第10話 幼馴染と登校する
「はあ……」
「どうしたの? まだ体調悪いの?」
「いや、そうじゃないんだけどさ……」
心配そうな顔をする母親に見られながら、ジャムを塗ったトーストを口に入れた。今日は週が明けて初めての平日。要するに、いよいよ学校に行かなければならないというわけだ。
俺のテンションが低い理由は、もちろん朱里への返事について考えていたからだ。週末を使って散々頭を悩ませたが、結局はっきりとした答えは出なかった。朱里と付き合いたい気持ちはもちろんある。それと同時に、一か月後の朱里を悲しませたくないという感情もあった。こうしてどっちつかずの態度をとることが一番朱里を傷つけてしまうのだと、心では分かっていても行動が追い付かないのだ。
とりあえず、朝飯を食べたら学校に行くことにしよう。朱里は朝練で早く登校するはずだし、通学路でばったり会うなんてことにはならないはずだ。ずっと家に引きこもっていたんだし、外を歩いていれば何か良い考えが思いつくかもしれない。
「ごちそうさま、もう行くよ」
「あら、気をつけるのよー」
「はいはい」
いつも通りに見送る母親に、何も言わずに新聞を読んでいる父親。こうして朝の日常を送るのも残り数十回しかない。当たり前のはずだった景色も、今となっては走馬灯みたく思えてくる。ああ、死ぬって辛いことなんだな。……今になって、死の受容の「抑うつ」の段階に至るとは思わなかった。
「……どうしたの、周平?」
「いや、なんでもない。行ってくる」
ぼうっと立ち尽くしていたら、母親が怪訝そうな顔をしていた。そうだった、死ぬことを悟られてはいけないんだった。両親には不義理かもしれないけど、俺は最後まで平穏な日常を過ごしていたいんだ。それに……二人の悲しむ顔を見たくないという、我儘な感情も少しある。最後の我儘だ、それくらいは許してくれるよな。
「行ってきまーす」
玄関の扉を開け、外の世界に足を踏み出す。家から出るのは久しぶりだな。よし、学校に着くまでの間にしっかり朱里のことを――
「あっ、しまちゃん!」
「えっ?」
「お、おはよう! 元気になったんだね……!」
「朱里……!?」
隣の家の方を向くと――玄関の前にいたのは、いつも通りの黒髪ボブに制服を身をまとった朱里だった。な、なんでこの時間に……!?
「あ、朝練じゃないのか!?」
「今日はお休みなの! 良かった~、一緒に行こっ?」
「そ、そうだな。行こうか……」
「うん!」
おいおい、ちゃんと活動しろよ陸上部! ……などと八つ当たりしても仕方がない。それに、あんなに元気がなかった朱里がこんなに嬉しそうな顔をしているんだ。一緒に登校するほかあるまい。
「一緒に学校行くの、久しぶりだね……!」
「うん、そうだな……」
俺の後ろをついてくるように、少し恥ずかしそうに歩く朱里。こうやって共に通学するのはいつぶりだろう。普段は朱里が朝練に行くことが多いっていうのもあるけど、この歳になって男女二人で歩くのもなんか恥ずかしいしな。なかなかそういう機会も少なかった。
「……」
「……」
やがて話すことがなくなり、互いに黙り込んでしまった。しかし、朱里は何か言ってほしそうにちらちらとこちらの様子を窺ってくる。分かっている。この間の返事が欲しいのだろう。
成り行き上仕方ないが、ここですぐに返事をしろというのも酷な話だ。付き合うか、付き合わないか。その選択が文字通りに俺の余生を左右してしまう。もちろん、朱里の人生もだ。
「あの、しまちゃん……」
「な、なに?」
「……その」
朱里はもじもじとするばかりで、うまく言葉を紡ぐことが出来ていない。しかし、どうにかしてほしいのか、助けを求めるようにそっと俺の制服の裾をつかんできた。その可愛い仕草に思わずドキッとしてしまうが、幼馴染の行動にメロメロになっている場合ではない。とりあえず、何かしら話題を出さなければ。
「な、なあ」
「えっ?」
「修学旅行、洋一が同じ班にしてくれたんだってな」
「あっ、うん……! 『周平と梅宮さんは一緒がいいよね』って言ってくれたの!」
本当に洋一には頭が下がる思いだ。大好きな朱里と一緒に修学旅行の時を過ごすことが出来るんだ。本来なら飛び上がって喜ぶべき場面だが、余命一か月という事実が否応なしにそれを阻んでくる。修学旅行に行った次の週、俺は死んでしまうのだ。楽しい思い出を胸に学校に登校したと思ったら、俺の訃報を知らされることになる。そんな朱里は想像したくもない。
「しまちゃん、どうしたの?」
「いや……なんでもない。修学旅行、楽しみだな」
「うん……!」
頬を真っ赤にしてはにかむ朱里。その笑顔はどうしようもなく綺麗で、どうしようもなく残酷に見えた。俺はどうすればコイツの悲しみを最小化出来る? 朱里を傷つけることなく、どうすれば自分の人生を終えることが出来る? ……分からない。
しかし、よく考えればこれはいい機会かもしれない。残り少ない人生は旅行に行って――なんてとても無理だと思っていたけど、修学旅行となれば話は別だ。十七年弱の人生における、最後の良き思い出になるだろう。それも、この幼馴染の朱里と過ごすことが出来るのだ。
そうだ、これを活かさない手はないだろう。残りの一か月を楽しく過ごし、Xデー後の朱里の悲しみをなるべく少なくするように努める。そのために俺が取るべき選択肢とは何か。自ずと答えは見えてきた。
「朱里」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「あっ、ごめん」
「もうっ、驚かさないでよ!」
ぷりぷりと怒る姿すら愛おしい。目を細めるようにしてそれを見つめていると、朱里が不思議そうな顔をしていた。
「で、どうしたの?」
「あっ、そうだった。あのさ――この間、朱里が言ってくれたことなんだけど」
「……うん」
朱里は何かを覚悟したように、キッとこちらの目を見つめた。これから俺が繰り出すのは最大公約数的な解決策だ。もしかしたら「逃げ」かもしれない。朱里のため、なんて言うのはただの言い訳にしかならないだろう。もしかすれば俺の自己満足に終わるかもしれない。だけど、今の俺にはこれしか出来ないんだ。
「返事はさ、修学旅行まで待ってほしいんだ。……そうしたら、必ず言うからさ」
「えっ?」
「ごめんな、先延ばしにしちゃってさ。……それでもいいか?」
少し驚いたあと、朱里は俯いて黙ってしまった。やっぱり駄目だったかな。泣かれでもしたらどうしようか。そんな情けない心配をしていると――朱里は顔を上げて、優しい口調で俺に告げた。
「いいよ、しまちゃんが決めたことなら。私、ずっと待ってるからね!」
朱里の無垢な笑顔が、重しとなってずしりと心にのしかかる。今は返事を待ってもらって、楽しく修学旅行までを過ごす。そうすれば朱里は楽しく過ごせるし、俺の余生も良いものになるだろう。自分勝手かもしれないけどな。
そして重要なのはここからだ。修学旅行先で、俺は告白の返事をする。これからの朱里の人生にまで関わる、大きな大きな決断となるだろう。一緒に過ごした十数年間の思い出と、胸に抱えきれないほどの朱里への愛。その二つを存分に込めて、はっきりとこう告げるのだ。
ごめん、付き合えません。
……最後の高校生活が、幕を開けようとしていた。
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