ヒロインの名が『玄関』で、キャッチコピーが「女神アテナに挑んだ少女ー転生から始まる地中海の英雄譚」
この流れでいったいどんな物語を想い浮かべるだろうか。
あいかわらず自由奔放な想像力で、予測不可能な物語をみせてくれる方だ。
プリミティブな物語とは、「続きはまた明日ね」と眠りにつく幼子に約束して、「さて、続きはどうしようか」と考えながら薪を割る父親や、機織りをする母親の頭から生まれていたものだ。
「むかしむかし、あるところに」と炉端で老人が語っていたものだ。
……前に話してくれたのと内容がちょっと違うな~。
名前が毎回変わっていくな~。
だんだん話が大袈裟になるな~。
そんなことをこっそり想いながら、にこにこ、わくわくして、聴くものだ。
完璧な物語の作り方。
整合性と設定資料が何よりも重要。
そんなレシピがさもこれが権威だ法典だといわんばかりの勢いをもって暴力的に蔓延るほどに、物語はしだいに硬直したものになり、幼子のわくわくからは遠くなる。
少しの破綻もなく、少しの矛盾もなく、どこからどう切り取っても優等生的な解答が並べられるような物語など、あえてその完全無欠さを狙ったのでない限り、感心こそすれ、ただの標本を見ているようだ。
「さて、昨日の続きですが」
その場の想いつきで語り継がれていく、想像力豊かな、出鱈目な物語をわたしは愛する。
読み手の想像を重ねる余地のある、その広々とした余白の野原を愛する。
子どもの頃には誰もが持っていたはずの、物語の虹色のはばたきを、何よりも尊ぶ。
在米の書き手である九月ソナタさんは、大人になった今でも、それがすいすいと出来る方なのだ。
生簀の中で泳いでいる行儀のよい養殖魚ではなく、その空想力と物語力は太陽のかがやく青い大海原を神話を連れて泳いでいる。
九月ソナタさんはわたしにとって、魔法使いのような方である。