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 SAOにおいて、システム上で規定されるプレイヤー同士の関係は四種類存在する。

 まず一つは無関係の他人。二つ目がフレンドだ。フレンドリストに登録した者同士なら、どこにいようと簡単な文章のメッセージを送ることができるし、相手の現在位置をマップ上でサーチすることも可能となる。

 三つ目はギルドメンバー。上記の機能に加えて、せんとうにメンバーとパーティーを組むと戦闘力にわずかだがボーナスを得るという特典がある。そのだいしようとして、入手したコルのうち一定の割合でギルドへの上納金が差っ引かれてしまうのだが。

 さて、俺とアスナは今までフレンドとギルドメンバーという二つの条件を共有していた訳だが、二人ともギルドからは一時脱退し、かわりに最後の一つが加わることになった。

 結婚──と言っても手続きは拍子抜けするほど簡単だ。どちらかがプロポーズメッセージを送り、相手がじゆだくすればそれで終了である。だが、それによってもたらされる変化はフレンドやギルドの比ではない。

 SAOにおける結婚が意味するものは、簡潔に言えば全情報と全アイテムの共有だ。お互いは自由に相手のステータス画面を見ることができるし、アイテム画面に至っては一つに統合されてしまう。言わば最大の生命線を相手に差し出す行為であり、裏切りやの横行するアインクラッドではどんなに仲の良いカップルでも結婚にまで至る例はごくまれだ。男女比のはなはだしいきんこうも無論理由の一つではあるのだが。


 第二十二層は、アインクラッドで最も人口の少ないフロアの一つだ。低層であるがゆえに面積は広いが、その大部分は常緑樹の森林と無数に点在する湖に占められており、主街区もごく小さな村と言ってよい規模だ。フィールドにモンスターは出現せず、迷宮区の難度も低かったためわずか三日で攻略されてしまい、プレイヤーのおくにはほとんど残らなかった。

 おれとアスナはその二十二層の森の中に小さなログハウスを購入し、そこで暮らすことにした。小さいと言ってもSAOで一軒家を買うのは並大抵の金額では済まない。アスナはセルムブルグの部屋を売ると言ったのだが、それには俺が強硬に反対し──あそこまで見事にカスタマイズされた部屋を手放すのはもつたいいどころの話ではない──、結局二人の手持ちのレアアイテムを、エギルの協力を得てすべて売りさばきどうにか金を工面することができた。

 エギルは残念そうな顔で好きなだけ二階を使っていいんだぜ、と言ってくれたが、雑貨屋にそうろうの新婚生活ではあまりにわびしすぎる。それに、超有名プレイヤーのアスナが結婚したなどということが公になったらどんなさわぎになるか、想像するのも恐ろしい。人のいない二十二層でなら、しばらくは静かな生活を送れるだろうと思ったのだ。


「うわー、いい眺めだねえ!」

 寝室、と言っても二部屋しかないのだが、その南側の窓を大きく開け放ってアスナは身を乗り出した。

 確かに絶景だ。外周部が間近にあるため、かがやく湖面と濃緑の木々の向こうに大きく開けた空を一望することができる。だん、頭上百メートルにのしかかる石のふたの下で生活しているので、間近にある空がもたらす開放感は筆舌に尽くしがたいものがある。

「いい眺めだからってあんまり外周に近づいて落っこちるなよ」

 俺は家財道具アイテムを整理する手を休め、背後からアスナの体に両腕をまわした。この女性は今や俺の妻なのだ──そう思うと、冬の陽だまりのような温かさと同時に不思議なかんがい、なんと遠いところまで来てしまったのだろうというおどろきに似た気持ちがき上がってくる。

 この世界にとらわれるまで、俺は目的もなく家と学校を往復する日々を送るだけの子供だった。しかしはや現実世界ははるかに遠い過去となってしまった。

 もし──もしこのゲームがクリアされ、元の世界に帰ることになったら……。それは俺やアスナを含む全プレイヤーの希望であるはずなのだが、その時のことを考えると正直不安になる。俺は知らず知らずアスナを抱く腕に強く力を込めていた。

「痛いよキリト君……。どうしたの……?」

「ご……ごめん……。なあ、アスナ……」

 いつしゆんくちもる。だがどうしても聞かずにはおれなかった。

「……おれたちの関係って、ゲームの中だけのことなのかな……? あの世界に帰ったら無くなっちゃう物なのかな……」

「怒るよ、キリト君」

 振り向いたアスナは、純粋な感情が燃えるひとみをひたと向けてきた。

「たとえこれが、こんな異常事態じゃない普通のゲームだとしても、わたしは遊びで人を好きになったりしない」

 両手で俺のほおをぎゅっと挟みこむ。

「わたし、ここで一つだけ覚えたことがある。あきらめないで最後まで頑張ること。もし元の世界に戻れたら、わたしは絶対キリト君ともう一度会って、また好きになるよ」

 アスナのまっすぐな強さに感嘆するのは何度目だろう。それとも俺が弱くなっているのか。

 だが、それでもいい。だれかにたより、支えてもらうのがこんなにも心地よいということを長い間忘れていた。いつまでここに居られるのかはわからないが、せめて戦場をはなれている間くらいは──。

 俺は思考が拡散していくに任せ、ただ腕の中の甘い香りと柔らかさだけに意識を集中させた。

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