第14話 爆弾少女の初仕事 1

「どうしたんですかはじめさん。今朝からずっと顔色がよくないですが」


 翌日、駅へ向かう道の途中、明久里が首を傾げながらこちらを伺った。

 役11時間前、俺は今向かっている駅にパジャマと裸足で全力疾走という、あられもない姿で一時的に立っていた。

 その時の、駅と近隣の照明で照らされた俺を見る人々の目が、今も脳裏から離れない。

 

「逆に明久里はよくいつも通りいられるな。俺に見られて爆破しそうになっていたのに」


 俺は大きな欠伸をした。

 昨日あの後走って帰ると、勿論家は無事だった。 

 家が爆発して近隣に野次馬が集まる、なんてことは起きなかった。

 家に入り、不注意とはいえ、やってしまったことに対して伏して謝罪しようとしたが、明久里は1階のどこにもいなかった。

 一瞬、まさか俺を追いかけたのではと思ったが、玄関に靴は残っていた。

 とりあえずリビングに戻った俺は、置きっぱなしにしてあったスマホを取って、明久里の様子を確認した。

 スマホに映る明久里の心拍は、かなり低い数値で安定していて、それが睡眠中だと示している事に気がつくのに、暫しの時間があった。

  

「それは、あの時は顔から火が出るくらい恥ずかしかったですけど、それだけですから」


 粛々と答える明久里に、俺は感嘆の息を吐いた。

 そう、明久里は俺が駅まで風を切って走り、帰ってくるまでの間にパジャマに着替えて眠っていた。


 たしかに、帰りの速度はかなり遅かった。

 例えるなら、人間は怪我をしていても、その怪我に気がつくまではまるで怪我などしていないかのように動けるが、ひとたび体の損傷を認識すると、それまでのように体を動かせなくなる。

 それに近い事が俺の身体に起きていた。

 とにかく足の裏が痛かった。

 駅に着いて自分は裸足だと認識したせいか、それまで気にもとめなかった小さな小石が足裏に潜り込む度、苦痛を覚えた。


「それだけって、そのメンタルは見習いたいよほんと」


 そのせいで満足に走れなかったのかどうかは、今では覚えていない。

 だが事実として、走れば3分程で着く家に入った時には、明久里は寝室で夢の中だった。


「まああれだ。昨日のことはお互い忘れよう。後生ごしょうのためにも」


「⋯⋯よく分かりせんが、多分私は死ぬまで覚えてると思います。ほんとに恥ずかしかったので」


「よく分からないどころか完全に意味理解してますねはい⋯⋯」


 朝の駅は、それなりに混雑している。

 そこそこの地方都市で、駅前も栄えているおかげか、満員電車はそれなりの密度を伴う。

 それでも、大都市圏の箱詰めに比べたら遥かにマシだ。

 もしこの俺達が利用する在来線の混雑率がそのレベルだったなら、明久里と心臓が危険水域にならない程度のほのぼのサイクリングで登校していただろう。


「あ、はじめだ。おーい」


 改札を通ると、朝から弾んだ陽気な声で誰かが俺を呼んだ。

 振り返ると、恵梨がこちらに向かって手を挙げていた。


「珍しいな。朝会うなんて」


「そうだねー。昨日から何かの偶然かな」


「さあな」


 昨日数ヶ月ぶりに言葉を交わしたかと思えば、その翌朝も顔を合わせるとは思ってみなかった。


「あれ、もしかして碧山さん?」


 恵梨は俺の後ろを歩く明久里に意識を向けると、首を傾げながら顔を近づけた。


「昨日はクッキーありがとうね。皆で美味しく食べたよ」


「恵梨、言っておくが明久里は作ってないぞ」


 念の為、いや家庭科部の名誉のため訂正する。

 顔を覗くように近づかれた明久里だが、恵梨に対して目をそらす訳でも無く、いつも通り無表情でじっと見据えている。


「あれ? そうなんだ。僕てっきり碧山さんも作ったんだと思ってたよ」


 あははと微笑しながら、恵梨は俺達に歩調を合わせた。


 朝のまだ涼しいが、人の波で熱が発生しているホームで明久里を隣に電車を待った。


「おい恵梨、先に行っておくけど、電車の中で俺の様子がおかしくても引くなよ」


 4日目ともなると、明久里をドアの前に立たせて周りをガードすることには自信がある。

 もう顔がおかしくて明久里に笑われることは無いだろう。だが、俺を知っている第三者に現場を見られたらどう思われるのか。


「ねえ、どうしたのはじめ。昨日から意味深なこと言ってるけど。僕はじめが水樹の小説の中みたいなことしてない限り引かないよ」 


 透明なアクリル板と、何も無い開けた天井から、陽光が俺達を温める。

 だが何故か、俺の前にいる恵梨との間は、寒々しい。


「ちょっと待て、あの作品のことを口に出すのはやめろ。許されるなら灰にした後富士山の火口に投げ入れたいくらいなんだ」


「あはは、まあそりゃあはじめはそう思ってもしょうがないよね」


 後ろに向けた横顔は、喜色満面と言えばいいだろうか。屈託のない顔をしている。


「まあ全部読んだ訳じゃないが、多分それよりはマシだ」


 そう言うと、電車がホームへ来るアナウンスが聞こえ、数十秒後に電車が停車した。

 電車に乗ると、まず明久里と俺はドア横をキープする。

 幸い、この鉄道会社の普通車は全て横長のロングシートで、シートの端には座っている人と立っている人が接触しないように、白い隔てがある。

 俺と明久里は、まずそこに背中を添わせ、全員が乗り終わるのを待つ。

 そして後ろに並んでいた人達が電車に入り切るのを確認し、ドアが閉まると明久里はドアと隔ての角へ身を委ね、俺はその前に立って両手で包囲する。


 こうすることで、万が一痴漢が明久里に触って爆発⋯⋯なんてことは防げる。

 その代わり、俺が変質者に見られるという欠点はある。

 初日こそ緊張で変な顔(明久里談)をしてしまったわけだが、昨日一昨日はそれも出現していない。


 恵梨はどこに行ったかと、出発し揺れる電車の中を見渡す。

 だがサラリーマンや学生の影に隠れていのか、隔てによって見えない方向へいるのか、恵梨の姿は確認できなかった。


 何事もなく電車を降りると、またどこからか恵梨が現れた。


「ねえねえ、ふたりでなにしてたの?」


「⋯⋯見てないならそれでいい。ただ明久里を保護してただけだ」


「保護?」


 目を丸くしながら恵梨は俺達についてくる。

 同じ場所をめざしているのだから当然か。


「あ、そうだはじめ。昨日言ってたことだけど、日曜日遊びに行ってもいい?」


「ん、部活休みか?」


「うん。だから久しぶりにはじめとゲームしたいなぁって」


 俺は恵梨の向かい側にいる明久里を一瞥した。

 明久里は、俺達の話を聞いてはいるのだろう。

 ただ話に入る気がないからか、足元を見ながら黙々と歩き、今も俺の視線に気がついていない。


「ああ、昨日言ったように家で何見ても驚かないし他言しないならいいぞ」


「だから何があるんだよもー。僕そんなに口軽くないし余程の事じゃなきゃ驚かないよ」


 呆れ笑いする恵梨から、もう一度明久里に顔を向ける。

 だが相変わらず俯いたままで、うんともすんとも言う気配がない。


「じゃあまた朝からでいい? 久しぶりにはじめの作る料理食べたいよ」


 実に10ヶ月ぶりくらいなのに、随分とグイグイくる。

 なぜ俺は恵梨と距離をとっていたのか。

 その理由は、今考えるととてもくだらないものだと思える。


「いいけど、じゃあ材料買ってこいよ。費用は全額そっち持ちだ」


「うん。勿論だよ。じゃあ決まりだね。また朝からずっとボコボコに泣かしてあげるから」


「ッチ。運動部が調子に乗るなよ。暇な文化部の実力見せてやる」


「ねえはじめ、それ自分で言ってて悲しくならない?」


 俺はこくりと頷いた。



 恵梨と別れ、教室に入ると、ずっと口を閉ざしていた明久里が、俺の机の前に立った。

 俺は席に座る前に、軽くクラスメイトでサッカー部の女子から礼を言われ、会釈を返した。


「はじめさん、紅浦さんや部長さん以外に仲のいい女の子いたんですね」


 席に座ると、若干俺を見下げる様な声色の声がした。


「別に紅浦とは仲良くないけどな。恵梨は幼なじみだよ。小一の時からのな」


「なるほど。負けヒロイン枠ですね」


 珍しく明久里はほくそ笑みながら、中々の毒を吐いた。


「いや、別にあいつとそういうのないからな。後その言い方はやめろ。アニメの影響受けすぎだ」


 これなら訳の分からないQOS部など作らず、アニメ部でも作ればよかったのではと考える。そんな部が承認されるかは置いておいて。


「で、あの人、えっと⋯⋯めぐりさんが来るなら私は外に出ておいたほうが」


「いや、それは別に⋯⋯はっ!?」


 俺は咄嗟に、首を左右後方へと旋回し、周囲を確認した。

 俺達の会話を聞いている人はいないし、あの女版出歯亀もいない。

 握った両手の人差し指だけを伸ばし、顔の前でバツマークを作りながら、何度もぶつけて明久里に見せつける。


「その話は学校ではやめような。今日帰りにカステラ買ってやるから。な?」


「はあ、分かりました」


 あっさりと頷き、明久里は用が済んだのか、自分の席へ向かった。

 この女は簡単に買収できる。

 それは、明久里をいいように利用、または誘導出来るということだが、これを悪しき心を持つ者たちに知られれば、俺にとって大変な脅威となりえる。


「あ、おはよ業平。昨日はクッキーありがとね。なんか業平の味がしたよ」


 そう、教室に入ってそうそう周りに聞こえる声で理解できないことを言う紅浦この女のような悪しき者には、絶対に知られてはいけない。


「ああ、意味がわからんがどうも。俺が焼いた作ったやつとは限らないけどな」


「えー、でもいくつか食べた内、たしかに業平のだと思ったのがあったんだけどなぁ。なんだろう。食べるとそれだけで詩が湧き出るような」


 紅浦は人差し指を頬に当てながら言った。


「変態が情緒溢れる発言してるんじゃない。どうせそれもろくなものじゃないだろう」


「えー、でも業平褒めてくれてたよね昨日」


「いや、文才は認めるが作品自体は全く褒めてないぞ」


「じゃあどうしたらもっと良くなると思う?」


「とりあえず高校生らしい内容に着手すること。実在の人物を勝手に使わないこと。とりあえず2つは絶対だな」


「それは無理だよ。私の得意分野は官能小説だよ?」


「⋯⋯それはもう高校生の発言じゃない。プロの発言だ。よし、じゃあ実在の人物を使うのだけはやめろ」


「うん。それも無理」


 破顔の笑みを浮かべる紅浦に対して、俺は机に顔を突っ伏して目を瞑った。


「あ、そうそう。別に業平と猥談したいわけじゃないの」


 暗い意識の外から、紅浦の声と手が俺の頭頂部へ伸びてくる。

 トントンと手打ちでモールス信号を送るように俺の頭を叩いた。


「なんだよ⋯⋯」


「そんな辱められる直前みたいな顔しなくても」


 たしかに下から睨みつけるような容貌にはなっていたかもしれないが、そんな顔をしているつもりは無い。


「まあ大したことじゃないんだけどね。昨日碧山さんもクッキー配ってたから、家庭科部に入ったのかなって」


「そんなこと明久里に聞けばいいじゃないか」


「いや、だってほら」


 そう言いながら、紅浦は顔を窓側へ向ける。

 俺もそれに続くと、朝から腕を枕に伏せて眠っているクラスメイトがいた。

 青い髪が背中に垂れ、横隔膜がよく働いているのか、気持ちよさそうに身体が膨らんだり縮んだりしている。


「もう寝てるのか⋯⋯」


「うん。だから業平に聞いたんだよ。起こすの悪いし」


 短く鼻息を漏らしながら、紅浦は苦笑いした。


「ああ、あいつなら部活作ったよ」


「えっ!」


 紅浦でも驚いたのか、一瞬瞼が大きく開いた。


「以外に行動力あるんだね碧山さん」


「動機は意味不明だけどな」


 この学校の全校生徒およそ1000人に明久里が部活を作った動機を理解できるか出来ないかのアンケートを取ったら、9割強が理解出来ないと答えるだろう。


「それで、どんな部活作ったの?」


「それは明久里に聞けよ」


「いや、寝てるし。どうせ業平知ってるんでしょ。まあ一緒にクッキー配ってたところから考えると、学園生活御奉仕部みたいな感じかな?」


 なんだか猥雑としている気がしなくもない名前だが、おおよその形は掴めている。


「まあそんな感じだな。ちなみに名前はQuality Of School部、通称QOS部だ」


「く、こ、クォス部?」


「クォス部だ。まあ呼び方はなんでもいい」


「へ、へぇ、独創的だなぁ碧山さん」


 明らかに声色が上擦っている。

 たかが部活の名前ひとつで紅浦を動揺させるとは、明久里はとても底知れぬ恐ろしい女だ。


「で、具体的には何するの? あっちの世話とかするの?」


 だが次の瞬間には、紅浦はいつも通りに戻っていた。

 こうなると面白くない。

 いつもこの女の言動に、俺は狼狽させられているのだ。これはチャンスかもしれない。

 俺はこれから発する言葉を、直接顔を見ながら言わないため、机に左肘をつき、手のひらに頬を乗せ、斜め上の窓へ目を向けながら口を開いた。


「ああそうだよ。依頼さえあればそっちの世話もする。お前も依頼してみるか?」


 自分で言ってて、恥ずかしくて顔が熱を帯びる。

 だが、逃げ道は用意している。 


 さて、紅浦はどうなっているのか。

 眼球だけを紅浦へ向けて動かすと、この女版出歯亀は、目を輝かせていた。





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