第15話
「すでに清掃を終えましたが、それらしい落とし物は見つかっておりません」
事態が複雑化する前に話を終わらせようと、クイナは慎重に言葉を選んだ。
「その女性、何も落としていないのでは? あるいは、ブラッスリーの紳士の勘違いである可能性も……」
「絶対に落とし物はなかった、と断言できるのか⁉︎」
興奮した様子で、ギブソン氏は声を荒げる。
「妻は嫉妬深い女なんだ。また私が浮気をしたと思ったら、容赦なく離婚届を突きつけてくるだろう。そうなったら私の事業への支援も絶たれ、部下たちは路頭に迷うことになる。多くの人間の人生が、一瞬にして瓦解するんだ。君はその責任を取れるのか⁉︎」
とうとう責任を押し付けられそうになり、クイナは閉口した。そろそろ付き合いきれなくなってくる。
また、と言うことは、ギブソン氏には前科があるらしい。それなのに女性を部屋に連れ込む時点で、自業自得の何ものでもないではないか。勝手に責任を押し付けないでほしい。
シーリンも同じ気持ちであるようで、いつもの素っ気ない表情のまま、声に棘を忍ばせる。
「お客様の荷物や戸棚の中に、物を隠された可能性もあるかと存じます。まずはそちらからお探しになってはいかがでしょうか」
「いや、彼女は荷物に触れていない。なにせ、常に隣で私が見ていたからな」
「……」
「や、やましいことはしていない!」
苦しい主張をふりかざして、氏は命じるように二人を指差す。
「いいから探せ! 妻が戻るまで、もう一時間もないんだ。それまでに、この部屋を隅から隅まで確認しろ!」
もう一度、クイナとシーリンは顔を見合わせた。
これはもう、ルームメイドの手には余る事態である。どうにか氏を宥めすかして、上の人間を呼ばなければ。
「あの、ギブソン様」
「そう言えば、廊下にも一人メイドがいたな。そいつにも手伝わせよう!」
ギブソン氏は聞く耳も持たず、さっさと廊下へ駆け出してゆく。「おい!」「きゃあ」と短いやり取りが聞こえたのち、氏が腕を引いて連れてきたのは噂の新入りラヴィニアだった。
「あの、これはいったいどういうことでしょう」
状況もわからぬ新入りは、おろおろと先輩メイドに救いを求める瞳を向けた。そんな彼女に、ギブソン氏は謎の女の概要を一方的に語り出す。
ああ、よりによってどうしてこの子を。
クイナは心の中で頭を抱えた。
ただでさえ、彼女は仕事に不慣れなお嬢様なのだ。こんな面倒ごとに巻き込まれては、「もういやだ」と泣き出されたっておかしくない。
どんな状況であっても、新人を導いてやるのが先輩メイドの役目である。なんとか彼女だけでも、この部屋から脱出させてやらなくては。
「――なるほど。女が残した痕跡、ですか」
ところがラヴィニアの表情は、クイナの思いに反してみるみるうちに落ち着きを取り戻していった。彼女は探偵のように「ふむ」と腕を組むと、まず部屋を見回し、次にギブソン氏をじっと見つめる。
「な、なにかね」
「襟元が乱れていらっしゃるようです。お手伝いしてよろしいですか」
と言うがいなや、ラヴィニアは勝手にギブソン氏の襟を正しはじめた。棒立ちになった氏のシャツを整え終えると、「うん」と確信を得たように深くうなずく。
「もしかしたら、その女性が部屋に残した〝落とし物〟の正体がわかったかもしれません」
ギブソン氏とクイナたちは、揃って目を見開いた。
ろくに部屋を見たわけでもないのに、話を聞いただけで落とし物がわかった?
魔法を使ったわけでもないのに、そんなことがありえるのだろうか。
「はじめに、その女性は熟練した別れさせ屋と予想されます」
別れさせ屋。普通に生きていたら一生口にすることのなさそうな単語が、なぜかラヴィニアの口から飛び出てくる。
そもそもそれは、どういう職業なのか。クイナたちは首を捻るが、ラヴィニアはごく当然の知識であるかのように話を進める。
「加えてその女は、あちこちのホテルで噂になるほどの犯行を重ねている。ならば一定レベルのホテルには清掃が入ることも、当然把握していることでしょう」
「だからなんだというのだね」
答えを急かすように、ギブソン氏が口を挟む。これにラヴィニアは、教師のような口ぶりで応えた。
「清掃があることを把握している――つまり女性が、ただ床やベッドに物を落とすような、安易な真似はしないだろうと考えられるのです。そんなことをすれば、清掃の段階でルームメイドに落とし物を発見されてしまいますから」
「つまり、私たちの目が届かない場所に物を隠したってこと?」
問いかけながら、クイナは考える。
自分たちが、清掃する際に確認しない場所とはどこだろう。
例えば装飾用の花瓶の中や、重い家具の下。あるいは絵画やカーペットの裏――
「その通りですが、難易度の高すぎる場所に物を隠すこともないでしょう。女の目的は、〝奥様に自分の痕跡を気取らせること〟なのですから」
「だとしたら、お客様のお荷物に紛れ込ませるしかありませんね」
静かに様子を見守っていたシーリンが、ギブソン氏に視線を送る。
「お客様の荷物や棚の中ならば、我々が触れることもありませんから」
「だから、それはないと言っただろう!」
氏はすぐさま反論する。だが最後に、聞き取れぬほどのかすかな声で「……たぶん」と付け加えた。
「いいえ、一箇所だけあるはずです。ギブソン様の前でも不自然なく女性が近づき、こっそり物を隠せる場所。そして我々ルームメイドが、触れることのない場所が」
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