第16話
深く悲しい過去の夢から目が覚めると、私はきちんと服を着せられてベッドに寝かされていた。
ベッド
時刻は朝六時。
月曜日を迎えた今日は当然のように学校がある。
時間的に急いで準備するほどではないけれど、行くならぼちぼち準備をした方がいいだろう。
「……学校、休んじゃおっかな」
呟いた言葉は当然だけど、誰も拾ってはくれない。
永遠は私が熱っぽいと心配しているようだけど、残念ながら今のところは元気だ。
悪いのは私の頭とメンタルだけで本当に嫌になる。
心の奥底に仕舞っていた記憶が正しく蘇るきっかけになったあの夢は、私が人として最低最悪な人間って事を思い知らしめた。
洋子ちゃんを運命の人だと思っている。でも永遠の事も大切で、私は同時に二人の人間に恋をしていた。
二人の事を想うなら私は二人から身を引くべきなんだろうな。
でも、いざ身を引くところを想像すると胸の奥が痛くなって、瞼が焼けるように熱くヒリヒリと痛んだ。
どちらかの手を離すなんて出来なくて、でもどちらの手も握っているのは不誠実だし罪悪感で息が詰まる。
それがどんなに二人を傷付けるのか、あの二人の間に何があったかを未だ知る事の出来ていない私には未知数だ。
恋人(夫婦)になっても、ずっと一緒にはいられない。だから友達でいなくてはならない。
永遠に対して、そんな風に無意識下で思っていた。それは永遠に対してだけだ。
曖昧な記憶を抱えた私の心は矛盾していて、それなのに『彼女』が欲しくて欲しくて仕方なかった。
そんな時に羊子ちゃんと出会った。
可愛くて愛しくて、運命だって思わせてくれた羊子ちゃん。
私の寂しがりな心の隙間を、永遠と恋人になってはいけないと自制をかけた心のヒビ割れを埋めてくれた。
羊子ちゃんの『イイ子』って言葉が私の乾いた心に染み渡って、胸が震えるほど嬉しかったなんて羊子ちゃんは知らない。今後も教えられない。
他人から見れば羊子ちゃんと知り合って付き合ってからのスピード感や日の浅さを考えると、私がここまで羊子ちゃんに心を奪われているのは不思議に感じるだろう。
私は私の事を永遠と同じくらいに欲してくれる人をどこかで探していたからなんだと思う。
だから私にとって羊子ちゃんも永遠と同じくらい大切で大事で愛おしくて――離れたくない存在だ。
例え私と付き合ったのが羊子ちゃんの純粋な好意からで無かったとしても、この気持ちが恋じゃなくて、他人から見れば依存だとしても。
──私にとっては恋なんだ。
それに羊子ちゃんが私を欲してくれているのは、それだけは間違いない。
こんな関係が良くない事なのは分かる。分かるのに……。
二人の事を考えるとずっと胸の奥がシクシクと痛むのだ。
※
結局、体は元気なのに心が追い付かない私は学校をズル休みした。
ミサちゃんからは本気で私を心配するメールが届いている。その事に有り難さと申し訳無さを感じながらベッドに横たわっていた。
疲労感はあるけど、何だか寝て(気を失うのも含めて)ばかりいたせいもあり眠気はない。
テレビを点けるのもスマホでネットニュースを読むのも億劫で、私はただひたすら天井を見上げている。
通勤や通学で慌ただしい空気は過ぎ去ったのか今は窓の外から朝の慌ただしさは感じない。
少し遠くから掃除機の音や洗濯機の回る音、鳥の声が聞こえて来るぐらいだ。
天井のシミでも数えられたら良かったのだろうが、生憎、そこまで古くも酷い部屋でもない。
真っ白な壁紙には壁紙特有の細かな
何かしら夢中になれるアイドルやキャラクターがいれば、そのグッズのポスターを天井に貼る事は万が一にはあったかもしれない。
だけど私には夢中になっているアイドルやキャラクターはいない。
私はその面白みゼロの天井を飽きもせず見ていた。
いや、飽きもせずって言うのは語弊がある。
ただ視界に天井以外の何かをこれ以上入れたくなかった。
スマホもテレビも窓もカーテンもドアもバッグも制服も、何を見ても少しのきっかけで二人の事を思い出させる。
ぼんやりと天井を眺めているように見えて、忍耐力を駆使して天井を眺めている。
どれぐらい時間が経ったのかは分からない。
少なくともミサちゃんに連絡を入れたのは八時半頃。外の穏やかな気配の事を考えれば、とうに九時はすぎているのではないだろうか。
スマホはサイレントモードにして画面をテーブルに伏せておいた。だから時間も何か連絡が来ていても分からない。
現代人はスマホ中毒気味と言われる事も多いけど、案外何とかなっている。
ギリギリまで学校に行くか悩んでいたので朝食は済ませてある。
動いてないし頭も使ってないから普段とは参考にはならないけど、まだ空腹は感じない。
そう考えると十時か十一時か。正確な時間を知りたいなら何もスマホでなくてもいいのだ。
黒猫の形をした壁掛け時計は電池を替えたばかりなので、正確な時を刻んでいる事を知っている。
でもそうしないのは、その時計は一人暮らしを決めた私の為にわざわざ永遠が買って来てくれた物だから。
黒猫のちょっと曲がった尻尾がぷらぷら揺れて、昼の十ニ時になると「ミャオ、ミャオ、ミャーオ」と鳴いて知らせてくれる。
その時、猫の小さな金色の瞳が左右に動くのが愛らしい。
永遠も含めた十人ほどで行った中学生最後の思い出日帰り旅行先の工芸館で見付けた時計を私がいつまでも見ていたのを永遠は知っていた。
中学生が旅行先で思い出として購入するには、いささか値の張る時計を私は諦めていたからプレゼントされた時は喜びもあったけど永遠に対して呆れもあったのを思い出す。
――ああ、まただ。
考えないようにすればするほど無意識に考えてしまう。
私は諦めて寝返りをうって時計を確認する。正直に言えば微動だにしなかった体が強張って少々辛かったのだ。
意識的に体を動かさないのは、やはり体のどこかに変に力が入るのだろうか。寝返りをうつ時に体が軋んだ。
壁を見れば金色の瞳の黒猫と目が合う。
時刻は十一時を回ったばかり。
黒猫はまだ鳴かない。
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