いらぬ心配
夜、あずさは母である佳子に電話をかけた。もちろん、本当のことを聞くためだ。俊也が言っていた『会長は病気のようで』というあれが本当のことなのか……。
「もしもし、お母さん?」
『あら、あずさどうしたの?』
「うん、あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
改まって、そう口にするあずさに、なにか察したらしい佳子が、
『ああ、』
と溜息をついた。
「柊さんが言ってたことは本当なの? おじいちゃん、病気なの?」
一気に捲し立てると、佳子は少しの間、黙り込む。
『……まだわからないんだけどね、』
腫瘍が見つかったのは事実だ、と佳子が告げた。ただ、詳しい検査結果はまだ出ていない、と。
「私、柊さんとは結婚しないから」
あずさはキッパリとそう言い放つ。
『え? なによ、それ』
驚いた声を上げる佳子に、あずさは少しだけ、ガッカリする。娘がどう思っているかを気にするより、やはり跡取り確保の方が大切なんだろうか。
「あのさ、お母さんはさ、お父さんと結婚してよかったと思ってる?」
こんなこと、聞くのは初めてだ。もしこれで悲しくなるような答えが返ってきたらどうしよう、とも思ったが、あずさの知る限り、両親の仲は良かった。少なくとも、娘のあずさからはそう見えた。
『なに、その質問。よかったに決まってるじゃない』
佳子の言葉に、ホッとする。
「……よかった。私もね、そう言えるような相手と結婚がしたい。だから今回の話は無しにしてください」
素直にそう口にした。佳子は電話の向こうで一息つくと、
『わかったわ』
とだけ、言ったのだった。
「週末、またそっちに行ってもいい?」
『いいけど……別にあずさがいなくてもこっちは大丈夫よ?』
「ううん、私が行きたいの」
『そう。じゃ、買ってきてほしいものあるから、あとでメッセージ送るわね』
「わかった」
『じゃ』
心配していたことにはならずに済んだ。これで俊也との結婚はなくなったのだ。あとは、里美にあの男のことをどう伝えるか……、
ブブブブ、
携帯が震える。見ると、まさにその奥田里美からである。
「もしもし? 里美ちゃん?」
電話を取ると、受話器の向こうでぐずぐずと泣いているような声。
「え? 里美ちゃんどうかしたっ?」
心配になり声を荒げると、里美が小さな声で
『……先輩、柊さんが婚約者だってなんで教えてくれなかったんですか?』
と口にした。
「それ、誰に聞いたの?」
『柊さんに……』
呆れる。
まだ決まってもいない婚約を言いふらすなどとは。
「お見合いは、した。まさか私も、里美ちゃんがいいって言ってた人が来ると思ってなかったから驚いた」
『じゃ、やっぱり、』
「人の話は最後まで聞きなさい、っていつも言ってるでしょ? 里美ちゃん、私は柊さんと婚約はしない」
『え? でも今日だってお昼休みに会ってましたよね?』
見られていたらしい。
「あれはただの偶然。ねぇ、考えてもみて? お見合い前日に女性に誘われて夕食を食べに行くような男と結婚したいと思う?」
言い方がきつくなるのは仕方ないだろう。里美に対しても自分に対してもこの上なく無礼なことをされたのだ。
『……あ、』
「日曜に二人で会ったの。そこで話をして決定的に考え方が合わないってわかった。だからさっき母にも、白紙に戻すようにお願いしたところよ」
『……そうなん……ですね、』
戸惑いの声。まぁ、無理もないだろう。
「私はね、あの人は無理。結婚は形だけで、お互い自由にやろうって提案されたの。お見合い前に里美ちゃんとご飯食べに行ったことも、彼にとっては何の疑問もなかったんだと思う。私は非常識だって思ったけど」
『それは……確かに、』
「うちの場合、祖父の会社のこともあるから完全に自由恋愛は無理かもしれないけど、条件が合うからそれでいい、なんて、そんなつまらない結婚はしたくないわ」
途中からは完全に愚痴だ。しかし、言わずにはいられなかった。
『……わかりました。私、吉宮先輩のこと応援しますっ』
電話の向こうから里美の力強い声。
「ありがとう。柊さんのことは、私から何か言うべきじゃないと思うから、」
やめた方がいいわよ、と本当は言いたいところだったが。
『いいえっ、そんなちゃらんぽらんな人、私だって嫌ですっ。金輪際関わり合いになることはありませんっ』
キッパリと言い放つ。
「いいの? そんな簡単に、」
『先輩がライバルになるって話なら乗りますけど、先輩がこいつだけは無理、っていう人なら、私は断然、先輩の意見を信じます! 先輩の見る目を疑ったりしませんよっ』
「里美ちゃん……」
なんだかとても嬉しかった。
『スッキリしました! では、また明日!』
晴れ晴れとした声で電話を切る里美。あずさも彼女の声に元気をもらっていた。自分を信じてくれる他人がいるというのは、想像以上に心が強くなる。
これであずさの不安材料は、佐久造の病気と、そして消えた鳥居……雪光のこと二つになった。
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