第6話 4

「はじめさん。今日も部活見学に行きましょう」


 翌日の放課後、帰ろうとすると明久里に呼ば止められた。

 一緒に帰ればいいのに、ひとりで教室を出ようとしたのは俺の照れ隠しだ。

 余程昨日が楽しかったのか、明久里の鼻息は荒くなり、鼻腔が膨らんでピクピクしている。


「部活って、どこか行きたところあるのか?」


「えっ?」


 明久里の大きな双眸が一瞬点になった。

 次の瞬間には戻っていたが、一体何に驚いたのか。


「どこって、家庭科部に決まってますよ。クッキー作るんですよね」


「あー⋯⋯」


 俺は左手でつむじを覆うように頭を掻いた。

 同じ家庭科部の富山君は、ホームルームが終わると速攻で帰っていってもういない。

 邪な気持ちで入部した彼はサボった訳では無い。

 ただ毎週火曜のルーティンとして帰っただけだ。

 なぜなら、


「明久里、今日は部活ないんだ」


「えっ」


 また明久里の目がカメラのレンズのように小さく収縮した。

 今度はすぐには戻らず、5秒ほどかかった。


 ────そこまでショックか。


 戻った目はハイライトが消え、見ているとブラックホールに吸い込まれるような感覚になる。吸い込まれたことないけど。 


「どう⋯⋯して⋯⋯」


 たかがクッキーを食べられなくなっただけで絶望する女子高生に、ため息が止まらない。 

 頭を搔く左手がどんどん早くなる。


「言い忘れてたけど、家庭科部は月水金の週3活動なんだよ。月水で料理作って金曜日はほとんどろくに活動しないけどな」


「そ、そんな⋯⋯」


 説明すると、明久里はガックリと肩を落とし、左手で髪の毛を耳にかけた。

 が、上手くいかなかったのかすぐに元に戻った。

 さらりと広がりながら落ちる髪が、教室の注目を集めた。




 そして周囲に目がむく中、あの女が俺達の間に入り込んでいた。


「じゃあ碧山さん私の部活見に来る?」


 ひょこっと俺達の間から頭を出して、紅浦はその身体を明久里に向けた。


「紅浦さんの部活ですか⋯⋯」


 まだショックが抜けないのか、下ネタ女を警戒しているのか、明久里は恐る恐る口を開きながら右足を半歩引いた。


 だが、昨日の様子からして明久里は紅浦と仲良くなりたがっている。

 紅浦がどんな人間かは、昨日の第一印象である程度掴んでいるはずだ。

 それでも明久里は好意的に思っている。


 ならここは、俺が背中を押すべきなんだろう。


「いいんじゃないか明久里。せっかく紅浦が言ってるんだから、見学だけでもしてみたら⋯⋯あっ」


 紅浦を避け、明久里の肩を叩くと、その顔が俺を見上げた。

 口を真一文字に結んで、行こうと決心しかけている。

 しかし、この時明久里のまさかの発言に嬉々としていたせいが、大事なことを忘れていた。


「だめだ。紅浦はサッカー部だ。運動は無理だろ。ていうか昨日言ってたな」


 そう。明久里は心臓に『爆弾(比喩じゃない)』を抱えているせいで、運動ができない。

 今日は体育があったが、明久里は先生に診断書の写真を見せたと言っていた。


「あっ⋯⋯ごめん、昨日の今日なのに忘れてた。それに紅浦さん言ってた通り体育も休んでたのに。ごめんね」


 紅浦の顔が影った。

 誘ったことに罪悪感でもあるのだろうか。

 正直そういう所で気を使えるとは思っていなかったので、少し見直した。


 だがこれくらいのこと仕方がない。

 紅浦にとって、明久里はもう仲の良い友達で、その友達と共に部活がしたいという健気な気持ちが、ただ視野を狭めてしまっただけだ。何も気に病むことは無い。


「紅浦さんは気にしなくていいです! 昔からのことでもう慣れっこですから」


 紅浦を気遣うように、明久里が穏やかに微笑みかけた。

 女版出歯亀と性格もやや爆弾系のふたりが、お互いを思いあっている姿に感動すら覚える。


「じゃあ、もうひとつの方行ってみる?」


「もうひとつ?」


 いつもの面持ちに戻った紅浦の言葉に俺が反応した。

 そういえば、この学校は部活動の掛け持ちが普通に認められている。

 家庭科部には掛け持ちをしている人は居ないが、この学校ではそれ自体珍しいことでは無い。


 多くの物と人と触れ合い人間を形成する。


 という教祖の理念があるように、ひとつに拘るということにこの学校は執着しない。

 流石に全国レベルで、学科も違うような野球部やサッカー部の部員による掛け持ちは原則禁止だが、他の運動部なら掛け持ちも出来る。


「何と掛け持ちしてるんだ?」


「んー。文学部だよ」


「⋯⋯官能小説か」


「いや、早すぎるって業平。さすが思春期男子だよ全く」


 やれやれと、両方の手のひらを上に向けながら、顔の横に持ってきた紅浦の顔は、完全に人を辛かっている。


「お前と文学が混ざれば誰だってそう思うぞ」


「全く、反論はしないけどね」


「当たってるならそんな顔するなよ⋯⋯」


 なぜ図星をつかれて、俺の早とちりに呆れる、みたいな顔が出来るのか。

 

「女子サッカー部は毎週水曜が休みだからね。水曜日は静かに読書にふけることにしてるんだよ。明日なら私も一緒だけど、どうする碧山さん」


「⋯⋯じゃあ今日行ってみます」


 ほんの少し考える素振りを見せて、明久里は頷いた。

 この女、明日はクッキーを食べに来る気満々である。


「んー。わかったぁ。じゃあとりあえず部長に説明だけしてあげるから、一緒に行こっか。もちろん兼平も」


 紅浦の手が俺の腕を掴み、そのまま引っ張って教室を出ようとする。


「いや待て、なんで俺も⋯⋯」


「だって、明久里ちゃんひとりじゃ心細いでしょ? ついて行ってあげなよ」


 俺達の後を追うように歩く明久里に顔を向ける。

 明久里の表情からは何も読み取れない。


 昨日の様子からすると、1度慣れてしまえば平気なはずだが、俺も文学部には少し興味があった。


 家庭科室がある東側校舎の3階の空き教室に、文学部の部室はあった。

 入口の扉には黒いマジックペンでご丁寧に文学部と書かれた白いシールが貼ってあった。


 知らない間に紅浦の手は俺から離れていたが、逃げることも無く自然について来た。

 俺の後ろでは、昨日のように緊張した面持ちで明久里が待機している。


「失礼しまーす」


 特に入る前に俺達に確認もせず、紅浦は勢いよく扉を開いた。


「あれ? どうしたんだ紅浦さん。今日はサッカー部のほうじゃ」


廊下側の白濁色のガラスに遮られて、その姿は見えないが、中からは男子の声がした。


「部長、転校してきたクラスメイトが見学したいって言ってたので付き添いと一緒に連れてきたんですけど、いいですか」


 扉のすく前で、紅浦は背筋を伸ばしながら言った。

 さすが体育会系と言ったところか。


 ただ、最初に誘ったのは紅浦であって明久里は別に頼んでいない。


「へえ、珍しい人もいるんだ。もちろん歓迎するよ」


 部屋の中から部長さんが言うと、紅浦がこっちに向かって手招きをした。


「ほら、明久里」


 俺は明久里の背中を押して、半ば無理やり教室内へ進ませた。


 明久里に続いて、部長さんか居るであろう廊下側中央に顔を向けながら入室すると、短髪にスクエア眼鏡の部長さんと、その後ろにショートボブの女子部員がひとりいた。


 教室内は、中央に長机を合わせて長方形が作られ、その周りに椅子が並べられている。

 もともと教室後方にあった棚の中と上には本がびっしりと並べられ、部屋奥の窓際にも、陽の光が入らないほどびっしりと背が高い本棚が並べられ、本が詰まっている。

 ただ前の棚だけは、本棚の上段部分に本は置かれず、代わりに原稿用紙が束ねられて置いてある。


「転校生の碧山さんと、その付き添いでただならぬ関係の業平です」  


「おい」


 俺達が挨拶をする前に、紅浦に先手を打たれふざけた紹介されてしまった。

 部長さんの方は口を半開きにして苦笑いし、その後ろの女子部員さんはいたずらっ子の幼子を見るような、菩薩の顔をしている。


「あの、すみません。ただの碧山の親戚の業平です。よろしくお願いします」


 気まずくもふたりに自己紹介をし、明久里にもするように目で催促した。


「碧山明久里です。今日は紅浦さんに誘われて、その、全然文学には詳しくないんですけど、よろしくお願いします」


 スラスラと対して緊張した様子もなく、明久里は頭を下げた。

 明久里は既に、紅浦のセクハラ攻撃に耐性がついたのだろうか。俺なんて未だに内容によっては激しく動揺するというのに。


 そして見たところ、部長さんとこの女子部員は紅浦の性格になれている。


「僕が部長の滝沢です。せっかくだから気に入ったら入部してくださいねふたりとも」


「副部長の山崎です」


 スクエア眼鏡の部長に続き、後ろの女子部員も口を開いた。


「はあ。お願いします」


 一礼したタイミングで、ひとり女子部員が入室し、部長が速やかに俺と明久里を紹介してくれた。


「じゃあ部長、私はサッカー部へ行くので後はよろしくです。業平、官能小説ばっかり探したら駄目だからね」


 俺と明久里の肩を叩き、紅浦は教室の扉から出た。

 運動部なら遅れたらペナルティがあったりしそうだが、だとしたら多少は感謝せねばならないと思っていたが、それは跡形もなく消失した。


「お前と一緒にするなよ」


 そう呟いた時には、廊下を走る足音は遠ざかっていた。

 俺の予想では、あいつのポジションはサイドウィングだと思われる。


「えっと、業平くん? わかってると思うけど紅浦さんの言うことはあんまり気にしなくていいですから、とりあえずふたりとも好きなところに座ってください。多分今日はもう誰も来ないですし」


 部長は立ち上がると、俺達の元へ来ながら言った。

 その言葉はまるで俺を慰め、優しく包み込むかのように心に響く。

 眼鏡の奥の瞳から暖かさと優しさが溢れているせいだろうか。


「わかりました。ありがとうございます」


 とりあえず俺達は、部屋奥窓側の席に、部長と副部長からは少しズレて座った。


「じゃあ、特に碧山さんに説明させてもらいますね」


 部長は付き添いの俺ではなく、明久里の目を見ながら朗らかに笑う。

 やばい。うちの部長より数段いい人っぽい。

 転校生で多少緊張しているであろう明久里に優先的に話しかけ、ほぐそうとするその技能、中々のものだ。


「まあ説明と言っても大したことはありませんが、活動内容は読書か執筆です。基本的には好きな方を好きなように選んでしてもらうだけです。読む本も活字であればなんでも。この教室にあるものでも図書室のものでも自分のものでも。とにかく好きな作品を。ところで、碧山さんと業平君は好きな作品やジャンルはあますか」


 部長が俺達に質問を下さったが、明久里は答えに悩んで顎に手を置いた。


「俺は時代小説が好きです。あと文学も少し」


 部長を待たせる訳にはいかない。

 明久里が答えを見つけるまで、俺が話を繋ぐ。


「へぇ、時代小説は珍しいですね。好きな作家とか作品はありますか?」


「えっとぉ、司馬に山本周⋯⋯その他たくさん。作品でいえば燃えよ剣と風立ちぬが好きです」


「ああ、良いですよね燃えよ剣。映画も見ました?」


「はい。配信でですけど」


「どうでした? 僕も気になってはいるんですよ」


「まあ、それなりに面白かったです」


 恐らく、部長さんはあまり時代小説に詳しくない。

 最初の反応が、やや驚いた様子だったことから伺える。


 だがこの人は必死に客をもてなそうと話を繋いでくれている。 

 しかもそれを打算ではなく本心で。

 いきなり明久里を勧誘していたうちの部長とは大違いだ。


「じゃあ今度関ヶ原と見てみようかな。碧山さんは何かありますか?」


 俺の趣向に合わせて話を少し膨らませたところで、自然に明久里に対象を移す。


「えっとぉ、私は」


 まだ悩んでいる明久里は恐らくだが、父の影響をに受けているので、活字なんて読まないだろう。

 そのせいでひとつの作品に触れれば影響されやすく、山月記を授業でやったら、「その声は我が友李徴ではないか」とか友達に言ってしまうタイプだきっと。


「なんでもいいんですよ。たとえば、好きな俳句とか詩とかでも」


「詩⋯⋯ですか」


 部長のナイスアシストが飛び出す。

 これなら適当に、「柿食えば〜」とでも言っておけばいい。

 しかし、考えてみると海外生活が長かった明久里は、日本の文学作品をどれだけ知っているのか。

 向こうで学校に通っていたなら、当然ほとんど知らないだろう。


垓下がいかの歌⋯⋯ですね」


「へぇ、凄いところ出てきますね」


 ──まさかの史記!? しかも項羽かよ。それは女子高生の答えじゃない。ちょっと拗らせた男子中学生の答えだ。


 斜め上の答えに動転した俺が心の中で叫ぶ中、部長は冷静に頷いている。

 人としての胆力が俺とは違うようだ。


 というか、なんで海外生活の長かった明久里の口から史記の記述が出てくるのか。父と中国に行ったことがあるのだろうか。


「どこが好きなんだ?」


「最初は自分の力を誇示し、己の不幸を嘆きながら最後は愛する虞美人への心の叫びで終わるところがいいんです」


「おぉ⋯⋯おぉ⋯⋯」


 思いがけない情緒的な意見に、少なからず感嘆してしまった。





  

 

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