アリスの居場所
伊咲
第1話 物語の終わり
煌めく摩天楼。夜闇を照らすネオンの世界。
人工的な灯が支配する、人々の街。 そんな箱庭の片隅にある寂れた工場。
ここには、どんな輝きも届かない。
その中の。そっと開かれた工場の扉の向こうに壊れそうな世界が佇んでいる。
乱雑に積まれたガレキと、枯れ果てた花に包まれた小机とテント。
ここが私の家。
最早何の花が咲いていたかも思い出せない夢の跡。
「ただいま」
お茶会に使う、真っ白のランチクロスが敷かれた丸机に付く小さなベルを鳴らす。
「おかえりなさい、ご主人」
薄いテントに映る小さな影絵が体を動かす。
ピンと縦に張った耳、細い体。
私達と暮らす小さな仲間達。
テントの隙間が開き、住処の中を彩る暖かなランタンの光が目にちらつく。
「今夜の食事を見繕ってきます」
出てきたのは白兎。然しその体は単純な兎だけではない。
下は人間の足。小さなフリルスカートで隠れこそしているが、私と同じ人肌の素足。胴体から頭にかけては多種多様な花が体の一部を覆い、芽を咲かす。
花の見てくれは可愛いが、その根はしっかりと兎の肌の中から飛び出ており、血管は最早枝と化している。宿主を蝕み喰らう花。そうして綺麗に咲いているのかも。
無邪気な子供の空想が、無理矢理形を持って実体化した様な姿。いつも見ている姿だが、未だに憐れみを感じる。
「外は危ないから」
私はその兎を止める。もう、幸せな頃とは違うから。
でもそれを皆分かってくれない。否、分からない。
「いえ、今は動物が寝ている時間ですから狩り時です」
そう言い、パタパタと駆けていく。
「待って!」
すばしっこく止める事もできない。消えていく後姿を私はただ眺める。
「無駄よ、食料を獲る下僕ってストーリーしかないから。あの子」
後姿を眺める私に、後ろから呼びかける声がする。
「人間がそんな話を空想してきたからこうなっちゃうんだよ」
そう、私達は人の空想から作られたお伽噺の住人。
でなきゃ喋る兎なんていないのだ。
だけど。
「もう、私達だけだね」
私の友達は皆消えていった。
ある小鳥は鴉に食われ、ある双子は機械に轢かれ、ある狂人は逮まった。
皆、初めて眼で見た現実に殺された。
私達がこちらの世界に来てしまった理由。
そもそも人間の空想が私と、私の世界の物語を作った。
だけどいつしか空想する事に人は飽きていったのだろう。
御伽の国は崩れていき今に至る。それに伴い物語も停止。
空想は崩壊し、この現実へ来た。
「色んな人の勝手な妄想であの兎はどんどん醜くなったけど。あの子はそんな事考える頭が無かったから幸せだった。作るだけ作って飽きたら放置。ほんとに人間って勝手よ」
そう言い私の肩を軽く撫でる。
「そうですね、ハートの女王様」
彼女はハートの女王。私は、アリス。
私達の物語の続きは、もう存在しない。
「こっちに来てからいい事無いね。いや、追いやられたって言うのが正しい?ごめん、記憶力が」
黒髪に所々赤のメッシュが入った髪を撫でながら話す。
昔は髪色が派手だった気もするが、人々の私達への空想は、自分自身の様も変えていく。
私も記憶力が怪しくなっている。
世界が崩れて、思い出の輪郭が揺らぎつつある。
「いいですよ。私達が空想の産物なら、住んでた世界は人の理想な訳で」
「理想郷から工場暮らし・・・惨め」
「でも前は仲が悪かった人と友達になれたから、悪くは無かったです」
「昔はよく喧嘩してたよね。そういう設定と言えばだけど」
「だから、悪い事だけじゃ無いんです」
そんな現実逃避めいた会話を続ける。
結局兎は帰ってこなかった。
翌日、鳥達が拾った新聞の隅に兎の耳を掴み笑う人の写真が載っていた。
「続く未確認生物の発見」と書かれた見出し。
気分が悪くなってすぐ捨てた。
世間が言う未確認生物。
人々が思いを馳せ、空想を夢見る存在。
でもそれは、人々がかつて思い描いた夢の残骸。
まだ見ぬ生物では無く、彼らが過去に忘れていった物だ。
それが、私達。
「これからどうしよっか、アリス」
どちらにしろ、私達の道に先は無い。
元の世界へ帰る手段は分からないし、いくらお伽噺の住人でも食べ物と飲み物が無いと死んでしまう。
全く変に現実に即した設定に作って・・・
設定、設定。
そうだ。
「親を探しに行こう」
「親?」
「作者さんだよ」
私達には作者さんという親がいる。
時々、自分達の世界は何かに囲われた箱庭のような、そんな言い表せない気分になった事がある。
だからある日、いつも世俗離れしている猫に聞いてみた。
そうしたら教えてくれた、ここは親に作られた物語の世界だと。
会いに行けば、元いた世界に帰れるかもしれない。
元々その人に作って貰った世界なんだから。
「行こ」
私は彼女の手を取る。
隠れ家から旅立つ私達。
外は怖い。前とは違う、未知の世界。
そして定められた物語の無い、完全に暗闇の未来。
今までは誰かが物語の続きを描いてくれたが、それももう無い。
でも、私の物語をここで終わらせるのではなく。
もう一回戻るんだ。ハッピーエンドの終わりへ。
自分達の運命が、良い方向に進むように。
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