第4話 リューグ=ランド・ベルネルトホルン①
リューグ皇子にとって、ビナギア王国の反乱は寝耳に水の話で御座いました。
その日は魔物の討伐も上手く行き、この調子ならばあと5日と経たずに王都に凱旋できるかもしれないと思いながらも国境の戦砦の方が気が楽だなと帰還をいつにするか悩み始めた、その日のことだったのです。
リューグ皇子の大好きな兄君である第一皇子ヴァル=デューが送り込んでいたスパイがいち早く異変に気付きリューグ皇子に早馬を送ってなんとかギリギリ姫君たちを助け出せたのですが、あとほんの少しでも到着が遅れていたらとお風呂に入ってからも皇子の心臓はドキドキしっ放しです。
ユルグフェラー側としては、ビナギアの反乱は王の意志ではないと確信していました。
ビナギアのダルザー王とユルグフェラーのベルキュエル=ドー皇帝は若い頃からの友人同士であり、ダルザー王の母であった女王とベルキュエル皇帝の母も仲の良い茶飲み友達であったのです。
だというのに、ユルグフェラーがビナギアを裏切ったかのように見せて王族を殺すなんてことをダルザー王がするわけがありません。まして彼も――報告によれば命を落としているのです。
スパイたちが報告してきている限りでは、現在無事が確認されたのは王妃と側妃の両妃と、それぞれの男女一人ずつの子供たちだけ。
国王陛下と大将軍は死亡が報告され、大将軍の息子2人と側妃の二番目の娘の生死は確認されませんでした。
想像するだけで恐ろしい話です。
リューグ皇子はまたベソっと泣きそうになるのを顔にお湯をバシャリと当ててなんとか我慢いたしました。
ユルグフェラー帝国は、帝国とは名ばかりで実際には皇帝の他に各領地を治める領主による議会制をとっている国家です。ですので、その中の誰かが反乱を起こして王を殺すなんて事を想像するだけでも怖くて怖くて、王になんかなりたくないという気持ちでいっぱいになってしまいます。
なんで第一皇子は自分に皇太子の座を譲ったのだろうという疑問をいつも持っていたリューグ皇子は、もしかして自分が皇太子になったからこんな怖い事件が起きてしまったのかもしれない、なんて思ってしまいます。
何しろリューグ皇子は近隣諸国では有名な『悪魔の皇子』なのですから、そう思っても仕方がない事でしょう。
何度シグルド団長が
「そんな名乗りをする度胸はないでしょう」
と呆れながら言ってくれても、何度ヴァル第一皇子が
「そんな噂をするヤツはお兄様が一人残らず消してあげるからね」
と言って下さっても、その懸念は消えません。
真っ黒な髪に真っ赤な目。それに見合う皇太子のみが着用を許される真っ黒な鎧に赤い房付兜と赤いマントは、誰がどう見たって悪魔の使者でしかないと、リューグ皇子本人はそう思うのです。
それに対して、あのディルアンディアという姫君はどうでしょう。
月夜のランタンにも輝く美しい髪に意思の強そうな高貴な紫の瞳。寒さで頬を真っ赤にしながらも死んだ騎士の顔を確認して名前を言える記憶力と、リューグ皇子にとってびっくりするばかりの存在がディルアンディア姫でした。
ダルザー王に最も愛されていた姫と呼ばれているのも納得するばかりのその美貌は、しかし決して弱々しくはなく驚くほどに強い眼差しでリューグ皇子を見上げてきたものでリューグ皇子も驚いて泣きそうになってしまった程です。
自分にも彼女のような強さがあったならどれだけ良かっただろうか、なんて、思ってしまっても仕方がない事でしょう。
リューグ皇子は、自分の子の真っ黒の髪が嫌いです。お風呂で洗ってサラサラになっていても、お湯に映る自分の顔はとっても怖くって、自分だったら絶対に近づきたくなんかないな、と思ってしまうほど。
うるっ、と目に涙が浮かんで、また顔にお湯をぶつけてなんとか我慢をします。
ダルザー王はいい人でした。引っ込み思案ですぐに泣いてしまうリューグ皇子のことも優しく抱き上げてくれて、自分の息子である王子たちと仲良くする手助けをしてくれました。
リューグ皇子が剣を習い始めたのは、彼の弟の大将軍がとてもカッコいいと思ったからです。
彼のようになれば、自分もいつかあの黒い鎧が似合うような騎士になれるのじゃないかと思って、必死になって剣を振ったのです。
しかし現実は無情で、そんな風に頑張っていたリューグ皇子に発現した【王の血統】の能力は散々なものでした。リューグ皇子にとっては誰かを殺すよりはいいと思えるものですが、かと言って決して格好良くもない、泣いてばかりの自分にお似合いの能力。
そんな能力でこの先あの姫たちを守って王都へ戻れるのか、リューグ皇子は心配で仕方がありません。
彼女たちに非がないのはわかっています。彼女たちは、反乱の犠牲者なのですから。
ですが、彼女たちが言っていた第3王宮の騎士とやらが国境ギリギリまで追いかけてきていたのにはとても違和感を覚えます。
きっとこの反乱の首謀者は彼女たちが邪魔だと思っていたのだろうと、リューグ皇子は思っていました。自信なんかはありません。ただ、何となくそう思っただけです。
だってそうでなければ、王妃たちが無事なのに彼女たちがここまで追いかけられていた意味がわかりません。
彼女か、彼女の母か――そのどちらかを殺したかったのでしょう。あの姫君は本当に危ない橋を渡っていたのです。
あぁ、恐ろしい。流石に今度ばかりはぽろりと涙がこぼれてしまいました。
「殿下、姫君がお越しです」
「へ、ぇ!?」
「どうしても話したい事があるんだとか」
メソメソとしかけた時、バスルームの扉を叩いてシグルドが言いました。
外はもう夜も深まっていて、貴族の令嬢ならすっかり眠っていておかしくない頃合いのはずです。それなのにこんな時間に男の部屋を尋ねるなんて……
なんとはしたない!
驚いたリューグ皇子は顔を真っ赤にしながらも、お風呂の中でバチャバチャと慌ててから急いでヨルンを呼びました。
兵士たちの眠る宿舎は夜番のために廊下もあたたかくしてありますが、上級騎士やリューグ皇子付きの人間しか居ないこのフロアは廊下は冷たいままのはずです。
そんな廊下に立ちっぱなしにさせるなんて、流石にそんな事は出来ません。
「シグルド、服を持ってきてくれるか。ヨルンは部屋に姫を入れて、あたたかいお茶を」
「かしこまりました」
「かしこまりました~!」
急いで髪を絞って、シグルドの差し出してくれた布で身体を拭います。
その時に必ず身体に傷や痣がついていないか確認されるのにも、もう慣れてしまいました。本来こんなものは騎士団長の業務ではないというのに、彼は毎回こうやってリューグ皇子の身体をチェックするのです。
まぁ、以前脇の骨が折れているのに黙っていた事があったので彼も警戒しているのだろうというのは分かります。わかりますが、ローブを着るまでにジロジロ見られるのは流石に恥ずかしい気持ちになってしまいます。
ですが、今は姫君の方が大事です。彼女が凍えてしまう前に用意した部屋に戻ってもらわないと、帝国の名に泥がついてしまうかもしれません。それは、絶対にしてはいけない事でした。
「お待たせしました、ディルアンディア嬢」
「きゃっ……!」
シグルドに髪も拭いてもらってローブの前の紐を結ぶと、リューグ皇子は急いでバスルームから飛び出しました。
その勢いに驚いたのか、ディルアンディア姫がソファの上で飛び上がりそうになっていたのでちょっと、緊張していた胸が解れていきます。
そういえば風呂上がりのローブ一枚で淑女の前に出るなんてはしたなかったかもしれないと気付きましたが、彼女を待たせるよりマシかと思い直してシグルドからマントを剥ぎ取って己の身体に巻き、彼女の正面に座ります。
「……申し訳ない、いらっしゃったと聞いて、急いでいたもので……っ」
「い、いえとんでもありませんわ! わたくしこそ、こんな時間にお邪魔して申し訳ありません。でも、どうしてもお話したいことがあって……」
「話したいこと?」
ディルアンディア姫はリューグ皇子から少し視線を外しながらヨルンの出したお茶を一口頂いて、ちょっとほっとした顔をしてから恐る恐るリューグ皇子を見ます。
そんな彼女の様子を見て、リューグ皇子は理解しました。
彼女の正面に座るなんて、淑女も子どもも恐れる自分がしてはいけないことだったのです。ちょっぴりショックを受けながらも、自分の外見の悪さを思い返して仕方がないことだとマントの中で拳を作りました。
お風呂の中だったので気が緩んでいた、としか思えません。
彼女には本当に申し訳ないことをしました。今度から彼女たちの前では常に兜をかぶっている必要があるかもしれません。
「ユルグフェラーの皆様が本当にわたくしたちの味方であるのかを、確認させていただきたいのです」
やっぱり自分のこの顔では信頼を得るのは難しいのだなと実感したリューグ皇子は、泣きそうになるのを我慢するために必死で眉間にシワを寄せて唇を引き結びました。
その顔が「凶悪」「悪魔」「怖い」と言われているということは、リューグ皇子にとってはまったく知らないことでしたので、仕方のないこと、だったのです。
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