鍔際
「大丈夫……?」
老人の小屋とフィルの家を往復する毎日を過ごす中でも、相変わらず声は頭の中に響き、俺を苦しめ続ける。顔色はどんどん悪くなる一方だ。兄さんは事あるごとに心配して声をかける。
「大丈夫だよ。疲れが取りきれなくてさ」
「無理……しないでね」
「うん、ありがとう」
兄さんの身体はみるみる元気になっていくが、もう以前のように横になり続ける生活をする訳にはいかない。フィルの気持ちを考えるとそんな事はできない。彼女の目的を果たすまで、俺は兄さんの前では何でもない振りをし続ける必要がある。大丈夫だ、このぐらい耐えられる。そう思って笑顔で返すと、兄さんは更に言葉を続けてきた。
「ロージェ、あのさ」
「どうしたの?」
「僕、神官になろうと思うんだ」
よかった、もう仕事が出来るまで回復したんだ。
「そうなんだね。俺、応援するよ」
「ふふっ、ありがとう。それでさ、今度聖職者ギルドに加入申請をするから、一緒に街まで行こうよ」
「うん、もちろんだよ」
「夢だったんだ。ロージェと一緒に仕事へ出かけるの」
「そっか、叶ったね」
表面上では笑みを浮かべつつも、本当は吐きそうになるぐらい苦しい。兄さんが神官になる頃には、俺はもういないのかもしれない。
「これで全部だ」
「あぁ、そこに置いておいてくれ」
老人の遺物を全てフィルに渡す。相変わらず彼女は呪いの解き方について調べ続けている。
「少しづつ、分かってきたことがある」
ギナが遺した数々の検証結果と老人が独りで蓄え続けた知見を元に、彼女は少しづつ答えに近づいていた。
「なんだ?」
「呪いを解くという事は、
「何かの切っ掛けで
「恐らくな。どういう条件で何をやったかまでは書かれてはいないが、これは大きな手掛かりだ。この仕組みを解明してお前に活用する事で、『投影』を失くせるかもしれない」
「そう、なのか」
「だからお前にはもう一つやってもらう事がある」
そう伝えるとフィルは手記を投げ渡してきた。
「この手記に書かれている全ての素材を集めてこい。色々と検証しようにも元がないと何も出来ない」
「分かった。集め次第また来る」
必要な素材を確認しながら家路を辿る。多年草エイソア、夜鳥キリア、回遊魚ムナ……そこら中で見かける動植物の名前。身近にある生き物が、人間の手によって恐ろしい呪いの道具となってしまうなんて考えたこともなかった。でも今はとにかく、ここに載っている素材を集めるしかない。
「じゃあ、出発しようよ。ロージェ」
あれからまた時が経ち、兄さんはとうとう聖職者ギルドへ務めることになった。神官見習いといえど、立派な仕事だ。このまま素晴らしい神官になっていくんだろう。
「今日も遅いのかい?」
「いや、今日はいつも通りだよ。終わったら街の外で待っててよ」
「分かったよ。それじゃあ、無理はしないでね」
街に着き、それぞれの仕事場へ向かう。
「ロージェさん、今日もよろしくお願いします」
薬草師ギルドの面々が挨拶をしてくる。復帰と同時にギルド長の立場となり、各々の持ち場に指揮を執っていく毎日。面倒だが、この立場になったことで有利な面もある。薬の原料を集める採集班への指示が通るようになり、フィルの求める陰素が含まれた素材の回収がかなり捗るようになった。あっという間に殆どのものが集まり、残す所あと数種類だ。相変わらず頭に声が響いて狂いそうになるが、それでもなんとかやっていけている。
「おまたせ、兄さん」
「お疲れさま。じゃあ帰ろうか」
行きも帰りも一緒なのは今でも不思議に感じる。もし何も無ければ、もっと早くからずっとこんな風に生活していたんだろうか。ふと横を見ると、兄さんはこの上ない笑顔で歩いている。
——やっと元気になれたんだ、ロージェの為にも頑張らないと
駄目だ、苦しくなる。もう二度と兄さんを心配させないように振る舞ってきたけど限界が近づいているのを感じる。いつまでもこんな幸せが続くと思っている兄さんを見ていると気が狂ってしまいそうだ。もういっそ、俺のことを忘れてくれないか。そうすれば呪いが解けなくても楽に死ねるかもしれないのに。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
食事を摂り、部屋に戻る。床に就く前に手記を読み、未回収の素材を確認する。
「後は……ペウマの眼と……」
その瞬間、一つの考えが頭を過った。ペウマ。東方の洞窟に生息する蝙蝠。その眼の効果は”遺却”。術者の記憶を忘れさせる呪い。もしこれを兄さんに施したら、俺のことなんか忘れてくれるんじゃないだろうか。そしたらこの身を蝕む呪いが解けなくても、兄さんの感情を思い起こさずに死ねるかもしれない。でも駄目だ。フィルが呪いの掛け方を教える訳がないし、何より今のまま死んだら呪いの解き方を見つけるという彼女の研究に遅れが出る。結局待つしかないのか。苦悶に耐える日々は、まだまだ続いていく。
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