名もなき再会
都心からは車で一時間ちょっと。山奥というほどでもないが、自然豊かな場所である。
昔はここから会社に通っていた祖父だが、今はあずさの母と二人、都内のマンションで生活していた。それでも週末は実家で過ごしているので、生活感がない、ということはなかった。
あずさはひとりでマンションを借りている。名実ともに自立したい、と申し出たのは社会人になってすぐのことだった。生活はきついが、悠々自適である。狭いながらも楽しい我が家。手放すのは惜しい。
本宅に着く。
上がり込むと窓を開け、空気の入れ替えをする。祖父の部屋に布団を敷き、ふぅ、と息を吐いた。母から、到着時間は夕方から夜になりそうだと連絡が来ていた。まだ時間がありそうだ。
あずさは庭から外に出ると、サンダルをつっかけ、何の気なしに山の方へと散歩に出た。
そういえば昔、山の中で男の子に出会ったな、などと思い出す。
絣の着物。
ここは禁足地。
懐かしいひと夏の思い出である。
「ん?」
山道を歩きながら辺りを見渡す。見慣れた山道の筈なのに、何故だか道に迷ったかのような感覚に襲われたのだ。
「……あれって、」
視界の先に見えてきたのは、古びた鳥居。そこに貼られた半分掠れて見えなくなっているお札と、切れかかった、ゆらゆらと宙を揺蕩うしめ縄。
「まさか、ここ……」
あの夏以来、何度山に登っても見つけられなかった場所。
「夢じゃ……なかったんだ」
何度探しても見つからなかったこの場所を、あの日の出来事を、あずさは夢だったのかもしれないと思った時期もあった。だけどあの時、確かに自分は雪光の手を、握ったのだ。大人になった今、やっとここに来られたことが嬉しくもあり、不思議でもあった。
目の前には鳥居。
その向こうは?
何があるわけでもない。ただ、同じような草木の生えた、山の風景。
あずさは鳥居を潜ると、その先にある少し開けた場所へと進んだ。鳥居があるということは、きっと昔は神社があったに違いないのだ。今ではその片鱗も見て取れなかったが。
「……お前まさかっ?」
横から声を掛けられ、肩をビクつかせる。声のした方に視線を移すと、着物姿の青年があずさを見て驚いている。背も高く、声も違うが、面影は、ある。
「……
名を呼ぶと、何故か雪光は額に手を当て、天を仰ぐ。
「なにをしてるんだ、」
呆れたような声でそう言い、溜息をついた。
「なにって……そっちこそ、また会おうって言ってたのに全然出て来てくれなかったじゃない!」
出て来てくれなかった、などと、まるで幽霊扱いだ。しかし、あずさには雪光が普通の人間ではないのだろうな、という漠然とした思いがあった。それは大人になるにつれ、確信へと変わる。懐かしさはあるものの、なんだかあの当時に戻ったような空気感。ずっと会っていなかったとは思えないほど自然に、二人が共に存在しているイメージだった。
「ここへ来ちゃ駄目だって言ったろ? 聞いてなかったのか?」
「聞いてたけどさっ。……ねぇ、元気にしてた?」
笑ってそう言うあずさに、雪光がまた、溜息をつく。
「なにが『元気にしてた?』だ。お前、鳥居を潜ったな?」
昔より親しい距離感で会話をしてくる雪光に、あずさの心が躍る。
「だって、やっとこの場所に辿り着いたんだもん。雪光にも会いたかったし?」
チラ、と上目遣いで見上げれば、伸びた髪を無造作に後ろで束ねた端正な顔立ちの青年が照れたように目を逸らす。
「雪光は? 私のことなんか、忘れちゃってた?」
「……忘れてなんか、ないけど」
「そ。なら、よかった」
なんだか急に照れくさくなり、あずさがくるりと背を向ける。
「それにしても、ここって何? 昔は神社だったのかな、やっぱり」
「……ああ、そうだな。ずっと昔は、ここは神社だったよ」
「ずっと、って、どのくらい?」
「さぁね」
誤魔化すようにそう言う雪光に、あずさが突っ込む。
「なんだ、雪光も知らないんじゃない。で、結局のところ、雪光って幽霊なの? 天狗じゃないんだもんね?」
本当に幽霊だったとしても、きっと怖くはないだろう。そんな軽い気持ちで口にした一言。しかし、言われた雪光はとても驚いた顔をしてあずさを見る。
「お前、どういう神経してるんだ?」
「なによそれ」
「自分の立場が分かってないだろ?」
「は? 立場って?」
大人気ないとは思いつつも、なんだかこの場所で雪光と話していると、子供時代に戻ったかのような自分になる。活発で、自己中心的で、素直で、怖いものなしだったあの頃に。
「ここは禁足地だ。人間が足を踏み入れちゃ駄目な場所だって言ったよな? あの鳥居は、潜ってはいけなかったんだ」
「もう遅い」
おどけてみせる。
「……仕方ないな。
「せおりつ……姫?」
「
「神様!」
半分好奇心、半分野次馬根性で叫んでしまう。神社という場所は神を祀っているのだというごく当たり前の事実を、改めて再確認するような。
「ってことは何? 雪光って、神様の遣い? 狐か何かなの?」
ワクワクしながら訊ねるも、雪光はそっけなく
「違うよ」
とだけ答えた。
ザザッ、と風が鳴り、それを合図にするかのように雪光があずさの手を握った。
「え?」
「こっちだ」
雪光に手を引かれ、あずさは奥へ、奥へと進んで行った。
神様に会えるのかと思っていたあずさは、切り株に座り頬を膨らませていた。待っていろと言われたまま放置なのだ。
それにしても、と周りを見る。
何の変哲もないただの山の一角。朽ちた神社の跡地。ここが禁足地である理由がよくわからない。そして雪光が何者であるのかも。
未知の領域に踏み込む、という行為は嫌いではなかった。
親に反発し、就職先を自分で決め、家を出たあの時、自分の中にあったのは期待や冒険心だ。今も、それは変わらない。雪光に『帰れるようにお願いしてくる』と言われ、それはつまり、このまま家に帰れないかもしれないことを示唆しているのだな、ということは理解できたが、それを不安に思う気持ちはなかった。
「親の敷いたレールの上を行くくらいなら、いっそわけのわからないこの場所で、っていうのもありかなぁ……なんて」
「ありかなぁ……、じゃない!」
「うわぁ!」
頭上から振ってきた声に驚き、飛び上がる。いつの間にか後ろに立っていた雪光が腕を組んで眉間に皺を寄せていた。
「ほら、帰るぞ」
顎をしゃくってあずさに言った。
「え? もう? 話、付いちゃったの?」
あまりにもあっけない顛末に、がっかりするあずさ。
「は? 何を言ってるんだ! 戻れなくなるかもしれなかったんだぞっ?」
声を荒げる雪光に、あずさは
「それはそれで、よかったかな、って思ってた」
と言ってしまう。
不貞腐れているだけだとわかっていても、不満は不満として心にある。
「なにを言って、」
「だって!」
はぁ、と息を吐き出すと、今の思いを吐露する。
「ここから先の私の人生、もう決まってるし、それって私が選択できないものだし、決められた人生をただ進むだけなんだもんっ。なんだかそういうこと考えてたら帰らなくてもいいかな、って思っちゃったんだもんっ」
駄々っ子のような物言いだ。
こんなのただの八つ当たりで、現実逃避にもほどがある。
「……それでも、それはお前の選んだ道であり、お前の人生だろう?」
悲しそうな顔で雪光が呟いた。
あずさは、言ってはいけないことを言ってしまったのだと察し、
「……ごめんなさい」
と謝る。
雪光にしてみれば、きっとあずさが『生きている』だけで、それは素晴らしいことなのだと思っていたに違いない。定められた道筋とはいえ、変えることができるのだから。
無言で歩き始めた雪光のあとをついて、大人しく歩く。何か言葉を掛けたいけれど、なにを言っていいのかわからなかった。
すぐに鳥居の前まで辿り着いてしまう。このまま別れるのが嫌で、つい
「また来てもいい?」
と聞いてしまった。
「駄目だ」
「なんでよ」
「だから、」
「鳥居の向こうにはいかない! ここでなら会えるんでしょ?」
禁足地は、鳥居の向こう側。ならば鳥居の前で会う分には問題ないはずだ。
「……なんでお前に会わなきゃならんのだ」
「それはっ、」
明確な理由など、何もなかった。
「それは、私が雪光に会いたいから! もっと仲良くなりたいから! ね? いいでしょ?」
どうしてそこまで固執するのか、その理由は自分でもわからなかったが、もっと彼を知りたい、というのは嘘ではなかった。
「意味が分からない。何を言っているんだお前はっ、」
「ねぇ、なんで『お前』なの? ちゃんと名前で呼んでよっ」
小さい頃より口の悪くなった雪光にそう注意する。と、気まずそうに頭を掻き、
「ごめん、なんか気恥ずかしくて……」
と照れる。
あずさの中で、なにかが「きゅん」と言った。
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