第2話


 王室関係者や名俳優など多くの著名人に愛され、世界屈指のホテルと名高い〝ホテル・アルハイム〟。その発祥が九十八年前の人魔大戦時代までさかのぼることを、皆様はご存知だろうか。


 当時、魔大陸全土は第十三代魔王が統治する魔帝国の領土とされていた。しかし人類連合軍側の勝利によって大戦が終結すると、間もなく帝国は解体され、新たに十二の国家が誕生する。


 その際、生き延びた魔王一族の末裔も新たな国家の統治者となるが、彼らに残された領土は、魔王城を擁する旧魔帝国首都・アルハイムのみだった。

 しかも〝王〟を名乗ることを禁じられ、彼らはアルハイム公国の〝大公〟として、小さな国を統べることになる。かつて栄華を極めた一族にとって、これほど屈辱的な仕打ちはなかったことであろう。


 だがそこで、初代アルハイム大公は思いもよらぬ行動に出る。


 なんと、かつて恐怖の象徴であった魔王城を改築し、自らが総支配人を務める大型宿泊施設――ホテル・アルハイムを開業したのだ。


 この奇想天外な計画は、当時国内外から猛烈な批判を集めたという。


「化け物の城に客を泊めるなどありえない」「城の歴史的価値が失われる」「道楽に公費を使うとは何事か」など、寄せられる意見は多種多様。

 一時は『悪のホテルヴィランズホテルへようこそ!』という見出しと共に、〝化け物の口に笑顔で飛び込む成金客〟が描かれた風刺画が大きな話題を呼ぶほどだった。


 ――とは言え、その悪評も長くは続かなかった。


 壮麗で豪華絢爛な建築に、風味豊かな美食の数々。そしてきめ細やかなホスピタリティ。

 ホテル・アルハイムは、すべてが完璧だったのだ。


 夢のような城館ホテルの評判は瞬く間に広がり、やがて各国の王侯、資産家、文化人がこぞってホテルを訪れるようになった。

 以来、国際交流、ビジネス、芸術文化発展の場として、ホテル・アルハイムは客人たちに優雅な非日常を提供している。


 ホテル・アルハイムこそ、世界最高のホテルであると言っても過言ではないだろう。


 ――メルボ出版社『死ぬまでに泊まりたいホテル特集』より抜粋



◇・◇・◇


 ――共和暦1603年、冬。アルハイム公国、ホテル・アルハイムにて。


「ようこそ、ホテル・アルハイムへ。噂の〝悪役令嬢〟にお会いできるとは光栄です」


 晩冬のエルネシア湾を臨む巨大な城館。その一角に位置する応接室にて、青年がそっと胸に手を置いた。


「私は当ホテルの総支配人・ルードベルトと申します。従業員を代表して、お客様のご来城を心より歓迎いたします」


 そして、なめらかに頭を下げる。優美で一分の隙もない、完璧な所作だった。


「こちらこそ、お目にかかれて光栄だわ。ルードベルト・ローデングリア・アルハイム大公閣下」


 天鵞絨ビロードの椅子に腰掛けたまま、ラヴィニアは艶やかな笑みを返す。同時に、彼女の両手を縛る鉄枷が『じゃらり』と無骨な音を鳴らした。


「温かなおもてなし、痛み入ります。だけどそろそろ腕が疲れてきたの。これ、外してくださるかしら」

「申し訳ございません。従業員の話によると、あなたは非正規な方法で入国され、当ホテルに侵入――いえ、迷い込まれていたのだとか。他のお客様の安全のためにも、しばしそのままでご容赦ください」


 ラヴィニアの要求をさらりとはねのけながら、青年は「それと」と付け加える。


「どうぞ私のことは、ルードベルトとお呼びください。ホテル内では一職員としてお客様をお迎えしておりますので」

「……ええ。わかったわ、ルードベルト」


 少し考えて、ラヴィニアは素直に了承した。この程度の要求、はねのける必要もない。

 すると青年――ルードベルトは、さも嬉しそうに目を細める。黒髪の隙間から紫水晶アメジスト色の瞳がきらめいて、不覚にもラヴィニアの胸がトクンと高鳴った。


 ――驚いた。噂以上の美男子ね。


 ときめきを頭の隅に片づけながら、ラヴィニアは目の前の青年をそれとなく観察する。

 すらりとした長身に、甘やかな顔立ち。纏う空気はどこか静謐で、話す声は耳に心地良い。三揃えの礼服にはしわ一つ見当たらず、動作のすべてが洗練されていた。


 ――容姿などどうでもいいけれど。これほどの人物なら申し分ない。


 ラヴィニアには後がない。

 いま彼女が立っているのは、一歩踏み外せば破滅の底へと落ちる崖っぷち。その状況を打開するため、命からがらここまで辿り着いたのだ。

 なんとしても、この機会をモノにしなくては。


「ルードベルト。実は私、あなたにお願い事があってここまで来たの」

「私に? どういったご用件でしょうか」

「どうかこの私、ラヴィニア・バースタインと結婚してくれないかしら」

「…………ふむ」


 ここで取り乱さないのは、流石としか言いようがない。

 美しき総支配人はわずかに瞳の色を揺らしたが、《ラヴィニア》客の言葉に呆然とすることも、冗談だと笑い飛ばすこともなく、ただ思案するように長い指を顎に置いた。 


「まさか求婚されるとは思っておりませんでした。何やら事情があるご様子。理由をお聞かせ願えますか?」

「え、ええ。もちろんよ」


 話が早すぎる。この青年は、見た目以上に強かな人物のようだ。

 先手を取って仕掛けたつもりが逆に調子を狂わせられながら、それでも表面上は余裕たっぷりに、ラヴィニアは語り出すのだった。


「どうしても、復讐したい相手がいるの」

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