6 妻を探して裏山へ

「雪音がいない?」


 翌日、昼過ぎに城へ戻った剛厚つよあつは、侍女の口から発せられた言葉に耳を疑った。全身が揺れているのかと錯覚するほど鼓動が激しく鳴り響き、甲高い耳鳴りに襲われた。


「はい、朝餉の時間になってもご起床なさいませんでしたので、ご寝所にお迎えに上がりましたところ、どなたもいらっしゃらず。床の上に、殿に宛てられたこのふみだけが残されておりまして」


 剛厚は、おずおずと差し出された紙を受け取り、危うく破りかける勢いで開いた。


 ――つゆが何者かに攫われたようです。助けに行きますが、すぐに戻るのでどうかご心配なさらず。


(心配せぬわけがなかろうに)


 剛厚は憤りのまま文を握り潰すと、青い顔をした侍女を問い詰めた。


「それで、半日も何もせずただそれがしを待っていたということか」

「は、はい、申し訳ございません。ですが姫様が城を抜け出すのはいつものことですので」

「今は、不穏な事件が頻発しているのだぞ」

「事件の被害者は皆、殿方であり……」

「今後、女人が狙われぬという保証があるというのか!」


 侍女は、真顔でも恐ろしげな風体の剛厚が爆発させた怒りにとうとう怖気づき、小刻みに震えながら膝を突いた。


「申し訳、ございません」


 剛厚は肩で息をしながら、その場で平伏する侍女の背中を見下ろした。


 焦燥が身体中の血管を激しく巡り、正気を失いそうだ。


 雪音は、今後何かあったときには必ず剛厚に相談をすると約束してくれた。だから彼女が単身、夜間に出かけたというならば、剛厚の帰りを待っている間もないほどの一大事だったのだろう。友である露の葉が攫われたというのなら、雪音の動揺も無理からぬこと。


 短い文からは、詳細な状況が読み取れない。もしかすると、いつもの通り、あやかしの悪戯が原因の他愛もない一騒動なのかもしれない。けれども、ひどく胸騒ぎがする。


 昨日、終日城下に出て情報を集めたところ、不審死事件に誘発されて、不穏な騒動が奥野国おくののくに中に広まっているという事実を直に耳にしたばかりである。


 とはいえ、侍女ばかりを責められない。彼女が言う通り、雪音も剛厚も素行が悪い。突然夜間に消えて翌日まで戻らないということが何度もあった。


 剛厚は深呼吸をしていくらか平静を装うと、意識して抑揚を押し殺した声音で命じた。


「すまぬ、言い過ぎた。よいか、雪音が城を出た時の様子を知る者がいないか急ぎ聴取せよ。部屋の中も調べ、他に手がかりがないものか探してくれ」


 それから剛厚は妖山あやかしやまにも入り、戸喜左衛門ときざえもんをはじめ、雪音と交流のあるあやかしたちを訪ねた。あいにく雪音の行方に関する手がかりはない。もしや露の葉が戻ってはいないだろうかと、妖狸ようり屋敷を訪ねるも、狸爺たぬきじいは呑気な様子である。


「露の葉か、そういえばおらんな。まあ案じずとも、しばらくしたらその辺の雪の中から出てくるじゃろう」

「雪音は露の葉が攫われたと書き残したのだ。心配ではないのか」

「ううむ、だが露の葉は妖狸じゃ。物に化けることにおいては右に出る者がない。どこに囚われたとて、例えば枯れ葉にでも化けて、ふうっ、と風に乗れば、簡単に逃げ出せるじゃろう。そもそも、此度の騒動はただ、おぬしが露の葉に化かされているだけという可能性もあるぞい」

「これほど悪質な悪戯があるものか」

「ひひひ、鬼やい。おぬしは考え過ぎじゃよ。あやかしは本来、何にも縛られぬ自由なもの。生きるも死ぬも己次第。雪音がすぐに一人でどこかに行ってしまうのも、別に妙なことではなかろうに」


 取るに足らないことのように言われ、剛厚は顔をしかめて吐き捨てる。


「あやかしを身近にして育ったとはいえ、雪音は人間だ。か弱い存在なのだ」


 狸爺は片眉を上げて口を開きかけたのだが、何か言う間を与える前に、剛厚はきびすを返す。憤然と山を下れば、白雪を踏む己の足音ばかりが大きく響く。雪は日ごとに深くなっている。

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