第4話 神が舞い降りる

 あの衝撃的な話を聞いてから――どうやって家まで帰ったのか、記憶が定かでない。二人に気づかれないようにそっと校舎を出て、ふらふらと通学路を歩いたのはなんとなく覚えている。家に帰ると布団に潜り込み、飯も食べずにずっと寝込んでいた。


「朱里……」


 情けなく呟きながら、枕が濡れているのを感じる。ずっと好きだった。ずっと一緒にいた。その朱里が、親友の手を取ろうとしている。体を交え、喜びを受け入れようとしている。俺でなく、洋一とだ。


 俺だって男だし、朱里とそんなことをすることを妄想したことだってある。だからこそ悲しく、悔しい。もちろん性欲だけが朱里を好いていた理由ではない。だがそうは言っても、辛いものは辛いのだ。


「……」


 頭がぼんやりとしてきた。このまま明日になれば、朱里と洋一は「して」しまうのだ。そんな日が来るなど信じたくもない。


 朱里のことは好きだ。それと同時に、洋一のことも親友として信頼してきた。なあ洋一、俺が朱里のことを好きだってことくらい分かっていたはずじゃないか。それなのに何も言わずに奪っちまうなんて、ひどいと思わないのか? ……なんて、負け犬の遠吠えだよな。


「疲れた……」


 そっと目を閉じ、襲い来る眠気に身を任せる。こうなれば後は運命に任せよう。今更どうしようもないんだ、せめて朱里と洋一の前途を祝してやろうじゃないか。ああ、もう何もかも嫌だ……。


***


「けほっ、けほっ」

「朱里、だいじょーぶ?」


 目の前の朱里が苦しそうに咳をしている。周囲を見渡してみると、どうやら俺たちは小学校の校庭にいるようだった。目の前にいるのは小学一年か二年の頃の朱里。この頃のコイツは病弱で、少し校庭で遊んだだけでもかなり疲れてしまうのだった。そっと朱里の背中に手を当て、優しく撫でてやる。


「えへへ、ありがとうしまちゃん」

「無理しないでね」

「うん。でも、そろそろ行かないと」

「どこに?」

「きょうはびょういんの日なの」


 朱里が指さす先には、校門の前で待つ一台の車。どうやら朱里の母親が乗っているらしい。いつもの通院か。


「そっか。朱里、気をつけてね」

「……」

「朱里?」

「ほんとは、あんまり行きたくない」

「えっ?」

「びょういん、こわい……」


 朱里は俯き、嫌だ嫌だと首を横に振った。恥ずかしがり屋だから、きっとお医者さんや看護師さんが怖いんだろう。


「でも、行かなきゃよくならないよ?」

「分かってるけどお。……いやなの」


 俺だって、朱里には元気になってほしい。だけど、無理やり病院に行かせるなんてこともしたくない。少し迷ったが、カッコよく思われたくて――俺はそっと朱里の手を取った。


「しまちゃん……?」

「ね、朱里。大きくなったらさ」

「うん」

「僕が必ず――朱里のことを守ってあげるから!」

「えっ?」

「だからさ、それまでは我慢して!」


 朱里は驚いて目を見開いていたが、間もなくすると頬を赤くして、優しく微笑みを浮かべた。


「……ありがとう、うれしい」

「ほ、ほんと?」

「うん。約束だよ、ぜったいに守ってね」

「うん!」

「じゃあ、今日はがんばってびょういん行ってみる」

「行ってらっしゃい!」


 指切りげんまんを交わした後、朱里は車に向かって歩いていった。俺は一人、校庭にぽつんと残される。ああ、なんだか懐かしいな。こんなこともあったっけか。……途中から分かっていた。これ、夢だよな――


「悩める若人よ、ようやく気付きおったか!」

「へっ?」


 気づけば俺は高校生の肉体に戻っており、周囲の景色もいつの間にか見慣れた自室へと変わっていた。訳が分からず呆然としていると、目の前に光り輝く人型の物体が現れる。


「な、なんだ!?」

「ふぉっふぉっふぉ、そんなに驚くでない!」

「おまっ、お前誰だよ!?」

「ワシか? ワシはな……」


 そいつは静かに舞い降りると、大きく口を開き、こう言ってのけたのだ――


「お前に知らせを持ってきた、恋の神じゃ!」

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