39. 玄関のひらめき

「ジャミル、疲れているかい」

 とハミルが訊いた。


「3日間も舟を漕いできたからくたくただったけど、でも、ふたりの顔を見たとたん、とたんに元気がでたよ」

「お腹、空いているでしょ?」

 と玄関が言った。


「さっきまでは腹が空はすきすぎて倒れそうだったんだけど、ふたりに会ったら、そんなこと忘れてしまった。でも、今はものすごく腹が減っている」


 ハミルが第二王子にそのことを伝えた。

「馬車の中に、食べ物や水がある。ジャミルを餓死させては大変だから、まずはそれを少しだけ食べてもらおう。しかし、柔らかいもののほうがいいから、さあ、急いで帰ろう」

 第二王子はなんてよい人なのだろうと玄関は今さらながら思った。


「はい。第二王子、お願いします。第三王子も、馬車のほう、よろしくお願いします」

 とハミルが頭を下げた。

「わかった。まかせておきなさい」

 第二王子は頷いた。


 ハミルが「よろしくお願いします」などと言ったのは初めてのことだ。なんとしても、力になってあげねばならない。

 

 宮殿に戻ると、ジャミルのために急いで風呂が用意され、ハミルが一緒にはいって背中を流した。

「こんなあったかい風呂ははじめてだ」

「うん、島での泉は冷たかったな」

「大きな風呂だな。匂いもいいね」

「ここはぼく専用の風呂なんだよ」

「専用の風呂なんてあるのか。すごいなぁ」


「ジャミルはずいぶん痩せたね」

「ぼくなんか、まだいいほうだよ。島のみんなはもっと痩せて、目ばかりぎょろぎょろしている」

「早くなんとかしなくてはね」

「うん。できるだろうか」


「玄関が、何か方法を考えていると言っていたけど、何なのだろうか」

「玄関のことだから、きっといいアイデアだよ」

「いつもそうだったもんな」


 ジャミルがさっぱりした顔で上がってきたので、玄関が用意した生姜と蜂蜜のはいった熱いお茶を飲ませた。

「これはわたしが工房にいた時、お風呂の後で飲んでいたお茶です。身体にとてもいいのよ」

 生姜と蜂蜜のはいった飲み物は第二王子も「どれどれ」と飲んでみて、とても気にいった。これからはこれを飲むことにしようと言った。


 玄関は、ジャミルの仕事箱にあったハサミで、ジャミルの髪を短く整えてあげた。このハサミは何かと役に立つ。


 玄関は村の絨毯工房のこと、アーニャ、散歩、セレザールのことを話した。

 散歩は工房を出たら「イピゲネイア」という名前で呼ばれたいと思っていたが、生贄いけにえの王女の名前だと知って「ピーコック」にしたこと。親方がセレザールに「地震」という名前をつけたけれど、それが大嫌いだということ。そんなことを話すと、それは第二王子に意外なほど受けた。小説を書く人は、こういう話が好きらしい。


「わたしはさいしょ、玄関という名前が大嫌いで、鶴にしようと思っていたのですが、でも、途中でこの名前が好きになりました」

 玄関はジャミルのほうをちらりと見て、第二王子に説明した。


「ハミルがわたしの元の名前はエヴァンネリだと教えてくれました。ああ、そうだったと思い出しましたけど、でもわたし、これからもずっと玄関でいきます」


 第二王子は玄関の話や織物のことに興味をもって、心から楽しいそうに聴いていて、隣国のジュマ村の工房を訪ねてみたいと言った。


「ルシアンはきっと行くよね」

 とハミルが言った。


「そうだな。ハミルも行くかい」

「行ってみたいけれど、ぼくにはしなければならないことがあるから」

 

 玄関が島民を助けるために、まずアテナイの女神アテナに、訴えに行くことを提案したのだった。

 玄関は第二王子に機織り機、糸、布と絵具などを頼んでおいたのだが、数日で、その用意ができたという知らせがきた。


 指示された場所に行ってみると、ひとつの部屋が仕事場として用意され、そこには立派な機織機が置かれていた。

 この方のやることはスケールが違う、と玄関が目を丸くした。


玄関はタペストリーを織り、ジャミルには見て来た島の様子を絵に描くように頼み、ハミルがその色塗りを手伝うことになったのだが、途中からはハミルが背景を描くことになった。

 

 これがなかなか上手なのだった。

 第二王子は時々様子を見にやってきたが、ハミルが絵を描いているのを見て驚いた。


「きみがこんなに上手に絵が描けるとは、知らなかった」

「ハミルには笛のほかにも、いろんな特技がありますよ」

 と玄関が言った。


「ハミルには、どんな特技があるのかな」

「詩を作ること、早く走ること、早食い、逆立ち、口笛、掃除」

「早食いか。それは見たことなかったな。食べるのは遅いほうだと思っていたよ」

「島ではね、早く食べないと誰かに取られてしまうことがあったから」

 とハミルがはにかんだ。


「掃除か」

 と第二王子が笑った。

「ぼくは小さい頃、ゴミを集める仕事をしていたのです」

「そうか。ハミルはたくましい子だったんだな」

 

 タペストリーの制作は2週間で終わり、それを持ってアテナイに行くことになった。

「ぼくも行く」

 とハミルが言った。


「ハミルはここに残ったほうが安全だよ。女神アテナはまだ怒っていて、何をされるかわからないから」

 とジャミルが言った。


「ハミルは危険なところへは来ないで、この宮廷に残ったほうがいいよ。島が平和になったら連絡するから、その時に来ればいい」

 と玄関も言った。


「いいや、ぼくも行くよ。女神の住むアクロポリスには、何度か行ったことがあるんだ。あそこの丘は、簡単にはいれてもらえない特別な場所なんだよ。でも、ぼくが笛を吹いたら、女神は現れると思う」

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