指探し_03

「透悟!」


 奈緒子が依頼に来た次の日、仕事をするわけでもなくまた白い布を被って寝ていた透悟を叩き起こすように若部霧真が事務所を訪れた。


「⋯⋯霧真か。一昨日きたまえ」


「君は一昨日の私にもそう言ったぞ」


 若部霧真はこのビルヂングの大家であり、透悟の幼馴染でもある。長身で線が細く、顔は涼やかで瞳は切れ長である。色が白く、なんとなく神気を纏っている。いつでも洋装の透悟に対し、いつでも和装で、今日は利休色の羽織をはおっている。


「何の用事だか知らないが、ろくな用事でなければ久埜くんを下におろさないから覚悟して話したまえ」


「ダメだ。蓉子ちゃんは大事な看板娘なんだぞ、こんなカビが生えそうな陰気臭いところにずっと置いておけるもんか」


 匡佑は、散々な言われようだな⋯⋯と思いながら、反射的に霧真にお茶を出した。霧真は笑顔でそれを受け取ると、透悟と向き合い、声をひそめた。


「透悟、お前に極秘案件だ」


 ほぅ、と探偵の眉が動いた。ようやく探偵らしいことができる! 匡佑は色めき立った。


「存外早かったな⋯⋯」


「来るのがわかっていたなら話は早い。数年前に殺人事件の依頼があったろ? あのときの警部さんだ」


「え? そんなことがあったんですか? なんで言ってくれないんですか先生!」


「常石くんに言う必要がまだなかったからだ。生憎これから説明することもないだろう。⋯⋯木下警部と伊藤警部補か。警部補は死体を前に卒倒する体質は治ったのだろうか」


 納得がいかないような顔をしている匡佑を置き去りに、事件の説明が始まった。





「事件の概要はこうだ。広瀬川に“指のない死体”が上がった。手の指がすべて切断されている状態らしい。溺死なのか、殺されてから川に投げ込まれたのかはわからない。奇妙なのは、数週間前にも指のない死体が発見されていることだ。それは首吊り死体だという。首にもがいた形跡がないことからこの指は首を吊る前に切られたものと見られている。他殺の線で捜査を進めているらしいが、まったく手掛かりが掴めないということで、透悟、お前に話が回ってきたということだ」


 霧真はメモ帳を片手に一息で説明してソファに座り込んだ。


「どうだ? 思っていた通りの話だったか?」


「まあ、あらかた、な」


 透悟は少し口角を上げた。どうやら事件のヴィジョンが見えているらしい。取り残された匡佑はへの字に口を曲げて立ち尽くした。


「僕には全然わからないですよぅ!」


「常石くん、俺にもお茶」


「先生! はぐらかさないでくださいよ!」


「はぐらかしてなんかいないさ。普通に喉が渇いた。おもいきりぬるいのを一杯くれるかね」


「⋯⋯わかりましたよ、まったく」


 匡佑はしぶしぶ給湯室に入っていった。





「匡佑くんのこと、猫可愛がりしているようだな、透悟」


「そんなんじゃない、常石くんに適切な仕事を与えるとすると自然にこうなるのさ」


「蓉子ちゃんのことはおつかいに出すのに、匡佑くんはこの事務所のキノコにするつもりか?」


「いや、昨日おつかいに出した」


 無表情に言い放つ透悟に霧真は驚いた。驚きすぎて持っていた湯呑みを机に落とした。ごとっと鈍い音を立てて、空の湯呑みは机の上に転がった。匡佑は気付いていない。


「嘘だろ? え、本当に?」


「そんなつまらない嘘をついてどうする」


「あの匡佑くんだぜ?」


「その常石くんをキノコにするのかと言ったのはどの口だ」


「⋯⋯どこまで出したんだ?」


「なに、依頼人を家に送り届けさせたまでだ。まだ年端もいかぬ少女だったので、住所が合っているか心配になってね」


「この駅前から歩いて行かせたのか?」


「助手に俥を出してやるほどの余裕がないのでね。ちなみに大渡橋の付近だ」


「そりゃ歩いたな⋯⋯、往復で二里くらいか⋯⋯、え? 年端もいかぬ少女がこの事務所を目指して一里も歩いたのか? ⋯⋯この事務所を目指して?」


「何度も同じことを繰り返すな。もういいだろう」


「⋯⋯どんな依頼だったんだ?」


 霧真の問いかけに透悟は意味深に笑った。そのとき匡佑がぬるいお茶の入った湯呑みと急須を持って出てきた。


「⋯⋯はい、お茶です」


「いいところに。常石くん、説明」


「は?」




 匡佑の説明はざっくりとしていた。依頼人の名前、年齢、住所、探すもの、母親の特徴などを箇条書きでメモした内容を抑揚なく、ところどころ字が読めないのか、つっかえたり目を細めたりしながら読み上げた。


「⋯⋯ですっ!」


 最後の、です。だけ、やたら元気だった。


「⋯⋯透悟」


 透悟は溜息をついた。


「常石くん、昨日一緒にいたよな」


「はい先生」


「なんなら、奈緒子さんを送り届けたのだから、奈緒子さんについての情報は俺より詳しいよな」


「もちろんです」


「なんでそうなる⋯⋯」


 透悟は頭を抱え、霧真は苦笑いを浮かべた。常石匡佑という少年がどうして透悟の家事手伝いから脱却できないのか、わかっていないのは匡佑ただひとりである。








「黒瑪瑙、か」


 霧真は机の上の、奈緒子の母親の写真を眺めて呟いた。どうにも繋がらない指輪探しと指のない死体の件が、透悟にはひと続きの物語に見えているらしかった。


「西洋ではオニキスと呼ばれる石らしいな。石座も菊型⋯⋯実にありふれている」


「そんなに詳細に見えているなら、奈緒子さんに在処を伝えたらいいじゃないか」


 透悟は無表情に写真から目を上げて霧真を一瞥した。


「それができたら昨日したさ」


「え! 先生! 今回は解決していないんですか!」


「⋯⋯ではなぜ君に奈緒子さんを送らせたんだ」


「あ、そっか」


「まったく⋯⋯」


 透悟は飴チョコをひとつ口に入れた。




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