金と銀のモザイク~脂ぎったおじさんは断固お断りです!~

みつまめ つぼみ

金と銀のモザイク~脂ぎったおじさんは断固お断りです!~

 脂ぎった顔、輝かしい頭頂部、そしてねちっこく私の身体をなめ回すように見る目付き。


 その全てが、私に嫌悪感を抱かせていた。


 目の前の貴族男性が、野太い声で告げる。


「グフフ、ルームスバウム伯爵よ。お前の娘は実に上玉だな。

 この娘の年齢はいくつだ?」


 お父様が蒼褪めた顔で応える。


「はい、今年で十五歳、冬に成人となります」


「素晴らしい! ならば私の妾となるのにも問題あるまい!」


 私は思わずお父様に声を上げる。


「お父様、妾とはどういうことなのですか!」


 お父様が目を伏せて私に応える。


「今年も農作物は干ばつで大凶作だ。

 このままでは領民たちの生活も危うい。

 こちらのメルツァー侯爵に昨年はお助けいただいたが、その借金の返済もままならない。

 侯爵に相談した結果、お前を妾とするなら、借金を帳消しにして今年も支援をしてくださるとお約束頂いた。

 ……不甲斐ない父ですまない、フェリシア。領民のため、メルツァー侯爵の妾に頷いて欲しい」


「そんな……」


 私には、それ以上を口にする事ができなかった。


 この見るからに下品で年配の男性の妾なんてものに、伯爵令嬢である私がなるというの?


 呆然としている私の手を、メルツァー侯爵が勝手に掴んで撫でまわしてきた。


「――いや! 触らないでください!」


 走る悪寒で思わず口が声を上げ、手を振り払った。


 両手を抱え、縮こまって震える私にメルツァー侯爵が告げる。


「グフフ、品が良く純粋な娘だ。このような娘を妾にするのが、私の夢だった。

 これからは私がたっぷりと可愛がってやろう。朝から夜まで、思う存分な」


 その言葉の意味を理解した時、私の意識は急速に遠のいて行った。





****


 目が覚めると、私は部屋のベッドで寝かされていた。


 ベッドサイドに座るお父様が目に入る――憔悴して、落ち込んでらっしゃる。


 さっきのは夢じゃないということかしら。


 あんな人の妾だなんて、私は絶対に嫌。


 だけどお父様だって、私を侯爵の妾になんてしたくないんだ。


 うつむいているお父様に、私は静かに声をかける。


「……お父様、少しよろしいでしょうか」


 顔を上げたお父様が、少しだけ明るい顔になって私に応える。


「フェリシア、気が付いたか? どうした、言ってごらん」


「メルツァー侯爵以外に、助けて下さる方はいらっしゃらないのですか」


 お父様が深いため息をついて応える。


「この辺りの土地の領主は、どこも干ばつによる凶作で苦労している。

 中にはメルツァー侯爵に娘を差し出した領主が既にいるくらいだ。

 陛下が救いの手を差し伸べて下されば、あるいはなんとかなるかもしれない。

 だが今現在、陛下から色よい返事は頂けていないんだ」


「そうですか……」


 私の口が、力のない深いため息を漏らしていた。


 領民を救うために、私が取るべき道は一つしかないのか。


 ――たとえ妾といえど、せめて伯爵家の名に恥じないように生きてみせる!


 私が心に固く誓うと同時に、お父様が私の手を強く握ってくれた。


「すまないフェリシア、お前にばかり苦労を掛ける」


 私は精一杯に微笑んで応える。


「いいえお父様、これも伯爵家に生まれた者の務め。

 領民のため、立派に務めを果たしてみせます」


 お父様だって、あちこちの伝手を頼って頭を下げて回ってるはず。


 それなのに、私だけが家でのうのうとなんてしていられない。


 できることは、やらないと。


 私は涙ぐむお父様に、微笑みで応え続けていた。





****


 メルツァー侯爵は領地に滞在し、度々この伯爵邸を訪れた。


 何かにつけては肌に触れてくるのを、私は必死に避けていた。


 紅茶のカップを持つ手に伸びてくる侯爵の手を、さっとかわして私は告げる。


「メルツァー侯爵、成人前の女子に触れるのはマナー違反ですわ」


「だがたった半年の違いだろう? 少しお手付きをしたところで、お前は私の物なのだ。なにも変わるまい」


 背筋を走るおぞけを必死に我慢し、淑女の微笑みで応える。


「半年前でも未成年は未成年。けじめをつけられない方はみっともありませんわよ」


 メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべて笑う。


「グフフ、まだ強がっていられるか。

 だが最初の一夜を過ごせば、お前も他の娘と同じように従順になる。

 何をしても無駄だと理解し、逆らえば領民が犠牲になるとわかれば、すぐにお前も仲間入りだ。

 穢れを知らぬ娘を汚していく快感は、何度味わっても甘美なものよ」


 ――この男に、侯爵としての矜持はないのだろうか。


 心の中で、呆れてため息をついた。


 下品で低俗、下劣で愚昧。その知性は人を貶めることのみに使われているようだ。


 なんでこんな人が、我が家を救えるほどの力を持ってるのだろう。


 他の被害に遭った子たちも、救い出せるといいのに。



 短くも長いお茶の時間が終わり、メルツァー侯爵が席を立った。


「今日も楽しませてもらった。また明日を楽しみにしておこう」


 ――明日も来るというの?!


「何を考えていらっしゃるのかしら。連日我が家を訪れるだなんて、常識外れではなくて?」


 毎日来賓の対応を強いるなんて、嫌がらせじゃない!


 メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべた。


「その強気な態度がたまらん。フェリシアよ、お前を屈服させる日が待ち遠しい」


 私は全身全霊で、魂からほとばしる悪寒を必死に抑え込んでいた。


 私が貴族の矜持で保たせた微笑を見て、メルツァー侯爵は満足気に頷いた。


「グフフ、その態度、いつまで保てるか楽しみだ」


 身を翻して応接間から出ていくメルツァー侯爵が見えなくなるまで、私は身動きが取れなかった。


 彼の姿が視界から消えると、必死に震える全身を抱え込んで両腕をさすった。


 ――最低! あんな男の妾なんて、死んでも嫌!


 私は深い疲労がこもった息をついた後、気を取り直して気合を入れた。


 メルツァー侯爵を見送らないと。


 嫌がる足をなんとか前に動かし、私は玄関に向かった。





****


 お父様がメルツァー侯爵と何かを話し合っていたようだ。


 偉そうに言葉をかける侯爵に、お父様は唇を噛み締めて頭を下げていた。


 私が近づくと、お父様は顔を上げて私に弱々しく微笑んだ。


「フェリシア、メルツァー侯爵がお帰りだ。お見送りしなさい」


「はい、お父様」


 私はお父様と玄関の外に出て、侯爵が馬車に乗るのを見守った。


 メルツァー侯爵はわざと緩慢な動きで馬車に乗りこみ、私を見つめ告げる。


「ではまた、明日会おう」


 馬車の扉を従僕が閉め、馬車が走り出す。


 ……ようやく解放された。思わず安堵の息が漏れる。


 そのメルツァー侯爵の馬車と入れ違いになるように、別の馬車が我が家の門の前でとまった。


 馬車の御者と話をした衛兵が、お父様に駆け寄って告げる。


「王都から役人が来ております。どうなさいますか」


 お父様が片眉を上げて応える。


「王都から? 何のために?」


「それは直接話したいとの事です」


 お父様が馬車を見ながら告げる。


「よし、通せ」


 敷地に入ってくる馬車は、貴族が乗るものにしては質素な作りだった。


 屋敷の前で止まった馬車から、頭巾シャペロンを被った一人の青年が降りてくる。


 髪の毛は見えないけど、顔が整っていて蒼玉のような青い瞳が綺麗だった。


 青年がにこやかに告げる。


「私はルスト、王都からきた文官です。

 この地方が干ばつで苦しんでると聞いて、視察に参りました」


 お父様の顔が、怪訝なものから晴れやかなものに変わる。


「おお! では陛下は我々をお救い下さると!」


 青年がニコリと微笑んで応える。


「それは視察の報告を見てから、陛下がご判断されます」


 お父様の顔が強張り、頷いて告げる。


「では早速視察をしてほしい。

 農地まで案内しよう。それで現状を確認してもらいたい」


 ルストが頷き、お父様を馬車に乗せて農地へ向かっていった。


 ……今から農地の視察なんてしてたら、日が暮れるんじゃないかしら。大丈夫なの?


 私はため息をついてから、屋敷の中へ戻っていった。





****


 夕食の席、そこにはなぜかルストが同席していた。


 お父様から伝えられる窮状を、ルストは頷きながら聞いていた。


「なるほど、昨年に引き続きの大凶作で、もはや貯えも尽きているのですね」


 お父様が神妙な顔で頷いた。


「昨年はメルツァー侯爵から借金をして、彼の領地から食料を買い付けた。

 領民に配れるだけの、最低限の量だ。

 とても備蓄などしている余裕はなかった」


 ルストは質素な旅装に頭巾シャペロンを被ったまま、お父様の話に耳を傾けつつ、夕食に口をつけていた。


 私は言って良いものか迷った末に、ルストに告げる。


「あなた、屋内で頭巾を取らないのは失礼ではなくて?」


 お父様が慌てて私に声を上げる。


「フェリシア! その程度の無礼は目をつぶりなさい!」


「そういう訳には参りません。ここはルームスバウム伯爵家、貧しても品性を忘れる真似だけは、してはならないと思います」


 いくら彼が窮地に差し込んだ一筋の光とはいえ、守るべきマナーは守ってもらわないと。


 私が続いて視線で抗議すると、ルストは苦笑を浮かべながら頭巾シャペロンを脱いだ。


「すまない、できれば髪を見せたくなかったんだ」


 頭巾シャペロンから出てきた彼の髪は、金と銀がまだらになったような、不思議な頭をしていた。


 私がぽかんと彼の頭を見つめて告げる。


「あなた、その髪の毛を隠したかったの?」


 ルストが私にニコリと微笑んだ。


「みっともないだろう? こんな髪」


 私は首を横に振って応える。


「そんなことないわ。金と銀が混ざり合って、まるで宝石のようよ?

 どちらの色も、とても綺麗」


 ルストが恥ずかしそうに鼻をかいた。


「……そうかい? そう言ってくれたのは、母上ぐらいだったな。

 父上も、あまりこの髪の毛はお好きでないようだ」


「ねぇルスト、あなたは頭巾シャペロンを取ると口調が変わってしまう癖でもあるの? まるで貴族の口ぶりね」


 ルストがフッと笑って肩をすくめた。


「――失敬。解放感から、つい口も緩んでしまったようです。

 私は貴族ではありませんから、伯爵の前でなるだけ失礼のないよう心がけましょう」


 不思議な人だな、この人。


 こんな髪色の人、他にも居るのかな。


「ねぇお父様――お父様? どうされたの?」


 ぼんやりしているお父様に、私は声をかけた。


 お父様はハッとして私に応える。


「――ああ、なんだい? フェリシア」


「どうなさったの? なんだか様子がおかしいですわよ?」


「いや、なんでもない、なんでもないよ。お前は気にしないでおくれ」


 ……? 変なお父様。



 その日の夕食は、ルストが明るく話題を振り、お父様や私が応える時間が過ぎていった。


 まるで詮索されたくないかのように会話を繰り出すルストは、好青年に見えるけど裏があるようにも感じる。


 一体この人、何者なんだろう?





****


 食事が終わると、ルストが私に声をかけてくる。


「申し訳ありませんが、あなたからも話を伺ってよろしいでしょうか」


「私ですか? 構わないけれど……」


 さっき、お父様から窮状はしっかりと聞き取りをしていたはず。


 私から聞くことなんて、何があるんだろう?



 サロンに移動した私とルストは、向かい合ってソファに座っていた。


 紅茶を飲む所作に気品がある……。


「ねぇルスト、あなたは本当に貴族じゃないの? 身分を偽って居たりはしない?」


 ルストがニコリと微笑んだ。


「私は貴族ではありませんよ。そこは誓って嘘ではありません」


「ではとても育ちが良いのね。裕福な家庭で育ったのかしら」


「そうですね……裕福ではあったでしょう。

 父上も母上も、私を大切に愛して下さった。

 何不自由なく生きてきたと言えます――この髪色を除いては、ですけれどね」


 私はきょとんとルストを見つめて応える。


「その綺麗な髪の毛が、あなたに不自由を強いてきたというの?

 きれいな顔をしているし、女性から言い寄られすぎて困るとか?」

 

 ルストが嬉しそうに微笑んで応える。


「そう言ってくださったのは、フェリシア様が初めてです。

 周囲はこの髪の毛を、奇異の目で見てきます。

 珍しい髪色ですから、仕方がないと理解はしていますけれどね。

 見られることにコンプレックスを感じて、屋内でも頭巾シャペロンを被るようになりました」


「そう……あなたにとって、髪の毛を見られるのが苦痛だったのね。

 それを一様に『無礼だ』と脱がせてしまった私を、どうか許してもらえるかしら。

 人には人の事情がある、そんな当たり前のことに気が付かなかったわ」


「いえいえ、事情を知らなければ、ただの無作法者にしか見えません。

 フェリシア様は、何も悪くありませんよ。

 私は気にしていませんので、フェリシア様も忘れてください」


 私は安心してニコリと微笑んだ。


「許してくれてありがとう、ルスト。

 でもその綺麗な髪の毛を隠してしまうだなんて、もったいないわ」


 ルストは照れるように目を背けて紅茶を一口飲んだ後、今度は私の目を見て告げてくる。


「――ところで、メルツァー侯爵がしていることをお聞きしたいのですが。

 彼が領主たちへの支援と引き換えに娘を差し出させているというのは、本当ですか」


 そのことか……私は憂鬱な思いを息に込めて吐き出した。


 そのまま洗いざらい、今日までメルツァー侯爵が私にしてきたことも全て打ち明けていた。


 ルストが厳しい目つきで私を見つめ、告げる。


「それほどの横暴を振るっていたのですか……貴族の風上にも置けない男だ。

 既に被害者がいるということですが、どの令嬢かご存じですか」


「……インメル子爵家と、マンフレート男爵家のご令嬢ですわ。

 他の家も時間の問題だと、メルツァー侯爵は言っていました。

 ――ルスト、教えてくださいませんか。

 なぜメルツァー侯爵だけが、ああも強い力を持つのですか!

 彼の領地は干ばつとは無縁なのですか?!」


 ルストが難しい顔でうつむいた。


「彼の領地には大きな水源があります。

 山脈から流れてくる川と大きな湖、それが彼の領地を支えています。

 今年の雨不足でも、あの水源は大きなダメージを負っていなかったはず。

 ですから彼の領地は、他の領地に売れるだけの収穫があるのでしょう」


 ――なんて不公平! それほどの水源を持ってるなら、水路を作るだけで干ばつ対策になるのに!


 でもメルツァー侯爵はそんなこと、決して言い出さないわね。


 相手を弱らせ、弱みに付け込んで若い娘を妾にする。それだけを目的にしてるような男だもの。


 私はため息をついた後、ルストに尋ねる。


「メルツァー侯爵に水路を作らせる方法は、何かないのかしら」


「彼の領地である以上、彼が頷かなければ許されません」


 そっか……それならやっぱり、私があの男の妾になるのは避けられないのか。


 私が暗い気分になって、ティーカップを膝の上でもてあそんでいると、ルストが優しい声で語りかけてくる。


「心配しないでください。私がきっと、あなたを救って見せます」


「あなたが? 私を? 国王陛下に奏上してくださるの?」


 顔を上げてルストの目を見る――そこには、優しさを湛えた青い瞳が私を見つめていた。


「私に任せていてください。あなたは何の心配も要りません」


 私はクスリと笑みをこぼして応える。


「では、ルストの言葉を信じることにしますわ。

 明日もメルツァー侯爵は我が家にやってきます。

 あなたなら、きっと私を守ってくださるのよね?」


 ルストが力強く頷いて応える。


「ええ、必ず」


 私は満足感で笑みを浮かべ、ルストの顔を見つめていた。





****


 翌日、メルツァー侯爵は朝早くから伯爵邸を訪ねて来ていた。


 ――こんな時間から訪問だなんて、なんて非常識なの?!


 なんとか身支度を整え、部屋を出たところで周囲を見渡す。


 ……ルストの姿がない。彼はどこに行ったのだろう。


 彼は『私を守る』と言ってくれた。


 だけど貴族でもない文官のルストが、侯爵から私を守る方法なんて、存在しない。


 彼の気持ちは嬉しいけれど、無理をしてルストが侯爵に目を付けられると厄介だ。


 彼を守る力なんて、今の私にはないのだから。


 ――よし! 自分の身は自分で守る! 昨日と一緒だ!


 私は気合を入れて、メルツァー侯爵の待つ応接間へ向かった。





****


「遅いぞ! 何分待たせるつもりだ!」


 メルツァー侯爵は妙に不機嫌だった。


 私の姿を見るなり怒鳴りつけ、怒りを叩き付けてきた。


 その怒声に首をすくめたくなるのを耐えて、背筋を伸ばしてメルツァー侯爵に告げる。


「このような時間に訪問などすれば、準備に時間がかかるのは当然でしょう?

 待つのがお嫌でしたら、適切な時間に前触れを出してから来られたらいかがかしら」


 メルツァー侯爵はソファから立ち上がり、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。


「御託はいらん! さっさと私の相手をしろ!」


 彼は無理やり私の手を取り、強く握りしめてきた。


「――痛い! 力を弱めてください、メルツァー侯爵!」


「フン! いいからこちらへ来い!」


 引きずられるようにソファの前に連れていかれ、私はソファの上に突き飛ばされた。


 倒れ込む私に跨ったメルツァー侯爵が、声を上げて周囲の侍女たちに告げる。


「人払いだ! とっとと部屋の中から失せろ!」


 侍女たちは私をかばおうと迷ったようだけど、私が頷いて見せると渋々、部屋から出ていった。


 彼女たちがどれほど私をかばおうと、今のメルツァー侯爵を止めることはできない。


 ここはなんとか、私の力だけで切り抜けないと!


 だけど私が決意をした瞬間、私のドレスが破かれていた。


「――何をなさるのですか!」


「半年も待っていられるか! 今すぐお前を屈服させてやる!」


 身の危険を感じて、頭から血の気が引いて行く。


 気絶しそうになるのを、歯を食いしばって耐えていた。


 ――今気絶したら、それこそ何をされるか!


 両腕で必死にメルツァー侯爵の肩を押しのけようとするけれど、男性と女性の腕力の差は歴然だった。


 徐々に近づいてくるメルツァー侯爵の顔、その嫌悪感に私は、力一杯声を上げる。


「――助けてルスト! どこに居るのよ!」


「呼んだかい? お嬢さん」


 軽妙な声と共に、メルツァー侯爵の顔面が痛烈に蹴り飛ばされていた。


 テーブルをひっくり返して床に転がるメルツァー侯爵が、呆然とソファの後ろを見ている。


 私も慌ててそちらを見上げると、頭巾シャペロンを被ったルストが不敵な笑みを浮かべていた。


 ……こんな表情、昨日は見なかったな。もしかしてルスト、怒ってるの?


 ルストがメルツァー侯爵に冷たい視線を投げかけ、低い声で告げる。


「メルツァー侯爵、貴様の所業は確かにこの目で確認した。

 言い訳があれば聞くだけ聞いてやろう」


 その言葉で、呆然としていたメルツァー侯爵の顔が怒りで真っ赤に染まった。


「貴様、何者だ! 高貴な私の顔を蹴り飛ばして、ただで済むと思うなよ?!」


 ルストがドレスの破れた私に上着を被せながら、メルツァー侯爵に応える。


「高貴? 貴様が? 今の行いのどこに品性があったのか、説明をしてもらおうか」


 ルストがソファを飛び越え、私を背に庇うように立っていた。


 そのルストの顔面を、メルツァー侯爵が拳で殴り抜いた。


 おそらくメルツァー侯爵の全力だろう拳を、ルストは顔面で受け止めるように平然と立っている。


 ……鍛えてるにしても、頑丈すぎない?


 ルストが反撃でメルツァー侯爵の腹に膝蹴りを入れたあと、顔面にお返しの拳を叩きこみ、メルツァー侯爵は再び床に転がっていった。


「メルツァー侯爵よ、今確かに、私の顔に殴りかかったな?

 ――フェリシア、相違ないか」


 こちらに振り向いたルストに、私は黙って頷いた。


 ニコリと微笑んだルストが、再びメルツァー侯爵に振り向いて厳しい声で告げる。


「メルツァー侯爵、貴様は誰を殴ったのか、よく見てみろ」


 ぽかんとした侯爵が、ルストの顔をまじまじと見て眉をひそめていた。


 ルストはフッと笑うと頭巾シャペロンに手をかけ、それを一気に脱いだ。


 あらわになった金と銀、まだらの髪の毛を見て、メルツァー侯爵の顔面が蒼褪めていた。


「――ヴァンダールスト殿下?! なぜこんなところに?!」


 殿下? ということは王族? ルストが? どういうこと?


 ルストは怒りを隠さない表情、獰猛な笑みで侯爵に告げる。


「なに、父上からこの地の視察をして来いと言われてな。

 私も意味がわからなかったが、貴様の悪行の噂を聞きつけたのだろう。

 ――私の顔面を殴る意味、貴様も理解していよう」


 慌てたメルツァー侯爵が必死に声を上げる。


「知らなかったのです! 殿下とわかっていれば、決して暴力など振るいませんでした!」


「そのような言い訳が通ると思うか?

 王家に対する反逆罪だ。

 貴様の領地と爵位を没収し、死罪を言い渡す。

 逃げたければ逃げるがいい。地の果てまでも追いかけるがな」


 脱力したメルツァー侯爵は、へなへなとその場にくずおれていた。


 私はまだ意味が分からず、メルツァー侯爵を睨み付けるルストを、呆然と眺めていた。





****


 その後、お父様が呼んだ伯爵家の衛兵たちが、メルツァー侯爵を拘束した。


 ルストは悪戯がばれた子供のように私に微笑んで告げる。


「だまして悪かった。身分を偽ったのは、メルツァー侯爵の行いを調査するため。

 あなたには嘘をついた形になり、申し訳ないと思う」


「……貴族じゃないって言ったのに」


「知らないのかい? 王族は貴族じゃない。常識だろう?」


 ――そんなの、気付けるか!


 私はやり場のない怒りを持て余しながら、ルスト――ヴァンダールスト殿下に告げる。


「それで殿下は、これからどうなさるのですか」


「まず、メルツァー侯爵を処刑する。

 そのあと彼の資産で、この地方の領主たちを支援するさ。

 侯爵に妾にされていた令嬢たちは、なんとか嫁ぎ先を王家が斡旋しよう。

 ――もちろん、まともな貴族の所にね」


 そっか、彼女たちにも救いがあるのか。


 それなら私の窮地も、これでおしまいなのかな。


 私はぽつりと告げる。


「では私も、婚約相手を探し始めないといけませんわね。

 未遂で済んだとはいえ、侯爵に乱暴された私をもらってくださる方が居ればよいのですが」


「そちらも心当たりがある。

 よければあなたの婚約相手も、王家に斡旋させてもらえないかな」


 私はきょとんとヴァンダールスト殿下を見つめて告げる。


「王家が? そのようなこと、お願いなんてできませんわ」


 殿下が困ったような微笑みで私に告げる。


「今回、メルツァー侯爵の悪事を確かなものにする中で、あなたに瑕疵を作ってしまった。

 その責任を取らせてほしい――つまり、私の妻になる、というのでどうだろうか」


 ……何て言ったの? 殿下の妻?


 唖然としている私の手を取り、その甲に唇を落としてヴァンダールスト殿下が告げる。


「フェリシア嬢、私と婚姻して欲しい。

 これは同情でも責任感からでもなく、私の心からの言葉だ」


「……意味がわかりませんわ。

 殿下とは昨日、出会ったばかりですわよ?」


 ヴァンダールスト殿下が太陽のような微笑みで私に告げる。


「私の髪色を綺麗だと言ってくれた。そんなあなたの心に惚れた。

 ……それでは不満だろうか」


「たったそれだけで? だって、綺麗なものを綺麗と言っただけですわよ?」


「そんな言葉は、母上以外から聞いたことがない。

 あの時から、あなたは私にとって大切な存在になったのさ」


 なんだか納得がいかないけど、王族にむやみに逆らう訳にもいかない。


「……わかりました。では友人から、ということではどうでしょうか。

 もっと殿下の事を教えてくださればと思います。

 それで夫と納得できる方なら、私も婚約に頷きます」


 ヴァンダールスト殿下が満足気に頷いた。


「ああ、今はそれでいいとも。

 王族だからと即座に飛びつかないあなたの姿勢も、また好意に値する。

 メルツァー侯爵の件が片付いたら、またやってくるよ」



 こうしてヴァンダールスト殿下はメルツァー侯爵を連れて、王都へ帰っていった。


 後にお父様から、侯爵が処刑されたと聞いた。


 その後、元メルツァー侯爵領だった土地は王家の保有地となり、水源から水路を各地に引く一大事業が始まった。


 翌年には水路が完成し、私たちの地方は干ばつでも耐えられる水源を得た。





 私とヴァンダールスト殿下は順調に距離を縮めていき、私が成人すると同時に婚約を結んでいた。


 それから半年後、水路の完成を祝うかのように私は婚姻し、王家に迎えられた。


 殿下の髪の毛を嫌がらない令嬢は本当に珍しいらしく、陛下たちは大変喜び、私たちを祝福してくれた。



「フェリシア、君は今幸せか?」


 私を見つめてくる蒼玉のような青い瞳に、私は微笑みながら応える。


「ええ、もちろん幸せよルスト」


 いつまでも私を大切に扱ってくれる男性、それだけでも満点だ。


 私はその青い瞳に変わらぬ愛を誓いながら、彼の唇にそっと唇を重ねた。

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