教科書を読むだけで泣きそうになる飛鳥さんが俺の顔を見て号泣するまであと2秒

いふの

「……ぐすっ……っう」


 隣の席の飛鳥さんは泣き虫だ。教科書の物語を読む時間になるといつも鼻をすすりだす。


 今読んでいるのはかの有名古典小説「竹取物語」。ページ数の関係で要所要所が抜粋されているし、内容も知っているので正直何も感じない。事実の確認と言ったところ。

「竹取物語」を読んで、ましてや、授業中に読むという状況で泣き出す人なんてそういないだろう。


 でも飛鳥さんにはそんなの関係ない。いつでも、どこでも、何ででも、すぐに泣いちゃうのが丘月飛鳥さんという人なのだ。



 そのことを知っているのは隣の席に座る俺だけ。飛鳥さんの“秘密”を知っているのが俺だけ、という事実に少しばかり特別味を感じてしまうのは仕方がないだろう。

 他の誰にも見せない姿を俺だけが知っているなんて――なんとも甘い響きじゃないか。


 けれど、飛鳥さんの秘密が他の人にバレないようにするのは想像以上に大変だ。

 だって、ほら。今だってこんなにも泣いている。


 飛鳥さんの教科書には涙の跡がぽつぽつと残っていて、もはや字が読めるのかすら怪しい。彼女は泣き虫であることがバレたくないらしいが、物語に没頭するあまりつい涙を隠し忘れることが多い。

 段々とすすり泣く音も大きくなってきた。そろそろ何とかしないといけないな。


「先生ー。眠くなるから読みあいっこがいいでーす」

「境、自分でゆっくり読むことも大切なことだぞ。でも……まあ5時間目の国語は眠いよな。よし、眠気覚ましに隣同士で読み合いにしよう」


 前の席のやつが「丘月さんと話したいだけだろ」とニヤつきながら言ってくるのを適当にかわして、飛鳥さんに声をかける。


「飛鳥さん、よろしく」

「……っぐす、うん、よろしく」


 飛鳥さんは長く伸ばした艶々しい髪の毛で目元を隠しながら返事をして、教室が賑やかになると思いっきり鼻をかんだ。さも俺が犯人かのように。

 素を出してくれるのは嬉しいけど、もう少し危機感を持ってもいいと思う。彼女は最悪の場合全てを俺に押し付ければいいと思っている節がある。


「もしかして、バレてた?」


 少しかすれた鼻声で恐る恐る聞かれ、ため息をつく。


「バレバレだよ。今回泣きすぎ。どこがそんなに良かったのさ」

「えぇー……だってかぐや姫が……っう、あまりにも、切なくて……」

「あーもう。はい」


 思い出し泣きをし始めた飛鳥さんを教科書で隠しながら常備しているティッシュを渡す。

 以前、泣きすぎて鼻水を垂らしそうになった飛鳥さんを見て以来予備を持ち歩くのが習慣になったのだ。


 そんな彼女の涙がようやく収まった頃、授業が終わる。


「明日から各シーンごとの考察に入るから、しっかり読み込んでおくように」


 先生がそう言い終わると同時に飛鳥さんは席を立ち、どこかへ消えていった。休み時間はだいたいこうだ。

 彼女の綺麗な見た目と控えめな振る舞いもあいまって、周りからは「ミステリアスでクールな女の子」と見られている。


 実際のところはトイレで鼻をかんだり、人気のない廊下で続きを読んでこっそり泣いていたり、時には一週間前の出来事を思い出して涙を浮かべたり……とてもクールとは言えない姿なのだが。



 で、なんで俺が飛鳥さんの秘密を守る手伝いをしているかというと。

 まあ単純に、可愛いなって思ってるからだったりする。


 二ヶ月前のあの日、俺たちの関係は少しだけ変わった。あの時の飛鳥さんの顔が忘れられない。

 誰にも見せない彼女の姿を独り占めしたいって、ちょっとだけ思っているのかもしれない。



「はぁ……」


 また、ため息が出る。どうしてこんなにうまくいかないんだろう。 今日こそは泣かないようにって、ちゃんと予習してきたのに。気がつけばまた目が潤んで、結局また境くんに助けられて……そのお礼すら言えない自分が悔しい。


「ぐすっ……」



 授業で読んだ「竹取物語」。かぐや姫は帝の優しさに気づいていたはずだ。帝に何かしらの情を抱きながらも、彼女の身分がそれを許さない。だから受け入れられず、別れの時が近づくと涙ながらに別れを告げるしかなかった。


 私も、境くんの好意には気づいている。まだ出会ったばかりなのにとても良くしてくれるし、他の子よりもくだけた話し方をしてくれる。その好意が愛情なのか友情なのか、はたまた庇護欲なのかは分からないけれど。

 そして私は境くんのことが、多分好き。だってずっと私を助けてくれて、泣き虫な私を受け入れてくれて、秘密も守ってくれるんだもん。そんなの、好きになるに決まってる。

 でもどうやってお礼を言えばいいのか分からないし、感謝を素直に伝えられない自分がもどかしい。


 私がかぐや姫のような人だったらよかったのに。凄いお嬢様で、境くんとは身分の違いがあるせいでこれ以上仲良くできない。でも卒業のときには何かすごい贈り物をして、彼に恩返しをして別れるのだ。

 それだったら、踏み出せもしない私も、助けられてばかりの私も、言い訳がつくのに。



 涙を拭いて目元を確認する。よし、大丈夫そう。一旦物語のことは忘れよう。

 席に戻りさりげなく隣を見やると、境くんと目が合った。彼が小さな声で何かを言うから、気になって少し体を傾ける。


「ティッシュ、使い切ったの?」

「あ……うん、ごめん」


 ああ、恥ずかしい。境くんからもらったものだってことも忘れて、全部使い切るほど泣いちゃったなんて。なんで私、こんなに泣き虫なんだろう。


「心配だから全部あげる」


 そう言って、彼は優しく笑いながら新しいティッシュを渡してくれる。その仕草に胸がぎゅっと締め付けられた。この瞬間、改めて思う――やっぱり好きだなって。

 私は赤くなった頬を隠しながらそっとティッシュを受け取った。

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