七十四層の《迷宮区》にせいそくする強敵リザードマンロードとの単独せんとうを終え、帰り道と遠いおくを同時に辿たどりながら十分ほども歩いたおれは、前方に出口の光をみいしてほっと息をいた。

 物思いを振り払い、早足で通路から出ると、清新な空気を胸いっぱいに吸い込む。

 眼前には、うっそうと茂る暗い森を貫いて一本の小路が伸びている。背後を仰ぎ見れば、今出てきたばかりの迷宮区が、夕暮れに染まる巨体を遥か上空──正確には次層の底までそびえさせている。

 城の頂点を目指す、というゲームの構造上、この世界のダンジョンは地下迷宮ではなく巨大な塔の形を取っている。しかし、内部には野外フイールドよりも強力なモンスター群がはいかいし、さいおうには恐ろしいボスモンスターが待つ、という定型は変わらない。

 現在、この七十四層迷宮区は約八割が攻略──つまりマッピングされている。おそらくあと数日でボスの待つ大広間が発見され、大規模な攻略部隊が編成されることだろう。そこには、ソロプレイヤーである俺も参加することになる。

 期待と気詰まりを同時に感じる自分に小さく苦笑し、俺は小路を歩き出した。

 現在のおれのホームタウンは、五十層にあるアインクラッドで最大級の都市《アルゲード》だ。規模から言えばはじまりの街のほうが大きいが、あそこは今や完全に《軍》の本拠地となってしまっているので立ち入りにくい。

 夕暮れの色が濃くなった草原を抜けると、節くれだった古樹が立ち並ぶ森が広がっている。その中を三十分も歩けば七十四層の《主街区》があり、そこの《転移門》から五十層アルゲードへといつしゆんで移動することができる。

 手持ちの瞬間転移アイテムを使えばどこからでもアルゲードへ帰還することができるが、いささか値が張るものできんきゆうの時以外は使いにくい。まだ日没までは少々間があるし、一刻も早くねぐらに転がり込みたいというゆうわくを振り払って、俺は森の中へと足をみ込んだ。

 アインクラッド各層の最外周部は、数箇所の支柱部以外は基本的にそのまま空へと開かれた構造になっている。角度が傾きそこから直接差し込んでくる太陽光が、森の木々を赤く燃え立たせていた。幹の間を流れる濃密なきりの帯が、残照を反射してきらきらとあやしくかがやく。日中はやかましかった鳥の声もまばらになり、吹き抜ける風がこずえを揺らす音がやけに大きくひびく。

 このへんのフィールドに出没するモンスターには、寝ぼけていても遅れを取らないレベルだとわかっていても、ゆうやみの深まるこの時間帯はどうしても不安を抑えることができない。幼いころ、帰り道に迷い立ち尽くした時に似た感覚が胸に満ちる。

 だが俺はこの気分がきらいではない。あの世界に住んでいた頃は、こんな原始的な不安はいつしか忘れ去ってしまっていた。見渡す限りだれもいない荒野を単身さすらう孤独感、これこそまさにRPGのだいというもので──。

 ノスタルジックなかんがいにとらわれていた俺の耳に、不意に聞き覚えのないけものの鳴き声がかすかに届いた。

 高くんだ、草笛のような一瞬の響き。俺はぴたりと足を止めると、慎重に音源の方向を探った。聞きなれない、あるいは見なれないものの出現は、この世界ではイレギュラーな幸運か不運どちらかの訪れを意味する。

 ソロプレイヤーの俺は《さくてきスキル》をきたえている。このスキルは不意打ちを防ぐ効果ともう一つ、スキル熟練度が上がっていれば隠蔽ハイデイング状態にあるモンスターやプレイヤーを見破る能力がある。やがて、十メートルほどはなれた大きな樹の枝かげに隠れているモンスターの姿が視界に浮き上がった。

 それほど大きくはない。木の葉にまぎれる灰緑色の毛皮と、体長以上にながく伸びた耳。視線を集中すると、自動でモンスターがターゲット状態となり、視界に黄色いカーソルと対象の名前が表示される。

 その文字を見たたん俺は息を詰めた。《ラグー・ラビット》、超のつくレアモンスターだ。

 実物は俺も初めて見る。その、樹上に生息するもこもこしたウサギはとりたてて強いわけでも経験値が高いわけでもないのだが──。

 おれは腰のベルトから、そっととうてき用の細いピックを抜き出した。俺の《投剣スキル》はスキルスロットの埋め草的に選択しているだけで、それほど熟練度が高くない。だがラグー・ラビットの逃げ足の速さは既知のモンスター中最高と聞き及んでおり、接近して剣でのせんとうに持ち込める自信はなかった。

 相手がこちらに気付いていない今ならばまだ、一回だけ先制攻撃フアーストアタツクのチャンスがある。俺は右手にピックを構えると、祈るような気持ちで投剣スキルの基本技《シングルシュート》のモーションを起こした。

 いかにスキル練度が低くとも、てつていてききたえたびんしようパラメータによって補正された俺の右手は稲妻のようにひらめき、放たれたピックはいつしゆんかがやきを残してこずえの陰に吸い込まれていった。こうげきを開始したたんにラビットの位置を示していたカーソルは戦闘色の赤に変わり、その下にやつのHPバーが表示されている。

 ピックの行く末を見守る俺の耳に、ひときわかんだかい悲鳴が届き──HPバーがぐい、と動いてゼロになった。ポリゴンが破砕する聞き慣れた硬質な効果音。思わず左手をぐっと握る。

 即座に右手を振り、メニュー画面を呼び出す。パネルを操作する指ももどかしくアイテムらんを開くと、果たして新規入手品の一番上にその名前があった。《ラグー・ラビットの肉》、プレイヤー間の取引では十万コルは下らないというしろものだ。最高級のオーダーメイド武器をしつらえても釣りが来る額である。

 そんな値段がつく理由はいたって単純。この世界に存在する無数の食材アイテムの中で、最高級の美味に設定されているからだ。

 食べることのみがほとんど唯一の快楽と言ってよいSAO内で、だん口にできるものと言えば欧州田舎いなかふう──なのか知らないが素朴なパンだのスープばかりで、ごく少ない例外が、料理スキルを選択している職人プレイヤーが少しでも幅を広げようと工夫して作る食い物なのだが、職人の数が圧倒的に少ない上に高級な食材アイテムが意外に入手しにくいという事情もあっておいそれと食べられるものでもなく、ほとんどすべてのプレイヤーはまんせいてきに美味にえているという状況なのだ。

 もちろん俺も同様で、行きつけのNPCレストランで食うスープと黒パンの食事も決してきらいではないが、やはりたまには軟らかく汁気たっぷりの肉を思い切りほおってみたいという欲求にさいなまれる。俺はアイテム名の文字列をにらみながらしばしうなった。

 この先こんな食材を入手できる可能性はごく少ないだろう。本音を言えば自分で食ってしまいたいのはやまやまだが、食材アイテムのランクが上がるほど料理に要求されるスキルレベルも上昇するため、だれか達人級の料理職人プレイヤーにたのまなくてはならない。

 そんなアテは──いないこともない、のだがわざわざ頼みに行くのも面倒だし、そろそろ防具を新調しなければならない時期でもあるので、俺はこのアイテムを金に替えることに決めて立ち上がった。

 未練を振り切るようにステータス画面を消すと、周囲を再びさくてきスキルで探る。よもやこんな最前線、言い換えれば辺境にとうぞくプレイヤーが出没するとも思わないが、Sクラスのレアアイテムを持っているとなればいくら用心してもしすぎということはない。

 これを金に替えればしゆんかん転移アイテムなど欲しいだけ買えるだろうし、おれは危険を減らすべくこの場からアルゲードまで帰還してしまうことにして、腰の小物入れを探った。

 つまみ出したのは、深い青にきらめく八面柱型の結晶だ。《ほう》の要素がほとんど排除されているこの世界で、わずかに存在するマジックアイテムはすべてこのように宝石の形を取っている。ブルーのものは瞬間転移、ピンクだとHP回復、緑はどく──といった具合だ。どれも即効の便利なアイテムだが値が張るので、たとえば回復なら、敵からだつして安価なポーション類で回復するのが常道となる。

 今はきんきゆうの場合と言ってよかろうと自分に言い訳すると、俺は青い結晶を握って叫んだ。

「転移! アルゲード!」

 たくさんの鈴を鳴らすような美しい音色と共に、手の中で結晶がはかなく砕け散った。同時に俺の体は青い光に包まれ、周囲の森の風景が溶け崩れるように消滅していく。光がひときわまぶしくかがやき──消え去った時には、転移が完了していた。先刻までのれのざわめきに代わって、かんだかつちおとにぎやかなけんそうを打つ。

 俺が出現したのはアルゲードの中央にある《転移門》だった。

 円形の広場の真ん中に、高さ五メートルはあろうかという巨大な金属製のゲートがそびえ立っている。ゲート内部の空間はしんろうのように揺らいでおり、ほかの街に転移する者、あるいはどこからか転移してきた者たちがひっきりなしに出現と消滅をり返している。

 広場からは四方に大きな街路が伸び、全ての道のりようわきには無数の小さい店がひしめきあっていた。今日の冒険を終えてひとときのいこいを求めるプレイヤーたちが、食い物の屋台や酒場の店先で会話に花を咲かせている。

 アルゲードの街を簡潔に表現すれば、《わいざつ》の一言に尽きる。

 はじまりの街にあるような巨大な施設はひとつとして存在せず、広大な面積いっぱいに無数のあいが重層的に張り巡らされて、何を売るとも知れぬあやしげな工房や、二度と出てこられないのではと思わせる宿屋などが軒を連ねている。

 実際、アルゲードの裏通りに迷い込んで、数日出てこられなかったプレイヤーの話も枚挙にいとまがないほどだ。俺もここにねぐらを構えて一年近くがつが、いまだに道の半分も覚えていない。NPCの住人たちにしても、クラスも定かでないような連中ばかりで、最近ではここをホームにしているプレイヤーもひとくせふたくせあるやつらばかりになってきたような気さえする。

 だが俺はこの街のふんが気に入っていた。路地裏の奥の奥にある行きつけの店にしけこんで、妙なにおいのする茶をすすっている時だけが一日で唯一安息を感じる時間だと言ってもいい。かつてよく遊びに行っていた電気街に似ているからだ、などという感傷的な理由だとは思いたくないが。

 おれはねぐらに戻る前にくだんのアイテムを処分してしまうことにして、みの買い取り屋に足を向けた。

 転移門のある中央広場から西に伸びた目抜き通りを、人ごみをいながら数分歩くとすぐにその店があった。五人も入ればいっぱいになってしまうような店内には、プレイヤーの経営するショップ特有のこんとんっぷりをかもし出した陳列棚が並び、武器から道具類、食料までがぎっしりと詰め込まれている。

 店のあるじはと言えば、今まさに店頭で商談の真っ最中だった。

 アイテムの売却方法は大まかに言って二種類ある。ひとつはNPC、つまりシステムが操作するキャラクターに売却する方法で、の危険がないかわりに買い取り値は基本的に一定となる。のインフレを防ぐために、その値付けは実際の市場価値よりも低目に設定されている。

 もう一つがプレイヤー同士の取引だ。こちらは商談次第ではかなりの高値で売れることも多いが、買い手を見つけるのに結構な苦労をするし、やれ払いすぎただの気が変わっただのと言いだすプレイヤーとのトラブルもないとは言えない。そこで、ばいを専門にしている商人プレイヤーの出番となるわけだ。

 もっとも、商人クラスのプレイヤーの存在意義はそれだけではない。

 職人クラスもそうだが、彼らはスキルスロットの半分以上をせんとうけいスキルに占領されてしまう。しかし、だからと言ってフィールドに出なくていいわけではない。商人なら商品を、職人なら素材を入手するためにモンスターと戦う必要があり、そして当然ながら戦闘では純粋な剣士クラスよりも苦労をいられる。敵をらすそうかいかんなど味わうべくもない。

 つまり彼らのアイデンティティは、ゲームクリアのために最前線におもむく剣士の手助けをしよう、というすうこうなる動機に求められる。その点で、俺は商人や職人たちをひそかに、深く尊敬している。

 ──のであるが、いま俺の視線の先にいる商人プレイヤーは、自己せいなどという単語とははるかに縁遠いキャラクターなのもまた事実だった。

「よし決まった! 《ダスクリザードの革》二十枚で五百コル!」

 俺が馴染みにしている買い取り屋のエギルは、ごつい右腕を振り回すと、商談相手の気の弱そうなやり使つかいの肩をばんばんとたたいた。そのままトレードウインドウを出し、有無を言わせぬ勢いで自分側のトレードらんに金額を入力する。

 相手はまだ多少悩むようなりを見せていたが、歴戦の戦士とまがうほどのエギルの凶顔にひとにらみされると──実際エギルは商人であると同時に一流のおの戦士でもあるのだが──慌てて自分のアイテムウインドウからブツをトレード欄に移動させ、OKボタンを押した。

「毎度!! またたのむよ兄ちゃん!」

 最後にやり使つかいの背中をバシンと一回どやすと、エギルは豪快に笑った。ダスクリザードの革は高性能な防具の素材となる。どう考えても五百は安すぎるだろうとおれは思ったが、慎み深くちんもくを守って、立ち去っていく槍使いを見送った。ばい相手にえんりよしてはならない、という教訓の授業料込みだなと心の中でつぶやく。

「うっす。相変わらずこぎな商売してるな」

 エギルに背後から声をかけると、禿とくとうの巨漢は振り向きざま、ニンマリ笑った。

「よぉ、キリトか。安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね」

 悪びれる様子もなくうそぶく。

「後半は疑わしいもんだなぁ。まあいいや、俺も買取たのむ」

「キリトはお得意様だしな、あくどいはしませんよっ、と……」

 言いながらエギルはくびを伸ばし、俺の提示したトレードウインドウをのぞき込んだ。

 SAOプレイヤーの仮想体アバターは、ナーヴギアのスキャン機能と初期の体型キャリブレーションによって現実の姿をせいに再現しているわけだが、このエギルを見るたびに、俺はよくもまぁこんなハマる外見をしたやつがいたもんだと感嘆を禁じ得ない。

 百八十センチはあるたいは筋肉と脂肪にがっちりと包まれ、その上に乗った顔は悪役レスラーさながらの、ごつごつと岩から削り出したかのようなぞうだ。そのうえ唯一カスタマイズできる髪型をつるつるのスキンヘッドにしているものだから、その怖さはばんぞくけいモンスターにも引けを取らない。

 しかしそれでいて、笑うと実にあいきようのある、アジな顔をしているのだ。年齢は二十代後半だろうが、現実世界で何をしていた男なのか想像もつかない。《向こう》でのことは尋ねないのがこの世界の不文律である。

 分厚くせり出したりようの下の両眼が、トレードウインドウを見たたんおどろきに丸くなった。

「おいおい、S級のレアアイテムじゃねえか。《ラグー・ラビットの肉》か、オレも現物を見るのは初めてだぜ……。キリト、おめえ別に金には困ってねえんだろ? 自分で食おうとは思わんのか?」

「思ったさ。多分二度と手には入らんだろうしな……。ただなぁ、こんなアイテムを扱えるほど料理スキルを上げてる奴なんてそうそう……」

 その時、背後からだれかに肩をつつかれた。

「キリト君」

 女の声。俺の名前を呼ぶ女性プレイヤーはそれほど多くない。と言うよりこの状況では一人しかいない。俺は顔を見る前から相手を察していた。左肩に触れたままの相手の手を素早くつかむと、振り向きざまに言う。

「シェフ捕獲」

「な……なによ」

 相手はおれに手をつかまれたままいぶかしげな顔で後ずさった。

 くりいろの長いストレートヘアを両側に垂らした顔はちいさな卵型で、大きなはしばみ色のひとみまぶしいほどの光を放っている。小ぶりだがスッと通った鼻筋の下で、桜色のくちびるが華やかないろどりを添える。すらりとした体を、白と赤を基調としたふうせんとうふくに包み、白革の剣帯にるされたのは優雅な白銀の細剣。

 彼女の名はアスナ。SAO内では知らぬ者はほとんどいないであろう有名人だ。

 理由はいくつかあるが、まず、圧倒的に少ない女性プレイヤーであり、なおかつ文句のつけようがないれいな容姿を持つことによる。

 プレイヤーの現実の肉体、とくに顔の造作をほぼ完全に再現するSAOにおいて、大変言いにくいことながら美人の女性プレイヤーというのは超S級とでも言うべきレアな存在だ。おそらくアスナほどの美人は両手の指に満たない数だろう。

 もうひとつ彼女を有名人たらしめている理由は、純白としんに彩られたその騎士服──ギルド《血盟騎士団》のユニフォームだ。《Knights of the Blood》の頭文字を取ってKoBとも呼ばれるそれは、アインクラッドに数多あまたあるギルドの内でも、だれもが認める最強のプレイヤーギルドである。

 構成メンバーは三十人ほどと中規模だが、そのすべてがハイレベルの強力な剣士であり、なおかつギルドを束ねるリーダーは伝説的存在とでも言うべきSAO最強の男なのだ。アスナはれんな少女の外見とは裏腹に、そのギルドにおいて副団長を務めている。当然、剣技のほうもはんではなく、細剣術は《せんこう》の異名を取る腕前だ。

 つまり彼女は、容姿においても剣技においても六千のプレイヤーの頂点に立つ存在なわけで、それで有名にならないほうがおかしい。当然プレイヤーの中には無数のファンがいるが、中には偏執的にすうはいする者やらストーカーまがい、さらには反対に激しく敵視する者もいて、それなりの苦労はあるようだ。

 もっとも、最強剣士の一人たるアスナに正面切ってちょっかいを出そうという者はそうはいないだろうが、警護に万全を期するというギルドの意向もあるようで、彼女にはたいてい複数の護衛プレイヤーが付き従っている。今も、数歩引いた位置に白のマントと分厚い金属よろいに身を固めたKoBメンバーとおぼしき二人の男が立ち、ことに右側の、長髪を後ろで束ねたせた男が、アスナの手を摑んだままの俺に殺気に満ちた視線を向けている。

 俺は彼女の手をはなし、指をその男に向ってひらひら振ってやりながら言葉を返した。

めずらしいな、アスナ。こんなゴミめに顔を出すなんて」

 俺がアスナを呼び捨てにするのを聞いた長髪の男と、自分の店をゴミ溜め呼ばわりされた店主の顔が同時にぴくぴくと引きる。だが、店主のほうはアスナから、お久しぶりですエギルさん、と声をかけられると途端にだらしなく顔をゆるませる。

 アスナは俺に向き直ると、不満そうに唇をとがらせた。

「なによ。もうすぐ次のボス攻略だから、ちゃんと生きてるか確認に来てあげたんじゃない」

「フレンドリストに登録してんだから、それくらいわかるだろ。そもそもマップでフレンド追跡したからここに来られたんじゃないのか」

 言い返すと、ぷいっと顔をそむけてしまう。

 彼女は、サブリーダーという立場でありながら、ギルドにおいてゲーム攻略の責任者を務めている。その仕事には、確かにおれのようなソロの勝手者を束ねて対ボスモンスターの合同パーティーを編成することも含まれるが、それにしてもわざわざ直接確認に来るとはにもほどがある。

 俺の、あきれ半分感心半分の視線を受けたアスナは、両手を腰に当てるとつんとあごを反らせるような仕草で言った。

「生きてるならいいのよ。そ……そんなことより、何よシェフどうこうって?」

「あ、そうだった。お前いま、料理スキルの熟練度どのへん?」

 確かアスナは酔狂にも、せんとうスキル修行の合い間をって職人系の料理スキルを上げていた覚えがある。俺の問いに、彼女は不敵な笑みをにじませると答えた。

「聞いておどろきなさい、先週に《完全習得コンプリート》したわ」

「なぬっ!」

 ア……アホか。

 といつしゆん思ったが、もちろん口には出さない。

 熟練度は、スキルを使用するたびに気が遠くなるほどの遅々とした速度で上昇してゆき、最終的に熟練度一〇〇〇に達したところで完全習得となる。ちなみに経験値によって上昇するレベルはそれとはまた別で、レベルアップで上昇するのはHPと筋力、びんしようりよくのステータス、それに《スキルスロット》という習得可能スキル限度数だけだ。

 俺は今十二のスキルスロットを持つが、完全習得に達しているのは片手直剣スキル、さくてきスキル、武器防御スキルの三つだけである。つまりこの女は途方もないほどの時間と情熱を、戦闘の役にたたないスキルにつぎ込んだわけだ。

「……その腕を見こんでたのみがある」

 俺は手招きをすると、アイテムウインドウを他人にも見える可視モードにして示した。いぶかしげにのぞきこんだアスナは、表示されているアイテム名をいちべつするや眼を丸くした。

「うわっ!! こ……これ、S級食材!?」

「取引だ。こいつを料理してくれたら一口食わせてやる」

 言い終わらないうちに《せんこう》アスナの右手が俺の胸倉をがっしとつかんだ。そのまま顔を数センチのきよまでぐいと寄せると、

「は・ん・ぶ・ん!!」

 思わぬ不意打ちにドギマギした俺は思わずうなずいてしまう。はっと我に返ったが時すでに遅く、アスナがやったと左手を握る。まあ、あのれんな顔をきんきよから観察できたんだから良しとしよう、と無理やり納得する。

 ウインドウを消去しながら振り向き、エギルの顔を見上げて言う。

「悪いな、そんな訳で取引は中止だ。」

「いや、それはいいけどよ……。なあ、オレたちダチだよな? な? オレにも味見くらい……」

「感想文を八百字以内で書いてきてやるよ」

「そ、そりゃあないだろ!!」

 この世の終わりか、といった顔で情けない声を出すエギルにつれなく背を向け歩き出そうとしたたん、俺のコートのそでをぎゅっとアスナがつかんだ。

「でも、料理はいいけど、どこでするつもりなのよ?」

「うっ……」

 料理スキルを使用するには、食材のほかに料理道具と、かまどやオーブンのたぐいが最低限必要になる。俺の部屋にも簡単なものがあるにはあったが、あんな小汚いねぐらにKoB副団長様を招待できるはずも無く。

 アスナは言葉に詰まる俺にあきれたような視線を投げかけながら、

「どうせ君の部屋にはろくな道具もないんでしょ。今回だけ、食材に免じてわたしの部屋を提供してあげなくもないけど」

 とんでもないことをサラリと言った。

 台詞せりふの内容を脳が理解するまでのラグで停止するおれを気にもとめず、アスナは警護のギルドメンバー二人に向き直ると声をかけた。

「今日はここから直接《セルムブルグ》まで転移するから、護衛はもういいです。お疲れ様」

 そのたんまんの限界に達したとでも言うように長髪の男が叫んだ。SAOにもうすこし表情再現機能があったら、額に青筋の二、三本は立っているであろう剣幕だ。

「ア……アスナ様! こんなスラムに足をお運びになるだけにとどまらず、じようの知れぬやつをご自宅に伴うなどと、と、とんでもない事です!」

 その大仰な台詞に俺は内心へきえきとさせられる。《様》と来た、こいつも紙一重級のすうはいしやなんじゃなかろうか、と思いながら目を向けると、当人も相当にうんざりとした表情である。

「このヒトは、素性はともかく腕だけは確かだわ。多分あなたより十はレベルが上よ、クラディール」

「な、何を鹿な! 私がこんな奴に劣るなどと……!」

 男の半分裏返った声が路地にひびき渡る。さんぱくがんぎみの落ちくぼんだ目で俺をにくにくしげににらんでいた男の顔が、不意に何かをてんしたかのようにゆがんだ。

「そうか……手前、たしか《ビーター》だろ!」

 ビーターとは、《ベータテスター》に、ズルする奴を指す《チーター》を掛け合わせた、SAO独自のべつしようである。聞き慣れたあくだが、何度言われてもその言葉は俺に一定量の痛みをもたらす。最初に俺に同じことを言った、かつて友人だった奴の顔がちらりと脳裏をよぎる。

「ああ、そうだ」

 俺が無表情に肯定すると、男は勢いづいて言いつのった。

「アスナ様、こいつら自分さえ良きゃいい連中ですよ! こんな奴とかかわるとろくなことがないんだ!」

 今まで平静を保っていたアスナのまゆが不愉快そうに寄せられる。いつのまにか周囲にはうまの人垣ができ、《KoB》《アスナ》という単語がれ聞こえてくる。

 アスナは周囲にちらりと目を向けると、こうふんの度合いを増すばかりのクラディールという男に、

「ともかく今日はここで帰りなさい。副団長として命令します」

 とそっけない言葉を投げかけ、左手で俺のコートの後ろベルトをつかんだ。そのままぐいぐいと引きりながら、ゲート広場へと足を向ける。

「お……おいおい、いいのか?」

「いいんです!」

 まあ、俺にはいなやのあろうはずもない。二人の護衛と、いまだに残念そうな顔のエギルを残しておれたちは人ごみのすきまぎれるように歩き出した。最後にちらりと振り返ると、突っ立ったままこちらをにらむクラディールという男の険悪な表情が、残像のように俺の視界にりついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る