第7話 危機一髪の脱出

 目にもとまらぬ速さで、二つの人影が走り出す。練摩れんま百良ももらはお互いに目配せを交わし、挟み込むように閒盧あいろに近づき手を伸ばす。


 閒盧は素早く前方へ飛び上がりその手を避ける。それを見越していたかのように百良は方向を即座に転換し、閒盧に向かって飛びつく。閒盧もこれまた予期していたように、背後から伸びた百良の手をヒラリとかわした。


「んも~! 邪魔だよおっさん共!」


 足元に障害物の様に転がっている校長と教頭の襟元を掴んだ百良は、二人を窓に向かって勢い良く投げた。窓ガラスが衝撃で音を立てて一瞬にして砕け散り、破片と共に校長と教頭の体が宙を舞い、そして、地面へと落ちた。

「ちょっ⁉ 酷くない?」と練摩の顔が青ざめる。


「へーきへーき、あの腹のクッションがあれば大丈夫だって」

「ここ四階なのに…………」


 とはいえ、校長と教頭の心配をしている暇は無かった。今はただ、目の前にいる閒盧を捕まえなければならない。

 たった一度触れるだけでいいというのに、閒盧の体はおろか身にまとっているたなびくマントすら掴むことができない。閒盧は練摩と百良を煽るかのように、紙の薄さほどのギリギリ距離まで近寄り身をひるがえす。そんな状態に焦燥が駆られ、百良は歯ぎしりした。


「ここだっ!」


 一瞬のスキを突き、練摩は閒盧に詰め寄ることが出来た。

 閒盧が練摩に気づくと同時に、練摩は手を伸ばす。

 これで終わると思っていた練摩であったが。


「相手を捕まえるときは、静かにした方がいいぞ」


 一瞬にして、閒盧の体が目の前から消えた。否、消えたように見えた。


 閒盧の使うしん家に伝わる術『操傀儡そうくぐつ』。自身の体を小型化し、他の人間の体内に入り精神を支配するもの。

 その小型化する行為だけを行い、閒盧は回避をしたのだ。


 姿を見失った練摩、そして百良も一瞬動きが固まる。すぐさま閒盧が練摩から少し離れた場所で元の姿に戻った。


「消えたと思ったら急に出てきた!?」


操傀儡を受けている間は、練摩の意識は完全にシャットダウンされ記憶が全くなかった。故に、閒盧の操傀儡が何なのかまるで理解出来ていなかった。


「小さくなって体に潜り込んで、相手を操る術なんだとさ。あんたもさっき操られてたんだよ」

「だからさっきまでの記憶がないのか。すごい、アニメみたいだね」

「感心してる場合じゃないでしょ」


素直に興味を向ける練摩に、百良は苦い顔をした。



「ってかあんた、小さくなれるのズルいぞ!」

「使えるもの使ってズルいも何もないだろ」


 百良は舌打ちをした。

練摩も下唇を少し噛んだが、百良ほどいらついてはいなかった。そして、一旦落ち着いて閒盧の体を見つめた。



 そこからの一連の流れは、あっという間であった。


 百良が閒盧に突進する。閒盧は軽くいなし、百良の手から逃れる。

 百良が手を伸ばすと、再び閒盧は小型化し、百良の視界から消えたように見えた。



(_______そこだ!)



 練摩は脚に力を入れ百良の横を風の様に突っ切り、空中に右手を伸ばし、掴んだ。



 小型化した閒盧は、百良の追跡を確実に逃げられたと少々高を括っていた。それ故に、追ってこない練摩のことを刹那、忘れていた。その隙をつかれた。

 気づけば目の前には小型化した自分の体よりも何倍も大きい手のひらが広がり、次に暗闇に包まれると同時に、圧迫感に襲われた。


 百良は練摩が何故空中を掴んだのか、一瞬で理解できなかった。しかし、直後に聞こえてきた閒盧の「……見事」という声で全てを悟った。


 練摩は小型化した閒盧を、文字通り手中に収めたのだ。




「っ、はぁ~!!! やったじゃん練摩!」


 安堵の声を漏らし、百良が練摩に近寄り、両腕を広げて勢いそのまま抱き着く。練摩は百良をよろめきながら空いた左手で支えた。


「う、うん。なんとかできたよ……!」


 実のところ練摩自身、成功するとは思っていなかったのだ。しかし成功し、自分のしたこととはいえ信じられず百良と同じように安心した声を出した。


「って、こうしてる場合じゃないね」


 百良はパッと練摩から離れると、練摩の右の握りこぶしに向かって声をかけた。


「おい! 捕まえたんだからとっとと場所教えろよ!」


 百良が唾を飛ばしながら大声を上げ、「分かったから静かにしろ」と冷静な返事がくる。



「やはりな……相手にするには荷が重い」


 閒盧の言葉は、それとなく練摩に届けられているように思えた。しかし、練摩はその意図を分かっていない。閒盧はフッと一度鼻で笑うと、爆弾を止めるスイッチの場所を言い出した。



「スイッチの在処ありかは一棟校舎の二階……一年二組の教室だ。教卓の中にある算数ブロックに埋め込まれている」



 やっとの思いで聞き出せた練摩と百良は、目を合わせて微笑む。


「算数ブロックとか久々に聞いたよ。とりあえず、とっととそこに行こう」


 百良がそう言い、練摩が頷いたタイミングで「ところで」と閒盧が一言。



「私の体内時計が正確なら、あと十秒ほどで爆発するぞ」




 場の空気が固まる。練摩と百良の顔が段々と青ざめ、状況を理解したと同時に「ええぇ~っ⁉」と練摩が叫び声をあげた。


 現在練摩たち一同が居るのは二棟の四階。渡り廊下は三階と二階にしかついておらず、スイッチのある教室にはとても十秒でたどり着くことなど出来ない。


「む、無理だよそんな十秒で止めに行くなんて~!」

「どど、どっかからショートカット出来ないの⁈ 窓ガラス突っ切って渡り廊下無視して飛び込むとか」

「もうあと五秒ぐらいかな」

「もうだめだぁ~!!!」


 焦る練摩と百良に落ち着いた声で諭す閒盧。練摩は絶望して泣き始めた。



 爆発まで、あと五秒。



「えぇい! もうだめだ! 諦めて脱出しよう!」

「だ、脱出? どうやって」

「あそこからだよっ!」


 百良が指さした方向に、先程校長と教頭を放り投げたことで割れた窓があった。



 あと四秒。



「と、飛び降りるの⁈」

「それしか方法無いでしょ! 早く行くよ!」

「いやっ、ちょっと!」



 三秒。



「なにグズグズしてるの! 大丈夫だってアンタの身体能力なら怪我しないよ!」

「違うんだよ~! その前に僕高いところ苦手なんだよ飛び降りるのが怖いんだよ~!」



 二秒。



「だから大丈夫だって言ってんでしょうが!」

「ああ、あ、足がすくんじゃってぇ~!!」


 情けない涙声で、脚を震わせながら声を出す練摩。



 一秒。



「んああぁもうっ! こんな時に何やっとんじゃアンタはあああ!!!!!!!!」


 イライラがピークを迎えた百良は痺れを切らし、練摩の腰を右腕で固定し、抱えるように練摩を連れて窓に向かって走り出す。窓のレールに足をかけ、レールが変形する勢いで蹴り上げ、空中へと飛び出した。



 ゼロ秒_________________。










 学校の児童全員が、非常ベルの音を聞いて校庭に避難する。運動靴の児童も居れば、上履きのまま外に出てきた児童もいる。各クラスの担任の先生によって点呼が行われ、クラスごとに整列する。


「……あれ?」


 練摩の親友である照稀てるきが辺りを心配そうにキョロキョロと見回す。

 そして「先生!」と担任に声をかけた。


練摩れんまくんと百良ももらちゃんが居ません……!」


 他の児童が全員揃っていたこともあり、教師一同が皆照稀の言葉に焦りを感じ始めた。

 先程、校長と教頭が校内の見回りをすると行ったきり帰ってこないのも気がかりであったのもあり、「私も校内を探してきます」と担任。続いて他の教師も続けざまに校舎へと走り出す。



 その時、その場にいた全員が上を見上げた。



 何重にも重ねた皿を落として割ってしまったかのような衝撃音、太陽光を乱反射し雨の様に輝くガラス片。そして、影を作る二つの物体。それが人であることは、力なく宙を舞う肢体の陰で判明した。


 児童からは悲鳴が上がり、降り注ぐガラス片に当たらないよう、校舎と逆方向の校庭の奥へ奥へと逃げ回る。

 校舎に入ろうと近づいていた教師たちの真上に、二人は落ちる。幸いにも力のある体育教師や、ガタイの良い教師がいたおかげで、二人は地面に体を打ちつけることなく落ちた。ただ四階という高所から落ちたダメージは凄まじく、受け止めきれなかった教師たちが二人の下敷きになる。


「うっ!」


 と落ちてきた人影から声が漏れ、目を覚ます。


「こ、校長先生⁉ それに教頭先生も……⁉」


 落ちてきたのは、気を失っていた校長と教頭であった。教師一同が目を丸くし、困惑した様子で駆け寄る。


「一体どうして窓から…………?」


 校長と教頭は辺りを見渡し、自分たちが校庭に居ることに気づく。


「私たちは、どうしてここに…………⁉」


 校長と教頭は隠す様子もなく混乱する。つい先ほどまで校舎内におり、二人の児童を見つけてから気がつけば校庭に居た。訳が分からないのは無理もない。


 次に自分たちの尻の下に教師がいることに気づき、おぼつかない足取りで地面に立つ。下敷きになった教師は、皆足や腰や手に痛みを感じ、捻挫やら骨折やらと不調を訴えた。


「校長先生、教頭先生。校舎内で、何が…………」


 練摩らの担任が、少し時間を置いてから校長と教頭に尋ねる。

 意識がハッキリとしてきた校長が見たことを話そうとした、それと同時だった。



「うわあああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」



 と上空からの叫び声。その方向を見ると、校長と教頭が飛び出してきた窓から、また二つの人影が飛び出した。一人がもう一人を右腕で抱え込んでいる。その抱え込まれている方から、叫び声は出ていた。

 照稀はそれを見てすぐさま反応した。


「練摩くんと、百良ちゃん⁉」


 照稀はあんぐりと口を開けた。




 その二人が飛び出した後にまばゆい閃光が走り、轟音と共に校舎が爆ぜた。

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