戮力

 明朝、大量の薬を受け取り本部を後にする。帰路を辿る数日間、フィルの話で頭が一杯だった。でもまずは薬を届けなければならない。彼女と再び会うのはそれからだ。

「おかえり、ロージェくん」

薬草師ギルドに着くと、ギルド長が笑顔で出迎えてくれた。

「はい、無事に薬を受け取れました」

「おぉ、これがフィアラの……ほら、お兄さんの分だ。持って帰りなさい」

「ありがとうございます」

「君には大変な苦労をかけた。お兄さんが寛解するまで、側にいてあげなさい。こちらの仕事は残りの人間でなんとかするよ」

「はい。では、お言葉に甘えさせていただきます」

その場を後にし、急いで家に戻る。


「ただいま」

「おかえり。長旅お疲れ様」

「ほら、これがフィアラの葉で作られた薬だよ。これで兄さんの身体は元気になるんだ」

「ありがとう……!」

「ギルド長から言われたんだ。完全に回復するまで側にいてあげなさいって。だから暫くはずっと家にいるよ」

「ありがとう、ありがとうね……」

兄さんは泣きながらずっとお礼を言っていた。こんな泣き顔を見たのは初めてだった。


——ありがとうね


感情が直に伝わってくる。何故か俺も泣いてしまう。

「もう、なんでロージェまで」

「ははっ、分かんないや」

その日は久しぶりに笑顔で会話が出来た。ともに食事を行い、たわいもない会話に花を咲かせる。不思議と頭の中に声は響かなかった。

「じゃあ、おやすみ」

「うん、おやすみ」

夜も更け、寝る前の挨拶を行ない部屋へ戻る。しばらく時が過ぎるのを待ち、兄さんが眠りに就いたのを確認した後に家を出た。

街の南西、木々に囲まれた湖の畔。フィルの住む小屋を目指して急ぐ。


「入れ」

促されるまま入った部屋の中は文献や実験器具で溢れいてた。その中に分厚い紙の束を見つけて思わず目を疑う。”特定生物に含有される陰素いんそにおける仮定とその効用”と題されたそれは、俺がギナの首と一緒に持ち出そうとしていた論文書だ。斡旋者から差し出された手配書に記されていた、もう一つの達成物。

「これ、どうしてお前が」

「全ての遺品を回収してきた。成果が奪われる前にな」

「奪われるって、そもそも剽窃したのはギナの方じゃ」

「兄はそんな事しない!」

彼女は表情を強張らせ怒鳴る。

「……妬まれていんたんだ。あの研究が世に出ればギナ・ジーンは間違いなく偉大な研究者の一人として名を残していた」

急に告げられた真実に理解が追いつかない。ギナは真っ当に研究に打ち込んでいただけなのか。

「じゃあ、依頼者は学者ギルドの」

「そうだ。手柄を自分のものにしようとした奴がいたんだ。……あいつも殺してやったよ」

その言葉を聞いた瞬間、憎んだ相手を手にかけるフィルの姿が脳裏に浮かんだ。慣れない手つきで命を奪った彼女はどんな気持ちだったんだろうか。そいつが暗殺の依頼をしなければ。俺がその依頼を受けなければ。彼女が手を汚すことなんてなかっただろうに。

「……」

思わず黙り込んでしまうが、フィルは構わず話を続ける。

「私の目的は二つ。仇を取ることと、兄の意志を継いで研究を成功させることだ。その両方が同時に叶うなら、これほど楽なことはない」

彼女が俺の話を受け入れた理由がなんとなく分かり始めた。しかしまだ情報が足りない。

「なぁ、その研究が俺の呪いにどう関係しているんだ?」

俺の問いかけに対し、フィルは一呼吸置いてゆっくりと答え始めた。

「……元々兄は生物の生態について学んでいた。あらゆる動植物を観察し、それらがどう生まれ、何を食い、如何にして繁殖していくか。だが、特定の条件下の場合だけ不可思議な挙動を行う個体に気付いた」

「……?」

「そして数々の検証により、一つの答えに辿り着く。特定の生物には不可思議な作用を持つ成分が含有されていて、それは他の生物に大きな影響を及ぼすらしい。兄はこれを陰素いんそと称し、そしてこいつを上手く活用することでこの力を他者に伝播させる事が出来るのではないかと仮定した」

「それが、呪いの正体なのか?」

「まだ憶測の域だ。ただ、この考えは限りなく正解に近かった。実際にいくつかの小動物では効果が確認できたんだ。方向の感覚を失認させたり、脅威に対する危機感を失わせたりな」

確かに、老人の手記にも似たような効果の呪いが書かれていた気がする。”彷徨”や”暖気”だっただろうか。ただ、ここでまた一つ疑問が浮き出る。

「そもそも陰素いんそをどう扱ったら呪いが掛けられるんだ?」

そう聞いた瞬間、彼女の言葉と憎悪が一気に押し寄せてきた。

「仇であるお前にそこまで教える義理はない」

迂闊だった。フィルにとって俺は殺したいほど憎い相手でしかない。この事を忘れてはならない。そんな奴に呪いの掛け方なんて軽々しく教えたら何をされるか分からないと思うのは当然だ。それが兄の研究の賜物なら、尚更。散々”投影”に苦しめられてきたのに、何故こういう時に彼女の感情を読み取れないのか。

「……すまなかった」

謝罪を無視し、フィルは言葉を続ける。

「話を戻す。様々な事が分かり、あと一歩まで来たこの研究だが、重要な問題が解消されなかった」

「問題?」

「呪いの解き方が発見出来なかったんだよ」

そうか。それさえ分かれば、ギナの研究は成果を上げ、もっと違った未来があったのかもしれない。

「お前が受けたその呪いも、恐らく陰素いんそが関係している。人に及ぼされた事例は初めて聞いたが、お前が言っていた老人の話も考えると辻褄は合う」

「老人の事は何も知らないのか?」

「そんな奴がいた事は聞いたこともなかった。きっと兄と同じように偶々発見したんだんだろう。陰素いんその作用を呪いと呼んでな。そこでだ。お前にはまず老人の小屋にあるもの全てをここに持ってきてもらいたい」

「何か手掛かりがあれば、ということか」

「そうだ。手記には解呪のことも書いてあったんだろう?」

「具体的なことは何一つ分からなかったが」

「何も分からないままよりはいい。必ず解き方を見つけてやるさ。……そして、お前を殺してやる」

殺意は増すばかりだ。俺はただ返事をすることしか出来ない。

「あぁ、俺もそのつもりだよ」

フィルは研究の達成と復讐の為。俺は呪いを解いて殺される為。遺された者と死にたい仇の、奇妙な協力関係が始まった。

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