上り下りは箱の中

そうざ

The Elevator that Goes Up and Down

 扉が開くのと同時に、沢山の視線がエレベーターホールの私に集中した。

 こんなに混むのは珍しい。

 一台やり過ごす事も考えた。階段を使う事も考えた。だが、今日は何だか気ばかりが焦る。

 私は、すみませんと小声で謝りながら人の隙間に挟まった。幸い定員オーバーにならず扉は閉じた。間に合った、と思った。

 操作盤を見てまた驚いた。全てのボタンが橙色に灯っている。これだけ人が乗っていればそうなるか、と自分を納得させながらも、目的の階までどれくらい掛かるのだろう、と不安になった。

 金属の空間が僅かな浮遊感と共に上昇する。釣られるように全ての視線が上向きになり、階数表示を追う。


 2F――誰も降りない。


 誰かがボタンを押し間違えたのだろうか。


 3F――誰も降りない。


 扉の向こうに車椅子の人が居たが、早々に乗るのを諦めたようだった。


 4F――誰も降りない。


 私はよく混乱する。

 下階にあるエレベーターを呼んで下階へ行きたい場合は、▽を押すべきなのか、△を押すべきなのか。下階に行きたいのだから▽が正解、なのか、下階にあるエレベーターを先ず自分の居る上階に呼びたいのだから△が正解、なのか。

 結局、両方を押してしまう私なのだ。


 5F――誰も降りない。


 駆け込んで来る人が居たが、定員オーバーのブザーがけたたましく鳴った。私は軽い罪悪感を覚えながら知らぬ振りを決め込んだ。


 6F――誰も降りない。


 これは悪質な悪戯いたずらなのか。降りもしないのに全てのボタンを押した奴が居る。いつだったか、ボタンを取り消す方法を聞いた気がするが、まるで思い出せない。


 7F――誰も降りない。


 団体が居たが、エレベーターの混みように言葉を失っている。すみません、と真正面に乗っている私が代表して謝る羽目になった。

 閉じる扉の向こうから、こんな時なんだから仕方がない、と聞こえた。


 8F――誰も降りない。


 エレベーターが止まる度に、役目を終えたボタンがまた一つ灯りを消す。その光景は、風前の蝋燭を連想させた。

 相変わらず誰も降りる気配を見せない。えた臭いが増す。息苦しさも増す。


 9F――誰も降りない。


 もう上には行けない。最上階なのだから当然だ。

 そこで私は初めて気が付いた。自分はどの階で降りたかったのだろう。兎に角、一階でも上に行きたいと、そう思った事だけは朧気おぼろげながら憶えている。

 扉が鰾膠にべもなく閉まり、エレベーターは一転、下降を始める。心なしかいている。


 ……8F……7F……6F……


 一台やり過ごしていれば、階段を使っていれば――軽い後悔を覚える。それでも、減じ続ける数字を直視する事しか出来ない私が居る。

 老若男女の中に小柄な人影が混じっている事に気が付いた。こんな幼子おさなごまで乗っていたのか、と私は流石に同情を禁じ得なかった。


 ……5F……4F……3F……


 遠く近くにサイレンが響く。震災被害は想定を超えているようだ。この後もエレベーターは忙しく上下運動を続けるに違いない。


 ……2F……1F……B1F……


 地階に病室はない。そこに患者が還るべき場所がない事は、誰もが理解している。もう地上階に降りられない事も覚悟している。

 全てのボタンが灯っていたのは、誰もが一縷の望みを掛けて押し捲ったに違いない。

 

 ……B1F……B2F……B3F……B4F……………………


 最後のボタンが消え、諦念の吐息が場を包んだ。

 ようや死亡群わたしたちの魂が解放される瞬間が来たようだった。

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