探し物の穴
まさつき
探し物の穴
三流私大の三回生ヒロシの朝は、探し物から始まる。
今日の講義は午後からだ。
お楽しみの時間は、まだたっぷりとある。
探し物だというのに、ヒロシは両手に一本づつ銀色でL型の棒を握って、熱心に部屋の中をうろうろするばかり。
むさくるしいアパートの一室。
夢中になっているせいなのか、壁の向うで建付けの悪い玄関ドアが派手な音を鳴らしても、まるで気にする様子がない。
握った棒の先は勝手に、震えるように動いていた。
右に左にとヒロシが身体の向きを変えるたびに、L字の棒はわずかに開いたり閉じたりを繰り返しす。
無機物である金属棒は、意志を示して動いている。
部屋の扉が開けられた。女がひとり立っている。玄関を開けた者の正体は、ヒロシの恋人、アカネだった。
「何してるの?」
合いカギを持っているのはアカネだけ。勝手に上がり込んできた者が誰であるのか、ヒロシには分かっていたのだろう。
奇妙な行動をとるヒロシを見て、アカネは眉間に皴を刻んだ。
「探し物」
アカネのことなど見もしない。足元のローテーブルや、ゴミ箱を器用によけながら、ヒロシはアカネの横を通り過ぎ、また戻りを繰り返した。
「うろうろしてるだけじゃん?」
「ダウジングって知らない?」
「だう……?」
「頭で念じてさあ、見つけたいものがあると……」
ヒロシが握っているのは、ダウジングロッドだった。探し物に使う、まじないの道具だ。針金を曲げて作ったお手製の一品。
オカルト好きなヒロシらしいと、アカネは呆れて口をまげた。
仕方なく黙ってヒロシを見ているアカネの目の前で、ふいにロッドの先が内側に閉じた。ピタリと閉じた二本の先端は、ヒロシの手元で三角形を描き出した。
「お、こっちかな?」
三角形の頂点は矢印のようになり、探し物の在り処が押し入れの中だと指し示していた。
「何を探してるわけ?」
アカネの問いかけに、ヒロシはまるで返事をしない。探し物とやらをそれほど熱心にするものなのか。そのまま振り返りもせず、押し入れを開けて座り込んだ。
「今日はこのあたりなのか……」
ぶつくさしながら、ヒロシはもそもそと押し入れの中に入り込んでしまう。
すっかり恋人にシカトされたアカネは、さすがに声を荒らげた。
「ちょっと、無視すんな」
「あったあった、お前も見てみる?」
アカネの気分など気にもせず、ヒロシは尻を向けたまま後ろ手に手招きをする。
恋人の奇行にひとつため息をついた。しかし、それほど熱心に何を探していたのか興味が湧いたらしい。アカネもしゃがみこむと無理矢理にヒロシの横に身体を捩じ込んだ。
狭苦しい押し入れの中で、四つん這いになった男女が肩を詰めて並んでいる。
目の前には、壁に開いた穴があった。
ふたりの顔を丸い光が照らしている。
穴の奥には、部屋があった。
こざっぱりしたインテリアの部屋は、ヒロシの男くさい部屋とは大違いだ。
ふいに、穴の縁からひとりの女が現れた。
風呂上りなのだろうか?
タオルで髪を拭きながら、裸の女が部屋をうろついている。
「ほら、面白いだろう」
ヒロシは悪戯っぽく笑いながら、アカネの顔を見た。
「やめなさいよ、これ覗きじゃない」
「覗きじゃないって。覗きだけど」
「隣の人でしょ?」
「隣は空き部屋だよ。誰も住んでない」
「ウソばっかり。人がいるじゃない。家具だって……」
自分というものがありながら、まさか隣人の女を覗き見しているだなんて……一瞬「別れ」の二文字がアカネの頭をよぎった。
「あ、そろそろ変わる時間だ」
「え?」
ヒロシの声にアカネは穴の中を覗き込む。
すでに、女の姿はなかった。
部屋の様子も分からない。
ぼやけた靄のような何かが、あるだけだ。
見ているうちに、靄がはっきりとした何かの形を取りはじめた。
気がつけば、そこにはあたふたとしながらスーツに着替える見知らぬ中年の男の姿だけがあった。ヒロシの部屋よりも、もっとむさくるしく薄暗い部屋だった。
急に恐ろしくなったのか、アカネは身をよじって押し入れから抜け出した。
ヒロシは構わず、熱心に穴を覗き込んでいる。よほどこの穴にご執心らしい。
「お、おいっ、よせよ面白いところなのに」
鈍い痛みがヒロシを襲った。ふいに身体を引っ張られ、押し入れに置かれた何かに頭をぶつけた。後ろからズボンの腰を掴んだ、アカネの仕業だった。
仕方なしにしぶしぶと、ヒロシは押し入れから這い出してくる。
厳しい顔をしてアカネが正座をしていた。
向かい合わせに、ヒロシが渋い顔をして正座している。
穴の観察を邪魔されたのが、ヒロシはだいぶご不満らしい。
説教じみた声色でアカネが切り出した。
「ちゃんと説明しなさい」
まるで、子供を叱る母親のような口調だ。
「俺にもよくわからないんだ」
ヒロシはまるで、母親に叱られる子どものようだった。
「押し入れの中の穴を探すって、どういうことなの?」
押し入れに穴が開いているというだけなら、まだ話は分かる。しかし、穴を探すというのはいったいどういうことなのか。
「ああ、それか。毎回場所が変わるんだよ。こないだは、机の引き出しの中で」
奇妙な言い訳をするヒロシだが、アカネの興味は他にあった。
「いったい何が見えてるの?」
「よくわからない……今日のはたぶん、以前隣に住んでた人じゃないかと思う」
「今日のは?」
「机の中なら、この部屋が見えたり」
聞けば聞くほどに分からなくなるといった表情を、アカネは浮かべた。
「この部屋だけなの? 他の部屋からはどうなの?」
「そんなこと知るもんか。すみません、あなたのお部屋に覗き穴はありませんかなんて、聞けるか?」
「この部屋だけ特別って保証ないでしょ。今だってもしかして……」
当然の疑問だ。当然の不安だった。
ヒロシは思いもしなかったのか、きょとんとした面持ちでアカネを眺めている。
呆れる表情を浮かべて天井を仰いだアカネの姿が、固まった。
何か悪いものを見つけてしまったように、強張っている。
恋人の怪訝な様子に気づいたヒロシが、ようやく天井を見上げて――仰天した。
「マジかよ……あれ?」
天井に、穴が開いていた。
穴は一度にひとつだけ開くものだと、ヒロシは勝手に思い込んでいた。
どうやら、そうではないらしい。
こちらから覗けるのなら、他の穴からは何が見える?
暗がりの中に、ふた粒光る何かが見えた。
人の、眼だ。
ヒロシの視線と、穴の中から飛んでくる視線が、かち合った。
ヒロシは驚いた。
穴の眼の主も驚いたらしい。すうっと眼孔の光が、闇に溶けて消えた。
天井の穴は、ぽっかり開いたままだった。
「やだ……覗かれるんじゃない」
「そうみたいだな」
「なに呑気にしてるの? 昨夜の私たちだって……」
アカネは、若い男女らしい情熱的で淫らな夜の営みを思い返して、口ごもった。
同じく思い返したのか、ヒロシも感想を口にする。
「……ちょっと興奮するよなあ」
ヒロシは、ニヤリと笑った。
アカネをそっと抱き寄せる。
アカネの白い喉に唇をよせていった。
「ちょっと、ヤめてよ……あ、や、うふ……」
ばさりとふたり、倒れ込む。
天井の穴は、開いたままだった。
部屋に差し込む陽光はすでになく、窓から見える空は蒼茫として暗かった。
薄暗い部屋にヒロシとアカネは白い肌を晒したまま、仰向けとなって動かない。
見上げる天井の穴は、消えていた。
「お前、すごかったなあ」
先ほどまでの情事を思い返して、ヒロシは悦に入ってアカネに聞いた。
「…………」
見られていると思って恥ずかしいのか、覗かれて興奮した自分を認めたくないのか、アカネは黙して答えない。
「見られてると思ったら、すげえ興奮しちゃった」
アカネは何も答えない。
アカネが答えなかったのは、情事のせいではなかった。
アカネの顔には恐怖の色が刻まれていた。
「あんた、その目……」
「眼が、なんだ?」
ヒロシの眼には、両の眼があるはずの場所には、ぽっかりとふたつ、真っ黒な穴が開いていた。
ヒロシの顔を見つめるアカネの瞳の中に、人影が映った。
ヒロシの顔に開いたふたつの穴の奥で、こちら側を覗いている幾人かの人影が。
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