8 奥方の命と引き換えだしね
たたききゅうりの側には、土に塗れた白布の切れ端と、そして。
「黒い羽根?」
「
「何、わかるのか?」
なつめが弾かれたかのように立ち上がり、小岩の側に駆けつける。どうやら、無残に打ち砕かれる前までは、きゅうりと羽根は共に布に結ばれ連なっていたらしい。
鴉か何かの悪戯かと思ったが、どうも気にかかる。地面に転がる緑と黒の組み合わせは、つい最近どこかで目にしたような気がするのである。きゅうりと羽根。きゅうりと羽根。ぼんやりと脳裏に浮かび上がる、二つの人影……。
「まさか」
剛厚が口を開きかけた、その時だ。
「うるさいなあ」
がさり、と下草を踏み分けて、蒼い長髪をした線の細い若者が現れた。顔色が青白く、目元には薄らと隈が浮かび、不健康そうな容貌だ。若者は杉の幹にもたれかかり、気怠げに言う。
「見慣れない奴らが次々とやって来るんだけど、今日は何かの祭りなの? 静かに眠らせてくれない?」
「そなたは、この辺りに住むあやかしか?」
「僕は
「川そのもの」
つまり、川の化身である龍ということか。南蒼は眼球だけ動かし、最小限の労力で剛厚へ視線を向けた。
「それで、あんたは何者?」
「申し遅れた。
「はあ? その子河童じゃなくて変装した人間でしょ」
「いいや、彼女は河童だ」
剛厚が強く訂正すると、南蒼は胡散臭そうになつめを眺め回したが、面倒になったのか剛厚へと視線を戻した。
「まあ何でもいいけどさ。で、ご領主様とあやかしが連れ立ってどうしたのさ」
「
「人間と天狗……ああ、それらしい二人なら日中にその辺りをうろついてたよ。その変なごみを置いて行ったのも彼らだ」
「まことか!?」
思わず唾を飛ばしながら詰め寄る剛厚。南蒼はうっとおしそうに少し身を引いた。
「暑苦しいなあ。そんなに顔を近づけなくても聞こえるよ」
「うっ、それはすまぬ。して、二人はどこへ」
「ああ、流されてたね」
「流され……」
あっけらかんと告げられ、息を呑む剛厚。真っ白になりかけた思考を繋ぎ止めたのは、なつめの湿った声である。
「や、やっぱり。ううっ、ふ、ふえええええええん」
「なつめ、気を確かに!」
「ねえ、君たち本当に騒がしいよ」
「だってえ。わ、私のせいでえ」
「あーあ、はいはい。詳しい事情は知らないけど、多分大丈夫だよ」
南蒼は眉根を寄せ、口の片端を下げて嫌悪も露わに溜め息をつく。
「二人は自然の鉄砲水に流されたんじゃないから」
「と言うと?」
「兄さんが連れて行ったんだ」
「兄……もしや、北藍川の龍か?」
「うん、そう」
「兄君はなぜ雪音を連れ去った!」
「さあね。人間に対しての切り札だと思ったのかも」
剛厚は意図が読めずに顔を険しくする。南蒼は幹から肩を離し、腕を組む。
「僕さ、今にも倒れそうだろう」
「うむ、あ、いいや」
「気を遣わないでよ。自分でもわかるくらい弱ってるんだから。全ての原因はね、人間だよ。目的はよくわからないけど、南蒼川に水封じの
「はあ」
「だから兄さんは雨を降らせて僕を助けようとしてくれている。でも、何より手っ取り早いのは、水を封じた術師に呪いを解かせることだ。あの小娘が城主の奥方だっていうなら、人質として役立つかもしれない」
「だが、某を脅したとて、術師に心当たりはないぞ。そもそも水封じの呪いなど眉唾ではないか。そのようなものがあるならばとうに、国中どころか隣国、そして島国中に広がり、水害とは無縁の世になっているはずだ」
「じゃあどうして、忽然と川が消えるのさ」
「うむ、それは」
「まあとにかくさ、敵の根城の検討はついているんだよ。妖山殿はもちろん、事件解決のために動いてくれるよね。財や権力、人脈も全部使ってさ。だって」
南蒼は薄く微笑んだ。
「奥方の命と引き換えだしね」
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