【短編】天使の羽根
風雅ありす@鬼姫完結しました!
第1話 はじめての海
雑木林の中を、一人の少女が宛もなく彷徨い歩いていた。
色素の薄い長髪が、涙に濡れた頬にまとわりつく。しかし、少女はそれを払いもせずに歩き続けた。
両手を前に突き出し、その指先に木が当たる度に、進行方向を変えて行く。
全身から疲労が滲み出ていた。少女は、かれこれ半日以上も歩き続けている。
どこへ行こうと言うのだろうか。少女には、行く場所も、帰る場所もないのだ。
木の根っこに、不安定な足取りを捕らわれ、体が大きく前に倒れた。体中が悲鳴を上げる。しかし、その悲鳴を聞き取る事が出来ない程、少女は衰弱していた。
地に伏した少女が、朦朧とする意識の中で自分の生を呪う。
少女は、諦める事を知っていた。諦め方を知っていた。そして、そのまま静かに瞳を閉じた。
全てを諦めようとしたその時、何かが少女の鼻をくすぐる。
――海の匂いがする――
少女が瞳を開けた。その瞳は虚ろで、何も映してはいない。
少女は、一度でいいから海を見てみたいと思っていた。
か細い両腕で上半身を支え起こす。そして、何とか立ち上がると、今度は鼻を頼りに歩き出した。
海を見たい、という想いだけが少女の体を支配し、動かす。
自分が生きているのか、死んでいるのかも解らなかった。
急に少女の視界が開けた。素足から、ひんやりと冷たい砂の感触が伝わる。
少女は、歩き続けた。
しばらくすると、冷たい液体が素足をくすぐる。少女は、驚いてその足を引っ込めた。
海だった。
少しためらいがちに足を付けてみる。しかし、そこにはぬかるんだ土しかない。
少女は、また驚いて足を引っ込めた。
そして再び、ためらいがちに足を付けてみる。今度は、少し長めに。
液体が少女の素足をくすぐり、ぬかるんだ土に足をすくわれる。
その不思議な感覚にとまどいながらも、血の気のない少女の頬が、ほんの少し、紅潮した。
少女は、生まれてから一度も海に来た事がないのだ。
しばらくその感覚を楽しむと、そのまま歩を進めた。
足に波の感触を受けながら、水面が少女の下半身を隠す所まで来る。
その時、水平線の辺りが仄かに明るくなっていった。一筋の光と共に、赤々と燃える太陽がゆっくりと海から顔を出す。
海も空も紅潮していた。
しかし、少女の目は何も映してはいない。
ただ、体に打ち寄せる波の圧力に流されないよう、最後の力を振り絞って歩いて行くだけだ。
恐怖はなかった。もう少女をこの世に思い留めて置くものは、何もない。それは、安らかな平穏をもたらす死への安堵でしかなかった。
水面が少女の首から下を隠す。波が少女の顔を打つ。少女が、その虚ろな瞳を閉じた。
「お前、それで幸せなわけ?」
突然、少女の頭上から声がした。
驚いた少女が頭上を仰ごうとしたが、その声の主を確かめる間もなく、少女の体は波に浚われ、海中へと沈んでいく。
(幸せ、なのだろうか)
酸素が薄れていく頭の中で、少女は己の行動を顧みた。
幸せだと、思った事は一度もない。常に自分の不幸を呪って生きていた。そして、何よりもその不幸を目の当たりにして生きてきた事が、少女に諦める事を教えたのだ。
『お前、それで幸せなわけ?』
先ほど聞こえた声が、頭の中に響いて聞こえる。
少女は、いつしか息苦しさに、右手を海面の方へと伸ばしていた。そして、その宛先もなく伸ばされた腕を、誰かが海上から掴んだ。
少女の体が、海上へと引っ張り上げられる。
そして次の瞬間、少女の体は誰かのあたたかな腕に抱かれ、宙に浮いていた。
それは、夢を見ているのかと錯覚する程の心地良さだった。その感覚に、少女は言葉を失う。
雪のように真っ白な羽根。太陽の光を反射して煌めく黄金の髪。悲しみの色を帯びた青碧の瞳。そして、心に優しく響く声。
「お前を幸せにさせてやる」
それは、一人の天使だった。
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