16
アスナはグランザムで待っている間ずっと、
ゴドフリーの反応が消失した時点で街を出て走り出したというから、俺たちが一時間かけて歩いた
俺たちはギルド本部に戻るとヒースクリフにことの
本部を出ると街はすでに夕景だった。俺たちは手を
二人とも無言だった。
浮遊城外周から差し込むオレンジ色の光を背景にして、黒々としたシルエットを描き出す鉄塔群の間をゆっくりと歩きながら、俺は、死んだあの男の悪意はどこから来たのだろうとぼんやり考えていた。
この世界において好んで悪事を犯す者は
しかし改めて考えてみるとそれは奇妙なことだ。なぜなら、犯罪者として
だが、俺はクラディールという男を見て、それも違うと感じた。
しかし、ならばこの俺はどうなのだろう。自分が真剣にゲームクリアという目標を志向しているのかどうか、自信を持って断言することはできない。ただの
不意に足元の鋼鉄板が
「…………?」
小首をかしげて
「……君は……何があろうと
「…………」
今度はアスナがぎゅっと手を握ってきた。
「帰る時は二人
にこりと笑う。
いつのまにか転移門広場の入り口まで来ていた。冬の訪れを予感させる冷たい風の中、身をかがめるようにわずかなプレイヤーたちが行き交っている。
俺はアスナにまっすぐ向き直った。
彼女の
「アスナ……今夜は、一緒にいたい……」
無意識のうちにそんなことを口にしていた。
彼女と
今夜独りで眠れば、必ず夢に見るに違いない。あの男の狂気と、突き刺さる剣と、そして肉に埋まる右腕の感触を。そんな確信があった。
俺の言葉に込められた意味を感じ取ったらしく、アスナは見開いた目で俺をじっと見つめていたが──
やがて、
二度目に訪れたセルムブルグのアスナの部屋は、相変わらず
「わ、わあー、散らかってるなぁ、最近あんまり帰ってなかったから……」
てへへ、と笑いながら手早くそれらの物を片付けてしまった。
「すぐご飯にするね。キリト君は新聞でも見ながら待ってて」
「う、うん」
武装解除してエプロン姿になり、キッチンに消えていくアスナを見送って、俺はふかふかのソファに腰を下ろした。テーブルの上の大きな紙片を取り上げる。
新聞、と言っても、情報屋を
【新スキル・二刀流使い現れるも神聖剣の前にあっけない敗北】というその見出しの下には、ご
だがまあこれで、大したことない、という評価が下されれば
夕食は、牛型モンスターの肉にアスナ・スペシャルの
食後のお茶をソファに向かい合わせで座りながらゆっくりと飲むあいだ、アスナはやけに
俺は半ばあっけに取られて聞いていたが、アスナが突然
「……お、おい、一体どうしたん……」
だが、俺の言葉が終わらないうちにアスナは右手のカップを音高くテーブルに置くと、
「…………よし!!」
気合をいれながらすっくと立ち上がった。そのまま
今は濃紺色に見える長い髪、チュニックからすらりと伸びた真っ白な肌の手足、それらが淡い光を反射してまるで自ら発光しているかのようだ。
アスナはしばらく無言で窓際に
状況を理解できないまま俺が声をかけようとした時、アスナの左手が動いた。宙にかざした手の人差し指を軽く振る。ポーン、という効果音と同時にメニューウインドウが出現した。
青い闇のなか、紫色のシステムカラーに発光するその上を、ゆっくりとアスナの指が動く。どうやら左側、装備フィギュアを操作しているらしい──
と思った
アスナは今や下着を身につけているのみだった。白い小さな布が、申し訳程度に胸と腰を隠している。
「こ、こっち……見ないで……」
アスナは両腕を体の前で組み合わせてもじもじしていたが、やがて顔を上げてまっすぐこちらを見ると、優美な動作で腕を下ろした。
俺は
美しいなどというものではない。青い光の粒をまとった
単なる3Dオブジェクトなどでは決してない。たとえれば、神の手になる彫像に魂を吹き込んだようなと言うべきか──。
SAOプレイヤーの肉体は、初回ログイン時にナーヴギアが大まかにキャリブレーションを取ったデータをもとに半ば自動生成的に作られている。それを考えれば、ここまで完璧な美しさを持つ肉体が存在するのは奇跡と言ってよい。
俺は
アスナは、
「き、キリト君もはやく脱いでよ……。わたしだけ、は、恥ずかしいよ」
その声に、俺はようやくアスナの行動の意図するところを理解した。
つまり、彼女は──俺の、今夜
それを理解すると同時に俺は底なしの深いパニックに陥った。結果、これまでの人生で最大級のミスを犯すこととなった。
「あ……いや、その、俺は……ただ……今夜、い、一緒の部屋に居たいという、それだけの……つもりで……」
「へ……?」
自分の思考を
「バ……バ……」
握り
「バカ──────ッ!!」
「わ、わあー、待った!! ごめん、ごめんって! 今のナシ!」
構わず
「悪かった、俺が悪かった!! い……いや、しかし、そもそもだなぁ……。その……で、できるの……? SAOの中で……?」
ようやく攻撃姿勢をやや解除したアスナが、怒りの冷めやらぬ中にも
「し、知らないの……?」
「知りません……」
すると、
「……その……オプションメニューの、すっごい深いとこに……《倫理コード解除設定》があるのよ」
まるで初耳だった。ベータの時には間違いなくそんな物はなかったし、マニュアルにも載っていない。ソロプレイに
だが、その話は
「……その……け、経験がおありなんです……?」
再びアスナの
「な、ないわよバカ────ッ!! ギルドの子に聞いたの!!」
俺は慌てて平伏しつつ謝りに謝り続け、どうにか
テーブルの上にたった一つだけ
アスナは
「悪い、起こしちゃったな」
「ん……。ちょっとだけ、夢、見てた。元の世界の夢……。おかしいの」
笑顔のまま、俺の胸に顔をすりよせてくる。
「夢の中で、アインクラッドのことが、キリト君と会ったことが夢だったらどうしようって思ってとっても怖かった。よかった……夢じゃなくて」
「変な
「帰りたいよ。帰りたいけど、ここで過ごした時間がなくなるのは
ふと真顔になり、肩に掛かる俺の右手を取ると、胸にきゅっと抱いた。
「…………ごめんね、キリト君。ほんとなら……ほんとなら、わたしが決着をつけなきゃ、いけなかったのに……」
俺は小さく息を吸い、すぐに長く
「いや……、クラディールが
アスナの
ヘイゼルの瞳に薄く涙を
「わたしも……背負うから。君が背負ってるもの、全部
それこそは──。
かつての俺が、今に至るまでついに一度として口にできなかった言葉だった。しかしこの
「……俺も」
ごくごくかすかな声が、
「俺も、君を守るよ」
そのひと言は、情けないほどに小さく、
「アスナは……強いな。俺よりずっと強い……」
すると、ぱちくりと
「そんなことないよ。わたし、もともと向こうじゃ、いつも
何かを思い出したようにくすくす笑う。
「お兄ちゃんが買ったんだけどね、急な出張になっちゃって、わたしが初日だけ遊ばせてもらうことになったの。すっごい
身代わりになったアスナのほうが不運だと思うが、ここは
「……早く帰って、謝らないとな」
「うん……。がんばらないとね……」
だが、言葉とは裏腹に
「ね……キリト君。さっき言ったことと矛盾するようだけど……ちょっとだけ、前線から
「え……?」
「なんだか怖い……。こうして、やっと君と気持ちが通じ合ったのに、すぐ戦場に出たら、またよくないことが起きそうで……。ちょっと、疲れちゃったのかもしれない」
アスナの髪をそっと
「そうだな……。俺も、疲れたよ……」
たとえ数値的なパラメータが変化しなくても、日々の連戦は目に見えない
俺は、今まで己を
アスナの体に両腕をまわし、絹のような髪に顔をうずめながら俺は言った。
「二十二層の南西エリアの、森と湖がいっぱいあるとこ……あそこに小さい村があるんだ。モンスターも出ないし、いい所だよ。ログキャビンがいくつか売りに出てた。……二人でそこに引っ越そう。それで……」
言葉に詰まった
「それで……?」
こわばった舌をどうにか動かし、続きを口にする。
「……け、結婚しよう」
アスナが見せた最上級の笑顔を、俺は生涯忘れないだろう。
「……はい」
そっと
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