ゲーム開始一ヶ月で二千人が死んだ。


 外部からの問題解決は、結局もたらされなかった。それどころか、何らかのメッセージが届くことすらなかったのだ。

 俺は直接目にしていないが、この世界から本当に出られないとようやく理解した時のプレイヤーたちのパニックは、狂乱の一言に尽きたという。わめく者、泣き出す者、中にはゲーム世界をかいすると言って街のいしだたみを掘り返そうとする者まで出たそうだ。無論建築物はすべて破壊不能オブジェクトで、その試みは徒労に終わったのだが。どうにか全員が現状をみ込み、それぞれに今後の方針を考え始めるまでに数日を要したと聞く。


 プレイヤーは、当初大きく四つのグループに分かれた。

 まず、これが約半分を占めたのだが、かやあきひこの出した解放条件を信じずに外部からの救助を待った者たちだ。

 彼らの気持ちは痛いほどよくわかった。自分の肉体は、現実にはやベッドの上でゆったりと横たわり、呼吸している。それが本当の自分であり、この状況は《仮》のもので、ちょっとしたはずみ、ささいなきっかけで向こうに戻れるはずだ。確かにメニューからログアウトはできないが、内部で何か見落としたことに気付けば──。

 あるいは、外部では今、運営企業アーガスと、何より政府がプレイヤーを救おうと最大限の努力をしているだろう。慌てずに待っていればいずれ何事もなく自分の部屋で目覚め、家族と感動の対面を果たし、学校や職場でいっときの話題をさらう。

 そう思うのも本当に無理はなかった。おれとても内心の何割かではそのように期待していたのだ。彼らの取った行動は基本的に《待機》。街から一歩も出ず、初期配布されたゲーム内通貨──この世界では《コル》という単位で表記される──をわずかずつ使って日々のしよくりようを買い求め、安い宿屋で寝泊りし、何人かのグループを作ってばくぜんと日々を過ごしていた。

 幸い《はじまりの街》は基部フロアの面積の約二割を占め、東京の小さな区ひとつほどの威容を誇っていたため、五千人のプレイヤーがそれほどきゆうくつな思いをせず暮らせるだけのキャパシティがあった。

 だが、助けの手はいつまで待っても届かなかった。何度目覚めても窓の外に広がる光景は、常に青空ではなくいんうつおおいかぶさる天空のふただった。初期資金も永遠につわけもなく、やがて彼らも何らかの行動を起こさざるを得なくなった。


 二つ目のグループは全体の約三割。三千人ほどのプレイヤーが属したのが、協力して前向きにサバイバルを目指そうという集団だった。リーダーとなったのは、日本国内でも最大級のネットゲーム情報サイトの管理者だった男だ。

 彼のもと、プレイヤーはいくつかの集団に分けられて、獲得したアイテム等を共同管理し、情報を集め、上層への階段がある迷宮区の攻略に乗り出した。リーダーのグループは、はじまりの街の中央広場に面した《こくてつきゆう》を占拠し、物資を蓄積してあれやこれやと配下のプレイヤー集団に指示を飛ばしていた。

 この巨大集団にはしばらく名は無かったが、全員に共通の制服が支給されるようになってからは、だれが呼び始めたか《軍》という笑えない呼称が与えられた。


 三つ目は、これは推定で千人ほどが属したのだが、初期に無計画な浪費でコルを使い果たし、さりとてモンスターと戦ってまっとうにかせぐ気も起こさず、食い詰めた者たちだ。

 ちなみに、仮想世界であるSAO内部でも厳然と起こる生理的欲求がある。睡眠欲と食欲である。

 睡眠欲は、これは存在するのも納得が行く。プレイヤーの脳は、与えられている感覚情報が、現実世界のものなのか仮想世界のものなのかなどということは意識していないだろうから。プレイヤーは眠くなれば街の宿屋へ行き、ふところ具合に応じた部屋を借りてベッドにもぐり込むことになる。ばくだいなコルをかせげば、好みの街で自分専用の部屋を買うこともできるが、おいそれと貯まる額ではない。

 食欲に関しては、多くのプレイヤーを不思議がらせた。現実の肉体が置かれた状況など想像したくもないが、恐らく何らかの手段で強制的に栄養を与えられているのだろう。つまり、空腹を感じてこちらで食事をしたとしても、それで現実の肉体の胃に食べ物が入るわけはない。

 だが、実際にはゲーム内で仮想のパンだの肉だのを詰め込むと空腹感は消滅し、満腹感が発生する。このへんのメカニズムはもう脳の専門家にでも聞いてもらうしかない。

 逆に言えば、一度感じた空腹感は、食べないかぎり消えることはない。多分、絶食しても死ぬことはないのだろうと思う。しかしやはりそれが耐えがたい欲求であることに変わりは無く、プレイヤーは毎日NPCノンプレイヤー・キヤラクターが経営するレストランにとつげきしてはデータの食い物を胃に詰め込むことになる。そくだがゲーム内ではいせつは必要ない。現実世界でのことは、食う方面よりもさらに考えたくない。

 さて、話を戻すと──。

 初期に金を使い果たして、寝るはともかく食うに困った者たちのうち大半は、例の共同攻略グループこと《軍》にいやおうなく参加することになった。上の指示に従っていれば、少なくとも食い物は支給されたからだ。

 だが、どこの世界にも協調性など薬にしたくもないという人々が存在する。はなからグループに属するのをよしとしなかった、あるいは問題を起こしてほうちくされた者たちは、はじまりの街のスラム地区を根城にしてごうとうに手を染めるようになった。

 街の中、いわゆる《圏内》はシステム的に保護されており、プレイヤーはほかのプレイヤーに一切危害を加えることはできない。だが街の外はその限りではない。はぐれ者たちははぐれ者たちで徒党を組み、モンスターよりもある意味うまみがあり、危険の少ない獲物であるプレイヤーを街の外のフィールドや迷宮区で待ち伏せしておそうようになったのだ。

 とはいえさすがの彼らも《殺し》まではしなかった──少なくとも最初の一年は。このグループはじわじわと増加し、先に述べたとおり一千人に達したと推定されていた。


 最後に、四つ目のグループは、簡単に言ってその他の者たちだ。

 攻略を目指すとしても巨大グループには属さなかったプレイヤーたちの作った小集団がおよそ五十、人数にして五百。その集団は《ギルド》と呼ばれ、彼らは軍にはないフットワークの良さをかして堅実な攻略と戦力増強を行っていた。

 更に、ごく少数の職人、商人クラスを選択した者たち。せいぜい二、三百人規模ではあったが、彼らもまた独自のギルドを組織して、当面の生活に必要なコルを稼ぐためスキルの修行を開始した。

 のこる百人たらずが、俺もそこに属したわけだが──《ソロプレイヤー》と呼ばれた者たちだ。

 グループに属さず、単独での行動が自己の強化、ひいては生き残りにもっとも有効であると判断した利己主義者たち。そのほとんどがベータテスト経験者だった。知識を生かしたスタートダッシュによって短期間でレベルを上げ、単独でモンスターやごうとうたちに対抗する力を得てしまった後は、正直に言ってほかのプレイヤーときようとうするメリットはほとんどなかったのだ。

 その上、SAOというゲームは、《ほう》、つまり《必中のえんかくこうげき》が存在しないゆえに単身で複数のモンスターの相手をしやすいという特徴がある。しっかりした技術さえあれば、ソロプレイのほうが経験値効率ではパーティープレイを上回る。

 もちろんリスクはある。例えば、パーティープレイでならだれかに回復してもらえばいい《》をらっただけでも、単独なら死の危険に直結する。実際、初期のソロプレイヤーの死亡率は、あらゆるプレイヤーカテゴリの中でも最大のものだった。

 しかし、危険をかいできるだけの充分な知識と経験さえあれば、リスクを上回るリターンが保証されている。そしておれを含むベータテスターは、すでにその二つを手にしていた。

 貴重な知識を独占し、猛烈なスピードでレベルアップしていくソロプレイヤーと、それ以外の者たちとの間には深刻な確執が発生した。ゲームがある程度落ち着いてからは、ソロプレイヤーは皆第一層を出て、より上層の街を根城にするようになっていった。


 こくてつきゆうの、もとは《せいしやの間》であったところには、ベータテストの時には存在しなかった金属製の巨大なが設置され、その表面には一万人のプレイヤーすべての名前が刻印されていた。なんともありがたはいりよで、死亡した者の名の上にはわかりやすく横線が刻まれ、横に詳細な死亡時刻と死亡原因が記されるというシステムだ。

 最初に打ち消し線をいただく栄誉を手にする者が現れたのは、ゲーム開始からわずか三時間後のことだった。

 死因はモンスターとのせんとうではなかった。自殺である。

 ナーヴギアの構造上、ゲームシステムから切りはなされた者は自動的に意識を回復するはずだ、という持論を展開したその男は、はじまりの街のなんたん、つまりアインクラッドそのものの最外周を構成する展望テラスの高いさくを乗り越えて身をおどらせた。

 浮遊城アインクラッドの下には、どんなに目をらしても陸地等を見つけることはできず、ただどこまでも続く空といくにも連なる白い雲が存在するだけだ。たくさんのギャラリーがテラスから身を乗り出して見守る中、絶叫の尾を引きながら男の姿はみるみる小さくなり、やがて雲間に消えていった。

 男の名前の上に簡潔かつな横線が刻み込まれたのは、それから二分後のことだった。死亡原因は《高所落下》。二分のあいだに彼が何を体験したのかは想像もしたくない。実際に男が現実世界に復帰できたのか、それともかやの言葉どおり脳を焼かれるという結果を招いたのかはゲーム内部からでは知るすべがないのだ。

 ただ、そのように手軽な手段でここから脱出できるのなら、すぐに全員が外部から回線切断・救出されていてよいはずだ、というのがほとんどのプレイヤーの共通する見解だった。

 それでも、男がゲーム世界から消えたあとも、この単純な決着のゆうわくに身を任せる者は散発的に出現した。おれを含めたほとんどすべてのプレイヤーは、SAO内での《死》に実感を持つことがどうしてもできなかった。

 それは現在でも変わらないだろう。HPがゼロになり、体を構成するポリゴンが消滅するその現象は、あまりにも俺たちが慣れ親しんだ、いわゆる《ゲームオーバー》に近似しすぎていた。多分、SAOにおける死の意味を本当に悟るには、実際に体験する以外の方法はないのだ。そのはくかんが、プレイヤーの減少に拍車をかける一因となったのは間違いない。

 さて、《軍》やそれ以外の集団に属したプレイヤー、特に待機組に属した者たちが遅まきながらゲームの攻略を開始するにつれて、やはりモンスターとのせんとうで命を落とす者も現れはじめた。

 SAOでの戦闘には、多少の勘と慣れが必要となる。自分で無理に動こうとせずシステムのサポートに《乗っかる》のがコツと言えるだろうか。

 例えば、単純な片手剣上段りでも、《片手直剣スキル》を習得して剣技ソードスキルリストに《上段斬り》を備えた者が、その技をイメージしながら初期モーションを起こせば後はシステムがほぼオートでプレイヤーの体を動かしてくれるのに対し、スキルのない者が無理やり動きをようとしても、振りは遅いわこうげきりよくは低いわでおおよそ実戦で使えるシロモノにはならない。つまりある意味では格闘ゲームでコマンドを出すのに似ていると言える。

 が、それにめない者たちは握った剣をやたらと振り回すばかりで、初期状態で習得できる基本の単発技を出していれば勝てるはずのイノシシやオオカミに遅れをとる結果となった。それでも、HPがある程度減った時点で戦闘に見切りをつけてだつ・逃亡していれば、死という結果を招くことはなかったはずなのだが──。

 スクリーンモニタを通して2Dグラフィックの敵を攻撃するのとは違い、SAOでの戦闘はその圧倒的なリアリティゆえに原始的な恐怖を呼び起こす。どう見ても本物としか思えないモンスターが、凶悪なきばき出して自分を殺そうとおそってくるのだ。

 ベータの時ですら戦闘でパニックを起こす者がいたというのに、現実の死が待っているとなればなおさらだ。恐慌におちいったプレイヤーは、技を出すことも逃げることすらも忘れ、HPをあっけなく散らしてこの世界から永遠に退場することとなった。

 自殺。モンスター戦における敗北。すさまじい速さで増えていく、なラインを刻まれた名前たち。

 その数がゲーム開始一ヶ月で二千人という恐るべき数にのぼった時、残った全プレイヤーを暗い絶望感が包み込んだ。このペースで死亡者が増えつづけるなら、半年たないうちに一万人が全滅してしまう。百層突破など夢のまた夢だ。

 だが──人間というのは慣れるものだ。

 一ヶ月と少しったころにようやく第一層の迷宮区が攻略され、そのわずか十日後に第二層も突破された頃から、死者の数は目に見えて減りはじめた。生き残るための様々な情報が行き渡り、きちんと経験値を蓄積してレベルを上げていけばモンスターはそれほど恐ろしい存在ではないという認識が生まれた。

 このゲームを攻略クリアし、現実世界に戻れるかもしれない。そう考えるプレイヤーの数は、少しずつ、だが着実に増えていった。

 最上層ははるかに遠かったが、かすかな希望を原動力にプレイヤーたちは動きはじめ──世界は音を立てて回りだした。


 それから二年。残るフロアの数は二十六、生存者六千人。

 それがアインクラッドの現状だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る