俺の妹の行き先は、まちがっている。
******
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。この服とかどうかな? 似合うかな?」
そう言いながら彩華は試着室のカーテンを開けて、俺に尋ねてきた。そして今着ている服を見せびらかすようにして、その場でくるりと回転する。
彩華が着ている服は、白のブラウスに紺色の膝丈スカートだ。どちらも清楚な印象を与えるデザインをしている。
こいつは身長が163cmと背は高めだから、そういった服を着ていると大人っぽく見えるな。まぁ、見た目だけはいいんだが、中身が伴っていないんだよな……残念なことに。
「まぁ、いいんじゃないか」
俺はそんなご機嫌な様子の妹の姿をジト目で眺めながら、適当な感じにそう答えた。すると、彩華は不満げな表情を浮かべる。
「……それだけ?」
「いや、他に何を言えと」
「もっとこう……可愛いとか、綺麗とか。似合ってるとか。そういう褒め言葉を言ってくれてもいいじゃん」
「はいはい。似合ってる、似合ってる」
「むぅー」
言われた通りに褒め言葉を言ってやったというのに、妹はまだどこか不満そうだ。……ったく、めんどくせぇなこいつ。
多分、感情がこもってないとか、そんな理由なんだろう。が、どうして妹相手にそこまで忖度してやらんといかんのだ。
「もうっ、お兄ちゃんってば本当に女心が分かってないんだから」
「うっせ、どうでもいいっての。というか、あとどれくらい掛かるんだ? まだ買う服、決まらないのか?」
「うーん……もう少し試着してみたいけどなぁ。じゃあ、あと一着だけ。それで決めるから、もうちょっとだけ待っててくれる?」
「はいはい、分かったよ」
俺がそう返事をすると、彩華はまた試着室に戻ってカーテンを閉じる。そして中で別の服装を試しているのだろう。
しかし、男と違って女の買い物って本当に長いよな。仕方がないと分かってはいるが、それでもちょっとは退屈に感じてしまう。
まぁ、俺みたいなのは服装なんて所詮、着れればなんでもいいぐらいの単純な考えで決めているから早いだけで、女性陣はそうもいかないのだろう。
「……暇だ」
俺はそう呟きながら腕を組み、ただただ妹を待ち続ける。が、試着室の前でそうしているのはどうにも手持無沙汰だ。なので、俺は近くにある椅子に腰掛けて、スマホをいじりながら時間を潰すことにした。
スマホの電源を入れればホーム画面に現在時刻が表示される。既に時刻は昼を過ぎていた。そしてこの店に訪れてから、結構な時間が経っていることも同時に分かる。
まぁ、それだけ彩華の買い物が長引いているってことなんだろうけどな。俺からすれば退屈に感じる時間だが、それでも聞き入れたからにはちゃんと付き合うつもりではいる。
ちなみに今の状況を説明しておくと、俺と妹は近隣にある大型のショッピングモールに来ている。そして今は、彩華の買い物に付き合っているという訳だ。
『デートじゃなくていいからさ、一緒にお出掛けしよ?』
デートはしないと言った俺の言葉に対して、彩華が返してきた言葉がこれだった。いや、デートもお出掛けも同じ意味だろ。何も変わってないんだが。それとも、妹の中では違う意味合いのものなのだろうか。
ただ、仮にそうだったとしても、俺からすればお出掛け=デートには変わりないので、そう言われたとしても断るつもりでいた。というか、そのつもりでまた断っている。
しかし、結局のところ、その話を俺が受け入れざるを得なかったのは、妹が親父に泣きついたのが原因だった。
『お父さん、お父さん。明日、買い物に出掛けたいんだけど、行ってきてもいいかな?』
『ほう、買い物ね。誰か友達と行くのかい?』
『ううん、一人で行くつもりだよ』
『えっ?』
あいつが親父に向かって一人で出掛けると吹っ掛けて、それを聞いた親父が俺に視線を向けてきた。そこでようやく、彩華の狙いに気が付いたのだ。
『冬也、お前……明日は暇か?』
『は? まぁ、暇だけど……』
『そうか。なら明日、彩華と出掛けてくれないか』
『……いや、なんでそうなるんだよ』
『可愛い娘を一人で外出させて、何か起きたら大変だろうが!!』
『えぇ……』
いや、過保護すぎだろ……。こんな感じでうちの親父はかなり妹に甘い。というか、溺愛している。つまりは親バカな訳だ。
そんな親父の圧に負けてしまったからこそ、俺は妹の買い物に付き合わされているという訳だな。本当に勘弁して欲しいよ、全く。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
そんなことを考えていると、カーテンが開いて彩華が姿を現した。そしてそのまま俺に向かって歩いてくる。
「おう、終わったか」
俺はそう返事をしながら立ち上がる。すると、彩華は「うん」と頷いた。そしてそのまま俺の腕に抱き着いてくる。
「おい、くっつくな」
「えー、いいじゃん。これぐらい」
俺が彩華から離れるように促しても、こいつは離れようとしない。むしろ、腕を組む力をより強くしてきた。
「ったく。で、買う服は決まったのか?」
「うん、決まったよ」
「そうか。じゃあ、さっさと会計してこい」
「えー、もうちょっとこうしてたいんだけど」
「いいから。ほら、行って来いっての」
そんなやり取りをしてから彩華は渋々といった様子でレジへと向かっていった。そして会計を終わらせて、戻ってきたのは数分後である。その手には大きな紙袋が一つあった。
「お待たせー」
「おう」
俺はそう口にしつつ、戻ってきた妹に向けて右手を差し出した。一応、荷物ぐらいは持ってやろうと思っての行動だ。じゃないと、付き添っている意味があんまり無いし。
それを見た彩華は首を傾げてくる。けど、それも一瞬のこと。すぐに何か納得がいった表情を見せた。
「えへへ、ありがとう」
そして彩華は嬉しそうに笑うと、俺の手を握ってきたのだった。指の間に指を滑り込ませるような握り方で。
「は?」
「これで恋人繋ぎだね、お兄ちゃん」
「いや、なんでそうなるんだよ」
俺はそうツッコミを入れながら、彩華の手を振りほどいた。
「俺は荷物を寄こせと言ってんだよ。手を繋ごうとするな」
「えー。せっかくだし、いいでしょ」
「何がせっかくだ。ほら、いいから寄越せ」
俺はそう言いながら彩華の持っていた紙袋を半ば強引に奪い取る。すると、彩華は不満げに頬を膨らませて抗議してくる。
「もう……お兄ちゃんのいけず」
「……ったく、わがままなやつだなお前は」
「だってぇ……」
「だってじゃないっての。ほれ、さっさと帰るぞ」
俺はそう言いながら彩華を急かして歩き出す。すると、彩華は渋々といった様子で俺の後についてきた。
そんな感じでショッピングモールを後にして、俺たちは帰路につく。バスに乗ってまず駅に向かい、それから自宅からの最寄りの駅まで向かう。
最寄りの駅までは電車で大体30分ほどだ。その道中、彩華は俺にもたれかかって眠っていた。まぁ、いつものことなので気にしないが。
そして駅に着けば、あとは歩いて帰るだけだ。眠る妹を起こして電車を降り、それから駅の建物を出て家に向かおうとして……俺はそこで足を止めた。
「……ん?」
なんだか少し嫌な感じを覚えて、咄嗟に空を見上げる。すると、そこには―――
「雨、か」
ポツリポツリと降り出した雨が、次第に勢いを増していく。そしてすぐに本降りへと変わっていった。
「これはすぐに止みそうにないな」
小雨程度ならなんとでもなるが、ここまでの雨量だと流石に無理だ。それに彩華もいるし、このまま突っ切って家まで帰るのは難しいだろう。
「あー、もう。ついてないなー」
横では妹が降りしきる雨を眺めながら、そんな言葉を口にしていた。……何故か嬉々とした表情で。いや、何でだ?
「これはちょっと、すぐには帰れそうにない感じだねー」
「まぁ、そうだな」
「でも、お兄ちゃん。安心して。私に良い考えがあるから」
ニヤリと不敵な笑みを見せながら、彩華はそう口にした。その言葉に俺は眉をひそめる。……何か嫌な予感しかしねぇな。
「……で、その考えってのは?」
「えっとね。―――あそこに、行こうよ」
「……は?」
「だから、あそこ」
そう言いながら彩華が指差した先には、とある建物があった。その建物はいわゆる―――ホテルと呼ばれるもので。いや、だから何で?
「……なんでだ?」
「だって、雨降ってるし。傘持ってないし」
「それで?」
「このまま濡れて帰るのも嫌だし」
「だから?」
「だったら……もう、あそこで休憩するしかないよね!」
「なんでそうなるんだよ」
俺は思わずそうツッコミを入れる。いや、意味わからんし。雨宿りするためにホテル行くとか、意味不明だぞ。何か変な漫画の影響でも受けてんのか?
「あのなぁ。お前、本気で言ってるのか?」
「もちろん本気だよ! だって、あそこなら雨宿りができるし!」
「雨宿りなら別に他の場所でもできるぞ」
「え、えっと……あっ、そうだ! お風呂もあるから、冷えた身体を温めることだってできるよ!」
「別にまだびしょ濡れになった訳じゃないんだから、必要ないだろ」
「そ、それはそうだけど……」
「というか、そういう目的で行くわけじゃないんだろ。お前の場合」
「うっ……」
「図星かよ」
俺はジト目で彩華のことを見つめる。すると、妹は気まずそうな表情を浮かべながら俯いてしまった。
というか、本当に何を考えているんだこいつは。バカなんじゃねぇのかと思うぐらいに突拍子もないことを考えているよな、こいつ。まぁ、いつものことだけど。
「てか、そもそも雨宿りの必要すら無いぞ」
「えっ?」
「ほらよ」
俺はそう言いつつ、彩華に折り畳み傘を手渡した。すると、彼女は目を丸くし、驚愕した表情で俺のことを見てきた。
「ど、どうして傘を持ってるの……?」
「あぁ、天気予報で今日は午後から雨が降るって言っていたからな」
「なんで天気予報なんか見てるのさっ!?」
「いや、出掛ける時は普通見るだろうが。天気予報ぐらい」
そして俺は自分の分の折り畳み傘も取り出して、それを差す。こいつのことだから、諦めずに相合傘でもしようとか言い出しそうだから、その前に封じておく。
「ほら、帰るぞ」
俺はそう言い残して歩き出そうとする。しかし、妹は現実を受け入れられていないのか、俺が渡した傘を手にしたまま、佇んで動こうとしない。
だから、俺はため息を吐きながら振り返って、妹へと告げた。
「早くしないと置いていくからな」
「……分かった」
俺の言葉に彩華は渋々といった様子で頷き、傘を開いて歩き出す。その表情からは不満の色が見え隠れしていたけど、気にしないことにする。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「……傘、ありがとう」
「おう」
「そういうところ、大好きだから。むしろ、愛してるよ」
「はいはい、分かったよ」
「むぅ、お兄ちゃんのいけず」
彩華はそう言いながら頬を膨らませて不満を露わにする。そんな妹に呆れつつ俺は歩き続けるのだった。
……ちなみに余談にはなるが。雨の中、少しだけ濡れることになって家に帰った後、あいつが『今度こそ一緒にお風呂に入ろう!!』とまた迫ってきたので、俺はそれを全力で阻止した。
そういうところが無ければ、ただの可愛い妹でいられるんだけどな。本当に残念なやつだよ、こいつは。
続かない。
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