそっちの道は遠回りになってしまうのだ。

 ちなみにそっちの道も、部屋を突っ切ることになる。警備の問題ではないが、基本側近である三人以外にはあまり会わない構造になっているのだ。






 一時期に比べれば人通りの少なくなった廊下を進みつつ、最初の目的地である研究部へ。そのままノックも無しにドアを開け、勝手に室内に入る。

 実はノックしても、中のみんなはそれぞれ集中していて聞こえていないため、設立早々にノックの無意味さを嫌と言うほど実感したのは遠い記憶だ。


「ミシェイラ、いるー?」


 遠慮無しに声をかけた途端に、ザッ。と一斉に向けられる視線。しかし呼ばれたのが自分ではないと知ると、また各自の研究へと戻っていく。

 ここのこの対応はすべて、班長と副班長の努力の賜物だ。

 昔は声をかけたのが私と気付いただけで、全員手を止めて一斉に殺到してきたのだから……。


「はぁーい。長、あたしに何か用なのぉ?」


 その後の熱烈歓迎モードを思い出し、遠い目になっているとかけられる甘い声。

 大きく張りのある胸に、羽織る白衣の上からでも分かるほどの腰のくびれ。ふわふわと柔らかそうな金髪は邪魔にならないようにと一つに括られ、伸びた前髪の隙間から覗く瞳はトロリと潤んだ飴色。赤く艶やかな唇はぷっくりとほどよく肉が付いており、大体の男はこの外見でコロリと落ちるだろう。それほどの色気と美貌を持っている。


 だがそんな絶世の美貌を持つこの美女、実は中身は男だ。そして本名はミシェル。

 その事実を知っている者は少なく、さらにはミシェイラが男から女になった理由も今はどうでもいい……。


「姫から試薬のこと聞いた?」

「もちろんよぅ!あ……長が来たのって、それが理由なのぉ?」


 可愛らしく、小首を傾げる姿に頷く。

 中身が男だと理解していても可愛い。やっぱり本人の言うとおり、外見はすごく大事だ。


「試薬の使用許可は出したけど、まだ誰で試すのかは決めてないでしょ?」

「そーなのよねぇ。それを今から、ラッセのところに相談しに行こうと思ってたのよぉ」


 うふふ……。と微笑みながら、淡く頬を染める。

 その様はまさに恋する乙女そのものだが、残念ながらラッセージスはミシェイラの中身を知っている。

 それ故に、いつも副班長にミシェイラの相手を押しつけて本人は逃げているのだ。これにはリュウも、そうとう頭を悩ませているらしい……。


「その試薬なんだけどさ、私が使いたいな」

「ふぇ?長が?」

「そう。是非とも、私のストレス発散のために!」


 にっこりと笑顔を向ければ、若干顔を引き攣らせたミシェイラが「それならぁ……」と一つの小瓶を差し出す。

 それを受け取ると、ミシェイラはパパッ!と準備を整えすぐに私の側に戻ってくる。


「あれ?ここはいいの?」

「試薬の効果、威力、影響……その他諸々経過観察が必要よぅ?それにぃ、篭っているけれど班長もいるから心配ないわぁ」

「……今度は一体、何作ってるの?」

「さぁ?班長は機械専門だからぁ、あたしにはさっぱり?」


 そう、研究部の副班長であるミシェイラが「薬」を専門に研究するチームのリーダーなら、班長は「機械」を専門に研究するチームリーダーだ。もっぱら重宝されるのは、新しく発明された「機械」の方が多いのだが……。

 それでもどちらの存在も管理局になくてはならない存在で、私としてはどちらもすごく大切な存在。まぁ、トップ二人の仲は悪くないけどね。


「まぁ、何かしら出来れば報告するでしょ。じゃあ、獄牢部に行こうか」

「ふふっ。はぁーい」


 うきうきと弾んだ様子で隣を歩くミシェイラを見ながら、心の中でそっと手を合わせる。

 獄牢部には、すでにリュウから連絡が入っている。

 そして、ラッセージスは頭の回転がかなり良い。研究部に寄ってから。のくだりで、確実にミシェイラの存在を嗅ぎとるだろう。で、逃げる。副班長に押しつけて。

 私と一緒だから会えると思っているミシェイラには申し訳ないが、絶対にラッセージスには会えないだろう。これはもう、賭けてもいいくらいに確信を持っている。






 結論から言えば、結果は予想通り。

 獄牢部の第一室で待っていた人たちの姿を見つけた途端、ミシェイラは分かりやすく落ち込んだ。

 その反応に片方は苦笑し、もう片方はどことなくオロオロしている。

 苦笑している人物、獄牢部の副班長である幸都(ゆきと)に視線でラッセージスが逃げたのか確認すれば、首肯で返される。そうか、やっぱり幸都に押しつけ逃亡したか……。


「お待ちしていました、長。ミシェイラ。話はリュウ副事務長から聞いてます」


 にっこりと、笑みを張り付けながら告げる幸都。

 ちなみに、幸都もミシェイラを苦手としている。理由はラッセージスとは違うのだが、それでも早くこの場から立ち去りたいのだろう。告げる口調はいつもよりも早い。


「すでに、アーノルド・フィスは実験部屋へと移しております。後のことはすべて、このヒューバートに任せてありますから」


 最初から最後までにこにこと張り付けたような笑みを崩さず言い終えると、まだ仕事が残っていますから。と引き止める間もなく鮮やかに立ち去っていく。

 その姿に、ミシェイラは憂うように小さく息を吐き。


「どーして、ラッセも幸都もあたしから逃げようとするのかしらぁ……」

「あーと……誰にだって、苦手に感じる人はいるからね」

「苦手、かぁ……」


 ちょっと違うのだが、まぁ苦手でいいだろう。

 しかし現在はミシェイラを避けまくっているあの二人、かつてはミシェイラも含めて仲のよい友人だった。それ故に寂しい気持ちもあるのだろう。

 ラッセージスが避ける理由はともかく、幸都が苦手にしている理由を教えてしまってもいいのだが、言ってしまえばミシェイラはさらに落ち込むことになる。

 その状態では当然仕事など手に着かないだろうし、研究部の班長に元凶として何を言われるかわかったものではない。引き篭もりのクセに、よく口が回るのだ。


 ふっと息を吐き、慰めるように軽く背中を叩く。

 気付き、顔を上げるミシェイラに元気付けるようににっこりと微笑む。それで少しは気持ちが浮上したのだろう、笑顔を返してくる姿にほっと安堵すると、すべてを押しつけられ……もと言い任されこの場に残されたヒューバートにようやく向き直る。


「ごめんね、ヒュー。待たせたわね」

「いえ、全然気にしてないっス!ミシェイラ副班長も、ラッセージス班長と幸都副班長の態度は気にしない方がいいっスよ!」

「……うん、そーねぇ。ありがとう」


 ふわんとミシェイラが微笑めば、途端に顔を真っ赤に染め上げるヒューバート。

 若い故にミシェイラに対して免疫などなく、さらには部署も違う。ヒューバートの反応は至極当然なのだが、幹部たちが見れば騙されてるぞ!!と肩を掴んで揺すりたくなるのは何故だろう?元・男だって知らないからかな?


「え、えっと、それじゃあこっちっス」


 コホン。と一つ咳払いして気持ちを切り替えたらしく、ヒューバートが数有る中から一つのドアを開け促す。でもまだその顔は赤く、視線は全然ミシェイラを見れていない。

 気付きつつもあえて指摘することもなく、ヒューバートを先頭にドアをくぐる。




 獄牢部は先程の第一室……別名分岐室から部屋が無数に枝分かれして広がっている。

 そして「獄牢」の名前の通り、ここは罪人たちを収監する場所だ。まぁそれ以外にも、ある研究のために生け捕った猛獣なんかも押し込めてたりするのだが、それは今いい。

 しかも収監された罪人たちが脱走しないように。と、定期的にドアから繋がる部屋を変えている。

 そのため獄牢部の局員の案内なしでは、局長である私でさえも目的の部屋に着くことは出来ない。でも帰りは逆に、道案内がなくても平気なんだけどね。私と姫霧限定だけど。


 ヒューバートに案内されながら、いくつものドアをくぐりたどり着いた目的地である実験部屋。

 部屋の中央には今回の試薬の実験体であるアーノルド・フィスが、天井から伸びた鎖に両手足と繋がれている。

 その姿に自然と口元に笑みが浮かぶのがわかり、真っ直ぐにアーノルド・フィスの元へと歩み寄る。そして目の前で足を止めしゃがみ込めば、私の姿を認めた瞬間に淀んでいた瞳に光が戻る。

 ちなみにミシェイラとヒューバートは、私の邪魔をしないように。と壁際に移動し見守る姿勢だ。


「久しぶり、アーノルド」

「……ヴィヴィ?」


 驚いたように名前を呼んでくるアーノルドに、微笑みで肯定を。きっとアーノルドは、何で私がここにいるのかがわからないのだろう。

 当然だ。ヴィーヴィラ・メリオスが時空管理局の者だとは、誰にも教えていなかったのだから。


「何で、ヴィヴィがここに?いや、それはいい。俺をここから助けてくれ」


 壁際にいるミシェイラとヒューバートを気にしつつ、小声で告げられた言葉。

 その言葉に笑顔を保ったまま、アーノルド・フィスの前に一つの小瓶を掲げる。そう、今回使う試薬だ。


「もちろんよ、アーノルド。この薬を飲めば、ここから逃げることが出来るわ」


 当然この言葉は嘘。しかし嘘だと知らないアーノルド・フィスは、喜びと安堵した表情を見せる。

 あぁ、なんて愚かな男。

 ちらりと壁際の二人を見てみれば、ヒューバートは目に見えてガクガクと怯え、ミシェイラは顔色を青ざめさせている。その二人に共通する思いは私への「恐怖」。

 程度の差はあれど、私の持つ残虐さを知っているからだ。


「ヴィヴィ、早くその薬を……!」

「えぇ」


 蓋を開け、望むままに中身を飲ませる。

 見事にこの薬を警戒していない。いや、それ以前に私があの二人とともにやって来たことに対する疑問すら浮かんでいない。






 アーノルド・フィスは、ヴィーヴィラ・メリオスとして転生した私の幼馴染だ。

 ちなみにこの転生には、もちろん意味がある。

 アーノルド・フィスがいた世界で、大きな時空の歪みを発見した。と異界調査部の局員から報告が上がってきたのだ。しかも、局員の手に負えない代物である。と……。

 局員たちはまだしも、局長である私は世界に対して色々と制限が付けられている身。まだ最悪の事態まで十数年は余裕があることから、今回は転生しての事態の収拾にあたることに決まった。


 だが転生する。と言っても、私の場合そう簡単なことじゃない。

 まず私のような、強い力を持つ魂を受け入れられる肉体(器)を見つけることから始まる。そして見つけたのが、メリオス家の次女として生まれる胎児。

 その体ですらもギリギリ耐えられる。と言うほどの容量だったのだが、残念ながらその時にはその体しかなかったのだ。そうして生まれたのがヴィーヴィラ・メリオス。

 ただやはり、私の魂を受け入れるにはギリギリの容量だっただけあってか、体は普通よりも弱くベッドとお友達状態だった。


 アーノルド・フィスの家は、幼馴染というように当然隣に建っており、五歳年上の彼はよく寝たきりであったヴィーヴィラ・メリオスのお見舞いに顔を出してくれた。

 その時はまさかアーノルド・フィスが時空の歪みと関わることになるとは思っておらず、私は普通に彼を好ましく思っていた。だけど、もっと早くに気付けばよかったのだ。

 彼の持つ魔力は並外れて高かった。それこそ、時空……次元に干渉できるくらいには……。


 成長するにつれ、アーノルド・フィスは魔術師としてその実力を認められていった。それと比例するように、召還魔法の研究へと没頭しだしたのだ。

 あの世界は、大きな時空の歪みがあったせいか他の世界と干渉しやすく、また召還もしやすかった。局員たちがこれ以上歪みを広げないように。と時空を正そうとしていたのだが、ある時から一気に歪みは広がった。

 そして、気付いたのだ。

 人里離れた場所にあったいくつかの小さな歪みが引き寄せられ、大きな歪みと一つになったことに。その歪みが、住んでいる街のすぐ側に、固定されたことに。


 だけど、それだけではなかった。

 その固定された大きな歪みの中から、召還された魔物たちが大挙して街の中へと襲いかかったのだ。

 人々は悲鳴を上げ逃げまどい、あらがうすべなく魔物の牙と爪の餌食となり絶命していく。

 まさに地獄絵図と呼べる街の中を、私は襲ってくる魔物を魔法で倒しながら街の外へと向かった。

 本当は得意武器を使いたかったのだが、体が弱く寝たきりだった故に体力はなく、意識の反射速度に体の方が付いてこなかったために断念した。


 局員たちを先に歪みの元へと行かせ、私自身もそれからかなり遅れて街の外、歪みの元へと向かったときには思わず舌打ちをしてしまった。

 最悪なことに、そこには一番召還してはいけない魔物、時幻魔獣(じげんまじゅう)が召還されていたのだ。

 さらには先に来ていた局員たちから話を聞けば、時幻魔獣を召還したのが幼馴染であるアーノルド・フィスだと聞き愕然とした。どうして!?と思ったが、後で調べさせれば理由は簡単に判明した。

 ただ強い力を得たかったから。今以上に、魔術師として認められ、世界最強の魔術師になりたかったから。と。

 聞いた瞬間、それまでアーノルド・フィスにあった好感はすべて消え失せた。

 残ったのは、悪戯に時空の歪みを広げた事への罪と、時幻魔獣という世界を簡単に破壊できる魔物を召還した罪を持つ「罪人」という意識のみ。


 すでに召還師であるアーノルド・フィスは捕らえ、罪人の証である「捕獲印」を刻み警備隊へと突き出したらしい。

 残った時幻魔獣は、ヴィーヴィラ・メリオスとしての人生を犠牲にして私が倒した。局員に任せるよりは、私が相手した方が早いし確実だったからだ。

 ヴィーヴィラ・メリオスが死んで体を抜け出した後は、現場にいた局員たちと共に広がった時空の歪みを閉じた。完全ではなかったが、それでも後は局員たちに任せても大丈夫なほど小さくなったので時空管理局へと戻ったのだ。

 その後は冒頭の通りに、今回のこの騒動に対する後始末の数々。

 時空の歪みを広げただけだったのならあそこまで忙殺されることはなかったのだが、時幻魔獣を世界に呼び出したせいで一気に仕事は増えた。


 アーノルド・フィスが、人の作った法律にどう裁かれたのかは知らない。その必要はなかったから。

 それに、時空管理局があるこの次元では生き物は住めない。

 だから死んで、捕獲印を目印に捕らえられ、彼はこうしてここにいる。それだけで、私には十分。

 これから時空を侵した彼には、たっぷりと罰を受けてもらう。すでに死んでいるのだから、時間の経過など気にしなくてすむしね。






「ヴィヴィ、鎖も頼む」


 薬を全て飲み干し、壁際にいるミシェイラとヒューバートを気にしつつ小声で自分を戒める鎖を示すアーノルド・フィスに、私は表情を変えないまま動かない。


「ヴィヴィ……?」


 そんな私に流石に不信感を持ったのだろう、ようやく顔を顰める。でももう遅い。気付くならもっと早く、何故「逃げられる薬」を堂々と目の前で飲ませているのに、あの二人が動かないのかそれを疑問に思えば良かったのだ。

 私は笑顔を崩さぬまま、ヴィーヴィラ・メリオスとして生きていたときのように小首を傾げ問いかける。


「ねぇアーノルド、具合はどう?」

「……ヴィヴィ?一体何を……」


 変わらぬ私の様子に言いしれぬ不安が沸き上がってきたのだろう、表情を曇らせたアーノルド・フィスの顔が、次の瞬間大きく引き攣る体と共に両目が限界まで見開かれる。

 どうやら試薬の効果が出始めたらしい。それを確認し、ミシェイラが経過を観察しやすいように。と部屋の中央へと移動する。


「ヒッ……ギィ…!!ヴィ…ッ……にを、のませ……ッ!?」


 痛みか、苦しみか……どちらかわからないが、それから逃れようとするように腕を、体を動かすたびに拘束している鎖から不快な金属音が鳴り響く。


「ねぇ、アーノルド。痛い?苦しい?」

「……ハッ!グゥ……」

「教えて?どこが痛いの?どういうふうに苦しいの?」


 にこにこと無邪気に自覚症状を問いかけてみる。今の私の表情だけ見れば、アーノルド・フィスの知るヴィーヴィラ・メリオスそのままの表情だろう。

 だからこそ、余計にアーノルド・フィスには効果がある。

 妹のような幼馴染が、まるで知らない人のように思えてくるその恐怖。

 試薬の効果だけではつまらない。精神的にもいたぶってしまおう。


 そう考えているとボコッ!と不自然にアーノルド・フィスの両肩が跳ね、まるで体の内側から押し出しているかのようにボコボコとした膨らみは両腕へと広がっていく。

 あっ……。と思ったときには遅く、アーノルド・フィスの両腕は弾け肩から先は消失。

 飛び散る血潮は結界を張っていたために私たちにはかからず、変わりに天井と床を盛大に汚した。

 両腕の戒めが無くなり、倒れた床の上で獣じみた悲鳴を上げる。さらには腰のあたりも、先程のようにボコボコと膨らみ始める。

 だがそこは弾けることなく、しかし内蔵を破壊されたのだろう、ガフッ!と大量に吐血し、真っ赤に充血した両目からは血の涙を流し始めた。


「あらあらぁ~?」


 次々と現れる症状を素早く書き留めながら、ミシェイラは少し困ったように首を傾げる。


「効力、強過ぎちゃった?」

「生き物に使ったら、確実に即死の代物ね。もう少し効力を押さえて。後、内部からの爆発もしないように改良」


 全身を己が流した血で真っ赤に染めながら、なおものたうち回る姿を見つつそう告げながら溜め息を。

 試した試薬は、ストレス発散になるどころかあまりの効果の強さに、思わず唖然としてしまった。


「人格崩壊しそうなほどの苦しみを与えちゃダメでしょ。拷問にもならないし……」

「がんばって改良するわぁ……」


 虚ろな目をし始めたアーノルド・フィスを見ながら、私とミシェイラはそろって息を吐き出す。そして私は手にしていた試薬が入っていた瓶、現在空の瓶に力を込めて中に液体を作り出す。


「ミシェイラ、もう少しだけ経過を見ててね。で、終わったらこれを飲ませて」

「わかったわぁ。はぁ、失敗しちゃった……」


 瓶を受け取り、ガックリとうなだれるミシェイラの肩を慰めるように叩くと、壁際で見ているヒューバートに視線を向ける。


「ヒュー、悪いけどミシェイラを任せてもいいかしら」

「もちろんっス!長と姫霧補佐以外の人は、俺たちの案内がないと出れないっスからね」

「じゃ、後はお願いね」


 アーノルド・フィスの様子を観察ミシェイラと、壁際に寄ったままのヒューバートに手を振り実験部屋から出る。ヒューバートは手を振り替えしてくれたが、経過記録を取っているミシェイラは両手が塞がっているため、ただ軽く視線だけを向けてきた。

 そして実験部屋から出た先は、最初の部屋である分岐室。帰り道だけなら、こうして短縮できるのだ。

 そこから廊下へと出ると、局長室を出るときに姫霧に言われたとおりに今度は食堂へと向かった。


 ちなみに私がミシェイラに渡した液体は、飲んだ者の時間を巻き戻す効果のある薬。負った怪我やダメージはもちろん、失われた部分も元に戻せる。記憶にも効果はあるが、「痛みを受けた」記憶だけは消すことはない。

 この薬は、私だけが作り出すことが出来るものだ。そもそも薬を作るための手順も何もないので、ミシェイラたちが作り出すことは不可能。

 材料は私の「時空に関与する力」が元だし、それをちょっと加工して「時間を巻き戻す力」に変更したのがあの液体だ。

 そしてこの力は、局長である私だけが持っている力だ。

 まぁ、生まれつき……なんだけど、今はいい。説明するとさらに長くなるからね。






 食堂に入り前に、私は洗浄室で体を清める。医務室ほどじゃないけれど、食堂もやはり衛生は第一だ。

 むしろ洗浄室を経由しなければ、食堂には入れない。そういう作りだ。

 そしておいしいご飯を食べたことで心身共に満足し、残りの仕事を片付けるために局長室へと戻る。

 こんなことなら獄牢部へは行かず、最初から食堂に向かっていれば良かった。おいしいご飯は、それだけでストレスを溶かしてしまうのだから。


「お帰り主人」


 私が出ている間に掃除でもしたのだろう、随分とさっぱりした室内。そして笑顔で迎えてくれた姫霧に、私はぎゅうっ。と抱きついた。

 はぁ、落ち着く。ヴィーヴィラ・メリオスよりも大きくて柔らかな胸が、一番気持ちいい。いや、ヴィーヴィラ・メリオス以外の体であっても、姫霧以上の物は持っていない私なのだが……。


「ん?どうした?」

「ちょっと甘えたいー」


 ぐりぐりと、胸に頭を押しつける。

 そんな私に、姫霧はしょうがないな。と苦笑しながら頭を撫でてくれる。

 その手にうっとりとなりながらも、しかし本来は残った仕事を片付けにきたのだ。理性を総動員して姫霧から離れると、書類が乗った机に向かう。

 よしっ!と気合いを入れて仕事を始めると、休憩前よりも早く減っていく書類。

 休憩の最初の目的……アーノルド・フィスでのストレス発散は出来なかったが、しかしいい気晴らしにはなったようだ。

 今回の雪辱は次に回そう。アーノルド・フィスの刑期は始まったばかりだし、ストレス発散方法はいくらでもある。


「主人、笑顔が黒い」

「悪巧みしている顔と言って」


 ふふふっ。と笑みを浮かべる私に姫霧が呆れたような視線を向けるが、私は全く気にしていない。

 余計な仕事を増やしてくれた責任は、きっちりとってもらおう。美奈を誘ってもいいだろうしね。

 私の不興を買ったこと、絶対に後悔させてやるんだから。






「いや、すでに後悔しているだろう」


 そんな姫霧の呟きは、仕事に集中していた私には届いていなかった。





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