あやかしはアヤシクテ、まやかしはマボロシ ~皿屋敷学園の番長と不気味なオカ研の会長~

橋本洋一

第1話三つ子池の幽霊 その壱

「マジでよー。荒井の奴が見たんだって。三つ子池の幽霊」

「嘘つけよ。あいつホラ吹きじゃねえか」


 涼しげな風の吹く、五月の夕暮れだった。

 高校生二人がどうでもいい話を益体もなく喋っていた。内容は彼らが在籍している皿屋敷学園の近くの怪談のようだ。池から離れた、ちょうど学校を挟んで真向かいの住宅街だからか、余裕がありそうだった。それにまだ日が暮れてなく怖いもの知らずというよりは好奇心で話しているみたいだ。


「他の奴も見たらしいぜ。それも口を揃えて女だって――」

「おい。そこのお前ら」


 話の本題に入ろうとするところで、高圧的かつ威厳のある声がした。互いの顔を見ていた高校生二人は前を見る。


 中学生だった。体格は平均よりも少し大きめで、しっかりとしている。髪は短く整髪料は使っていない。幼さが残っているけど、どこか大人の雰囲気を持っていた。端正な顔立ちで大きくくりくりとした目が特徴だった。


 しかし一番の特徴はその制服だろう。

 皿屋敷学園の制服、中等部と高等部は同じブレザーだった。けれども中学生が着ているのは学ランだった。しかも珍しい白の学ランである。だから高校生二人は他校の生徒だと思ったのだが――


「こいつ、望月従吾もちづきじゅうごじゃねえか?」

「はあ? お前知ってんのか?」

「中等部で有名人だぜ。今年入ったばかりの新入生のくせに、三年の不良をボッコボコにしてよ。みんなから番長って呼ばれてんだ」


 高校生たちはへらへら笑いながら話すが、従吾は二人をじっと睨みつけている。


「お前ら、一年の玉井からカツアゲしたろ。サイフごと取り上げやがったな」

「はあ? ……あのチビか」

「立派な犯罪だぜ。サイフ、返せよ」


 高校生二人はにやにや笑って「あれはあいつがくれるって言ったからもらっただけだ」と悪びれもしない。


「なんだなんだ。番長が正義の味方でもすんのか?」

「悪いことするよりマシだろ」

「でもさあ。このタイミングはマズイんじゃねえの?」


 高校生が指さすと、五人の皿屋敷学園の制服を着た生徒がこっちに来る――待ち合わせしていたようだ。


「お前もサイフ出せば許してやるよ。どうする?」

「…………」


 従吾は指を鳴らしながらゆっくりと高校生に近づく。なんだこいつやべえぞと二人が思ったが――すでに遅かった。


「お前らが許す許さないって話じゃねえ――俺ぁもうぶち切れてるんだよ!」


 従吾の拳が片方の高校生にめり込んだ。勢いよく鼻血が宙に舞う。それを見た五人の高校生が走ってくる。それでも怯む様子は無く、従吾は拳を構えた。


 一人目は走ってきた勢いを利用してラリアットを食らわせた。まるでトラックにはねられたような音が響く。二人と三人目は同時に襲い掛かってきた――冷静に攻撃をさばいてカウンターを食らわせる。怯んだ四人目だったが、意を決して殴ろうとする。その拳を受け止めて、引き寄せての頭突きをした。五人目は鋭い上段蹴りを放つが、上体を反らして避けた後、従吾は隙だらけになった五人目に前蹴りをくらわす。


 こうして全員立てなくなるくらいの怪我を負わせた従吾。快刀乱麻を断つようにあっさりと勝ってしまった。


「ひいいい!? なんて野郎だ! 化け物かこいつ!?」


 まだ喋れるのは最初の高校生の一人だ。怯えた表情でじりじりと這って逃げようとする。その首根っこを掴んで、従吾は思いっきり地面に叩きつけた。


「ぎゃあああ!」

「サイフはどこだ?」

「か、金は返すから、助けて――」

「サイフはどこだって訊いてんだよ!」


 高校生は懐からサイフを取り出し「これで全部です!」と土下座した。


「ゆ、許してください!」

「もらっておいてやるよ。それで玉井のサイフは? 持ってんだろ?」

「金を抜いた後は、捨てました! あの、三つ子池に! 持ってたら捕まると思って!」


 小賢しい悪知恵の働く高校生だと思いながら「くそったれ!」と怒鳴って頭を踏みつける従吾。きゅうと伸びてしまった高校生を無視して、なんの騒ぎだろうと集まった数人の主婦を睨みつける。


「なんでもねえよ。さっさと救急車でも呼んでやれ」


 そう言い残して従吾は一路三つ子池に向かう。玉井のサイフを見つけるためだった。



◆◇◆◇



「そこの君。タバコは駄目ですぞ。健康に悪いですから」

「……あん?」


 三つ子池まであと少しのところで従吾は声をかけられた。それも皿屋敷学園の高校生である。


 高校生にしては酷く個性的な出で立ちをしていた。長く伸ばしたぼざぼさの髪。ズレた眼鏡。病的なまでに痩せた身体。健康に悪いと言いつつ、よほど彼のほうが不健康に見えた。


 誰もいないと思ってライターでタバコに火をつけた従吾は「誰だお前?」とそのまま吸い続ける。

 紫煙の間から高校生が不気味に笑っているのが見えた。


「僕の名前は景川かげかわひかげ。高等部のオカルト研究会の会長を務めています」

「あっそ。俺ぁ忙しいんだ。それじゃ」


 面倒だったので言葉少なめに帰ろうとする従吾。そこへ「三つ子池には近づいてはいけませんぞ」とひかげは投げかけた。


「あそこには女性の幽霊が出ますから」

「流行ってるらしいな、その噂。気をつけるよ」

「気をつけようがないですぞ。相手は霊体ですから。いくら喧嘩自慢の君でも危ないです」

「……さっきのあれ、見てたんだ」


 吸い終わっていないタバコを地面に捨て、足で消しつつひかげのほうを向く従吾。


「霊体に物理攻撃が効かないのは、ゲームでも常識ですぞ」

「頭バグってんのか? ありえねえだろ。現実に幽霊なんていねえし」


 小馬鹿にした顔で三つ子池に向かおうとする――大声で「お待ちください!」とひかげは喚いた。


「ならばこちらを。霊験あらたかなお守りですぞ」


 そう言って差し出したのは赤い布のお守りだった。漢字が崩して刺繍されているが、中学生の従吾には読めなかった。


「せめてもの気休めですが、持っていてください」

「ふざけんな。いらねえよ。怪しいもん出しやがって。次は何だ? 高価な壺でも売ろうってのか?」

「壺を売るつもりはありませんし、このお守りも無料です。要らなくなったら捨ててください」


 真剣な顔でひかげが言うものだから、従吾はしばらく魅入ってしまった。どこか高級そうな外見をしているお守りだった。売れないだろうが持っていても損はないだろう。


「分かった。もらってやるよ。しょうがねえなあ」


 従吾がお守りを受け取って乱雑にズボンのポケットにしまうと「これで安心しました」とひかげは笑う。


「それでは。サイフが見つかるのを祈っておりますぞ」

「……ふん」


 従吾が再び三つ子池に向かって歩き出す。

 その背中をひかげは見守っていた。


 三つ子池はその名のように三つの池が並んでいる。二等辺三角形の配置だ。その中央に従吾は足を踏み入れた。


「何が幽霊だ。そんなもんいるわけねえだろ。所詮、幽霊ってのはな、馬鹿な人間が馬鹿な妄想を他の馬鹿に言いふらした馬鹿みてえなもんだ」


 そう呟きながら従吾は足元を探す。

 夕暮れから夜になりかけていて、薄暗くなっている状態だ。なかなか見つからない――


『……出ていけ』


 ふと聞こえた女の声。

 従吾はぴたりと動きを止めた。

 ゆっくりと振り返る――そこには誰もいなかった。


「はっ。空耳かよ」


 声に出して再び正面を向く。

 黒いワンピースの女が、恨めしそうな顔を従吾に見せていた。


「ひっ――この野郎!」


 一瞬ビビった従吾だが、次の瞬間には女を殴っていた。

 普段は女子に手をあげるなどしないが、女がこの世の者ではないと本能的に察知した。

 だからこそ、反射的に反撃することができた――しかしだ。反撃しなかったほうがマシだった。


「き、効かねえ!?」


 殴るどころか当たることさえない。

 柳のようにするすると手ごたえが無かった。


「マジで物理は効かねえ……ぐっ!?」


 驚いたのも束の間、今度は女が従吾を攻撃した。

 単純な首絞めである。細長い指で女は従吾の首を絞める。

 握力がさほどないがほどくことはできない。

 何故なら、従吾は幽霊に触れない――


「ぐ、ご、が……」


 青白くなっていく従吾の顔色。

 女が怒りの顔で『出ていけ! 出ていけ!』と喚く。

 もはや限界か――そのとき、従吾は思い出した。


『霊験あらたかなお守りですぞ』


 咄嗟にズボンのポケットからお守りを取り出し、幽霊に投げつける――バチン! と音がする。感電したような痛みが従吾を襲った。


『……ぎゃ! この――』


 女が二歩ほど後ろに下がる。

 お守りの効果は幽霊を追い払うほどではなかったようだ。

 しかし従吾は幽霊から逃げられるチャンスを得た。


「はあはあ、くそ、逃げるか……!」


 従吾はよろめきながらも三つ子池から出ることに成功した。

 後ろを振り返ると女が恨めしそうに見ている。

 だが追いかけることはしないらしい。


 池から離れて深呼吸して、従吾は考える。

 このままではサイフを探すどころではない。

 いったいどうすれば……


「あのオタク野郎に話を聞くしかねえな……」


 どうしてあのオカ研の会長であるひかげがお守りを持っていたのか。たまたま持っていたわけではないだろうと従吾は推測した。どういうわけか従吾が三つ子池に行こうとしたのを知っていたのだ。


「あの野郎なら、対策が分かるはずだ!」


 とりあえず今日のところは引き上げて、明日高等部に乗り込もう。

 従吾は真っ赤な痣のある首をさすりながら走り出した。

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