15
「……どういうことだ」
「ウム。君らの間の事情は承知している。だがこれからは同じギルドの仲間、ここらで過去の争いは水に流してはどうかと思ってな!」
ガッハッハ、と大笑するゴドフリーを
「…………」
全身を
だが、俺の予想を裏切ってクラディールは突然ぺこりと頭を下げた。ボソボソした聞き取りにくい声が、垂れ下がった前髪の下から流れる。
「先日は……ご迷惑をおかけしまして……」
俺は今度こそ腹の底から
「二度と無礼な
陰気な長髪に隠れて表情は見えない。
「あ……ああ……」
俺はどうにか
「よしよし、これで一件落着だな!!」
再びゴドフリーがでかい声で笑った。
しばらくすると残り一人の団員もやってきて、俺たちは迷宮区目指して出発することになった。歩き出そうとした俺を、ゴドフリーの野太い声が引き止める。
「……待て。今日の訓練は限りなく実戦に近い形式で行う。危機対処能力も見たいので、諸君らの結晶アイテムは
「……転移結晶もか?」
俺の問いに、当然と言わんばかりに頷く。俺はかなりの抵抗を感じた。クリスタル、特に転移用のものは、このデスゲームにおける最後の生命線と言ってよい。俺はストックを切らせたことは一度も無かった。拒否しようと思ったが、ここでまた波風を立てるとアスナの立場も悪くなるだろうと考え言葉を
クラディールと、もう一人の団員がおとなしくアイテムを差し出すのを見て、
「ウム、よし。では出発!」
ゴドフリーの号令に従い、四人はグランザム市を出て
五十五層のフィールドは植物の少ない乾いた荒野だ。俺はとっとと訓練を終わらせて帰りたかったので迷宮まで走っていくことを主張したが、ゴドフリーの腕の一振りで退けられてしまった。どうせ筋力パラメータばかり上げて
何度かモンスターに
やがて、
「よし、ここで一時休憩!」
ゴドフリーが野太い声で言い、パーティーは立ち止まった。
「…………」
一気に迷宮を突破してしまいたかったが、異を唱えてもどうせ聞き入れられまいとため息をつき、手近の岩の上に座り込む。時刻はそろそろ正午を回ろうとしていた。
「では、食料を配布する」
ゴドフリーはそう言うと、革の包みを四つオブジェクト化し、一つをこちらに放ってきた。片手で受け取り、さして期待もせず開けると、中身は水の
本当ならアスナの手作りサンドイッチが食えるはずだったのに、と内心で不運を
その時ふと、一人
いったい、何を見ている……?
突然、冷たい
俺はとっさに水の瓶を投げ捨て、口にある液体の感触も
だが、遅かった。不意に全身の力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。視界の右隅に自分のHPバーが表示される。そのバーは、
間違いない。
見れば、ゴドフリーともう一人の団員も同様に地面に倒れ、もがいている。俺は
「クッ……クックックッ……」
「クハッ! ヒャッ! ヒャハハハハ!!」
「ど……どういうことだ……この水を用意したのは……クラディール……お前……」
「ゴドフリー!! 速く解毒結晶を使え!!」
俺の声に、ゴドフリーはようやくのろのろとした動作で腰のパックを探り始めた。
「ヒャ────ッ!!」
クラディールは奇声を上げると岩の上から飛び出し、ゴドフリーの左手をブーツで
万事休すだ。
「クラディール……な、何のつもりだ……? これも何かの……訓練なのか……?」
「バァ────カ!!」
まだ事態を
「ぐはっ!!」
ゴドフリーのHPバーがわずかに減少し、同時にクラディールを示すカーソルが黄色から犯罪者を示すオレンジに変化した。だが、それは事態に何ら
「ゴドフリーさんよぉ、
クラディールの甲高い声が荒野に
「あんたにも色々言ってやりたいことはあるけどなぁ……オードブルで腹いっぱいになっちまっても困るしよぉ……」
言いながら、クラディールは両手剣を抜いた。
「ま、まてクラディール! お前……何を……何を言ってるんだ……? く……訓練じゃないのか……?」
「うるせえ。いいからもう死ねや」
ゴドフリーはようやく事態の深刻さに気付いたらしく、大声で悲鳴を上げ始めた。だが、いかにも遅すぎた。
二度、三度、
さすがに殺すまではしないのか、と
「ぐあああああああ!!」
「ヒャハアアアアア!!」
俺ともう一人の団員が声も無く見つめる中、クラディールの剣がゴドフリーを貫通して地面に達し、同時にHPがあっけなくゼロになった。多分、無数の砕片となって飛び散るその
クラディールは地面に突き刺さった大剣をゆっくり抜くと、機械じかけの人形のような動きで、ぐるんと首だけをもう一人の団員のほうに向けた。
「ヒッ!! ヒィッ!!」
短い悲鳴を上げながら、団員は逃げようと
「……お前にゃ何の恨みもねえけどな……俺のシナリオだと生存者は俺一人なんだよな……」
ボソボソと言いながら、再び剣を振りかぶる。
「ひぃぃぃぃっ!!」
「いいか~? 俺たちのパーティーはァー」
団員の悲鳴に耳も貸さず、剣を打ち下ろした。
「荒野で犯罪者プレイヤーの大群に
もう一度。
「勇戦空しく三人が死亡ォー」
さらにもう一度。
「俺一人になったものの見事犯罪者を
四撃目で団員のHPバーが消滅した。全身が
初めてじゃないな……。
クラディールがとうとう視線をこちらに向けた。その顔には抑えようのない歓喜の色が張り付いている。右手の大剣を地面に引きずる
「よォ」
「おめぇみてえなガキ一人のためによぉ、関係ねえ奴を二人も殺しちまったよ」
「その割にはずいぶんと
答えながらも、俺は必死に状況を打開する方法を考えていた。動くのは口と左手だけだ。
「お前みたいな奴がなんでKoBに入った。犯罪者ギルドのほうがよっぽど似合いだぜ」
「クッ、決まってんじゃねぇか。あの女だよ」
「貴様……!」
「そんなコエェ顔すんなよ。
クラディールは
「それによ。おめぇさっきおもしれー事言ったよな。犯罪者ギルドが似合うとかなんとか」
「……事実だろう」
「
くくくく。
「…………!!」
そこにあったものを見て──俺は激しく
タトゥーだ。カリカチュアライズされた
「その……エンブレムは……《
《ラフィン・コフィン》。それは、かつてアインクラッドに存在した、最大最凶の
一度は対話による解決も
討伐チームには俺もアスナも参加したが、しかしどこからか情報が
「これは……
掠れた声で
「ハッ、
かくん、と機械じみた動作で立ち上がり、クラディールは音を立てて大剣を握りなおした。
「おしゃべりもこの辺にしねえと毒が切れちまうからな。そろそろ仕上げと行くかァ。デュエルん時から、毎晩夢に見てたぜ……この
ほとんど真円にまで見開かれた目に
その体が動き始める寸前、俺は左手に握り込んだ
「……ってえな……」
クラディールは鼻筋に
「……っ!」
痛みはない。だが、強力な麻酔をかけた上で神経を直接刺激されるような不快な感覚が全身を駆け巡る。剣が腕を
まだか……まだ毒は消えないのか……。
歯を食い
クラディールは一度剣を抜くと、今度は左足に突き下ろしてきた。再び神経を
「どうよ……どうなんだよ……。もうすぐ死ぬってどんな感じだよ……。教えてくれよ……なぁ……」
クラディールはささやくような声で言いながら、じっと
「なんとか言えよガキィ……死にたくねえって泣いてみろよぉ……」
俺のHPがとうとう五割を下回り、イエローへと変色した。まだ
俺は今まで、SAO内で何人ものプレイヤーの死を
そう、多分俺たちは皆心のどこかでは、このゲームの大前提となっているルール、ゲーム内での死が
HPがゼロになって消滅すれば、実は何事も無く現実世界へと帰還できるのではないか──という希望に似た予測。その
「おいおい、なんとか言ってくれよぉ。ホントに死んじまうぞォ?」
クラディールの剣が脚から抜かれ、腹に突き立てられた。HPが大きく減少し、赤い危険域へと達したが、それもどこか遠い世界の出来事のように思えた。剣によって
だが──。突然俺の心臓を途方もない恐怖が
アスナ。彼女を置いてこの世界から消える。アスナがクラディールの手に落ち、俺と同じ責め苦を受ける。その可能性は耐えがたい痛みとなって俺の意識を
「くおっ!!」
俺は両目を見開き、自分の腹に突き刺さっていたクラディールの剣の刀身を左手で摑んだ。力を振り絞り、ゆっくりと体から抜き出す。HPは残り一割弱。クラディールが
「お……お? なんだよ、やっぱり死ぬのは怖えェってかぁ?」
「そうだ……。まだ……死ねない……」
「カッ!! ヒャヒャッ!! そうかよ、そう来なくっちゃな!!」
クラディールは怪鳥じみた笑いを
その結果──剣先は徐々にだが、確実な速度で再び下降し始めた。
ここまでなのか。
死ぬのか。アスナを一人、この狂った世界に残して。
近づいてくる
「死ね────ッ!! 死ねェェェ─────ッ!!」
金切り声でクラディールが絶叫する。
一センチ、また一センチと、
その時、一陣の
白と赤の色彩を持った風だった。
「な……ど……!?」
「……間に合った……間に合ったよ……神様……間に合った……」
「生きてる……生きてるよねキリト君……」
「……ああ……生きてるよ……」
俺の声は自分でも
「……待っててね。すぐ終わらせるから……」
ささやいて、アスナはすっくと立ち上がった。優美な動作で腰から細剣を抜き、歩き出す。
その向かう先では、クラディールがようやく体を起こそうとしていた。近づいてくる人影を認め、両目を丸くする。
「あ、アスナ様……ど、どうしてここに……。い、いや、これは、訓練、そう、訓練でちょっと事故が……」
バネ仕掛けのように立ち上がり、裏返った声で言い
「ぶぁっ!!」
クラディールが片手で口を押さえて仰け反る。
「このアマァ……調子に乗りやがって……。ケッ、ちょうどいいや、どうせオメェもすぐに
だがその
「おっ……くぉぉっ……!」
両手剣で必死に応戦するが、それは戦いと呼べる物ではなかった。アスナの
美しかった。
「ぬぁっ! くぁぁぁっ!!」
半ば恐慌を
「わ、
そのまま地面に
「も、もうギルドは辞める! あんたらの前にも二度と現れねぇよ!! だから──」
ゆっくりと細剣が掲げられ、
しなやかな右腕が
「ひぃぃぃっ! 死に、死にたくねえ────っ!!」
がくっ、と見えない障壁にぶつかったかのように切っ先が
アスナの
彼女は、俺の知る限り、まだこの世界でプレイヤーの命を奪ったことがない。そして、この世界で
──そうだ、やめろアスナ。君がやっちゃいけない。
内心でそう叫ぶと同時に、俺はまったく正反対のことも考えていた。
──だめだ、
俺の予測は、コンマ一秒後に現実となった。
「ッヒャアアアアア!!」
土下座していたクラディールが、いつの間にか握りなおしていた大剣を、
ぎゃりいいん、という金属音とともにアスナの右手からレイピアが
「あっ……!?」
短い悲鳴を
「アアアア甘ぇ────んだよ副団長様アアアアアア!!」
狂気を
「う……おおおおあああ!!」
がすっ。
と
血液じみた鮮紅色の光点を切断面から無数に振り撒きながら、俺は右手の五指を
その手刀を分厚いアーマーの継ぎ目へと突き込んだ。イエローの輝きを帯びた腕が、湿った感触とともにクラディールの腹を深く貫いた。
カウンターで命中した体術スキル零
大剣が地面に落ちる音に続いて、左の耳元で、
「この……人殺し野郎が」
くくっ、と
クラディールは、その全存在を無数の
やがて、不規則に
アスナは
「……ごめんね……わたしの……わたしのせいだね……」
悲痛な表情で、震える声を絞り出した。大きな目から涙が
「アスナ……」
「ごめんね……。わたし……も……もう……キリト君には……あ……会わな……」
ようやく感覚の戻ってきた体を、
「……!」
アスナは全身を硬くし、両手を使って俺を押しのけようと
しかし俺は両腕をわずかにも
「俺の命は君のものだ、アスナ。だから君のために使う。最後の瞬間まで
三分間の部位欠損ステータスが課せられたままの左腕でいっそう強く背中を引き寄せると、アスナは
「……わたしも。わたしも、絶対に君を守る。これから永遠に守り続けるから。だから…………」
その先は言葉にならなかった。固く抱き合ったまま、俺はいつまでもアスナの
触れ合う全身から伝わる熱が、凍った体の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます