第五話 ハートブレイカー Heartbreaker 3 ①
凪とエコーズ氏に送られて、私たちは講堂を出た。
「すぐに帰れよ」
と凪が言った。
「鍵を先生に帰してこなくっちゃ」
私は口をとがらせた。説明されないことの不機嫌さは消えていなかった。
「そしたら先生に言っちゃおうかしら」
「好きにしな」
凪は突き放すように言った。私はむっとした。
「なんなのよ、あなたは! なんか知らないけど、ぜんぶ自分一人で背負ってるみたいな顔をして! 落ち着かないったらありゃしないわ!」
「まあまあ、委員長」
早乙女くんが私の肩をぽん、と叩いた。
「だって!」
私はムキになっていた。
だけど早乙女くんは、そんな私とは正反対に、平静そのものだった。まるで赤ん坊をあやすみたいな言い方で、私をなだめた。
「仕方ありませんよ、霧間さんには霧間さんの事情があるんですから」
妙に悟った感じの言い方だった。
「…………」
やっぱり、彼に〝余裕〟を感じる。
私が黙ると、彼は凪の方を振り向いた。
じっ、と見つめられて、凪は気まずそうに少し目をそらした。
彼はかまわず、話しかけ始めた。
「ねえ、霧間さん──僕にはわかりますよ」
彼は胸のポケットから一本のシャーペンを取り出すと、指先でもてあそびはじめた。何気ない動作だった。
「そう〝普通〟では僕らは満足できない……」
「……?」
凪は、訳知り顔の早乙女くんに不思議そうな顔を向けた。
「何のこと?」
「あなたに振られて、僕は今ではかえって良かったと思っているんですよ。なにせ、もしあなたと共に行動していたとしたら、僕はきっと彼女と出会っても、敵に回っていたでしょうからね」
彼は、ふうっ、と小さくため息をついた。
凪は眉を寄せた。
「だから、何のこと? 何を言っているの?」
彼女は戸惑っていた。彼の言葉が、妙に心に引っかかってきているみたいだった。
早乙女くんは唇の端に笑みを浮かべている。
「いや、だから、僕にとってあなたの方がもう〝普通〟の側でしか無いということですよ──」
彼は肩をすくめた。
そして次の瞬間に、電光石火で動いた。
くるっとターンしたかと思うと、後ろに立っていたエコーズの首に腕を伸ばした。
その手にはシャーペンがあった。狙い違わず、その先端がエコーズの喉に深々と突き立った。
「──!?」
エコーズはのけぞった。早乙女正美はエコーズの首筋にシャーペンを根本まで、一瞬のうちに押し込むと、凪の方に振り返った。
「今や、あなたは僕らの敵だ──」
そのとき、ふっ、と私たちの上に影が差した。
振り仰ぐと、学校の屋上から人が降ってきた。
知っている顔だった。
百合原美奈子だ。
彼女は飛び降りつつ、エコーズを見ていた。
そのまま、彼の上に落ちた──いや、襲いかかった。
「──!」
喉から血を流しているエコーズの肩から腰までを、百合原美奈子の指先が一気に切り裂いた。爪が、異常に伸びていた。
ばん! と百合原美奈子は十メートル以上の高さから落ちたというのに、まるでバッタのように再び跳ねた。
人間ではなかった。
「あ……」
私は口をぽかん、と開けているしかない。
「マ、マンティコア!」
凪が悲鳴を上げて、百合原美奈子の姿をした怪物が飛ぶのを目で追った。
それが彼女の命取りになった。
早乙女正美が、その間に彼女のすぐ前にまで近づいていたのだ。
はっ、と凪が顔を戻すのと、早乙女正美の手が上から下に走るのは同時だった。
きらり、と握られていたナイフが光った。
「──っ!」
凪が言葉にならない声を上げる寸前に、彼女の首筋は手のひらサイズのおもちゃみたいな、しかし切れ味だけは本物のサバイバルナイフによって深々と切り裂かれていた。
「殺す側と殺される側が、入れ替わってしまったけどね……」
早乙女正美が、おそらくは彼以外の誰にも理解できないであろう言葉を呟いた。
霧間凪の身体は、首から血をほとばしらせつつきりきりと回転して、そして倒れた。
「──!」
喉を貫かれ、身体を半分斬られたエコーズが、それでも凪の方を見た。彼も人間ではあり得なかった。
彼は再び襲いかかってきた百合原美奈子から跳んで逃れると、凪の元に走った。
早乙女正美が下がるのにもかまわず、彼は凪のびくびくと痙攣している身体を摑んで、跳躍した。その身体は校舎を越えて、屋上の彼方に消える。
──逃げた。
「追え! 今なら勝てる!」
早乙女正美が叫ぶと、百合原美奈子は飛び降りてきたのとは逆のコースを、再び跳んで戻っていった。
「…………」
私は絶句している。
横に立っていた田中くんが「う…」と呻いた。
「うわあああああああっ!」
悲鳴を上げて逃げ出した。
くるっ、と早乙女正美が私の方を振り向いた。
私は、全身が金縛りにあったように、動けなかった。
「ふふふ」
彼は笑った。驚いたことに、その笑顔はさっきまでこっち側の人間だったときと、まったく同じものだった。
だがたった今、この男の子はひとをひとり殺したのだ──
がくがくがく、と膝が笑っていた。歯の根が合わなかった。
「いや、本当はこっちが凪に殺されたかったんですけど、ね。まあ仕方がない。それに、これはこれで結構快感でしたよ」
彼は笑いながら言った。まるで平然としていた。
「自分でやる方も、病みつきになりそうですよ……」
ナイフを月光にきらめかせながら、ゆっくりと、こっちに歩いてくる──
●
屋上に跳びのって逃れたエコーズは、自分の身体にまるで力がこもらないことに気がついた。
今の、シャーペンによる一撃だ。きっと芯の代わりにマンティコアが合成した生命毒が仕込んであったのだ。感染してしまった。
「……!」
急いでシャーペンを喉から引き抜いた。だがもう手遅れのようだった。
手足の先が痺れてきた。強力な再成能力ですぐに塞がるはずの傷が全然治らない。
しかし、どういうことなのだ……?
あの少年は、マンティコアの味方なのか?
洗脳はされていなかった。これは絶対だ。では、なんで普通の人間が怪物と一緒に──
彼は凪をちら、と見た。
呼吸は停止し、瞳孔も開きかけていて、眼には何も写っていない。半開きの唇から一筋の血が流れ落ちている。ぴくりとも動かない。
人知れず、学園を陰から守ってきた少女の、これが末路であった。
「…………」
エコーズは彼女の蒼白の顔を、じっ、と見つめた。
(……どっちなのだ?)
彼は心の中で自問した。だがそれに答えてくれる紙木城直子はもういない。
すぐ後ろから、百合原美奈子が彼を追って跳んできた。
エコーズは再び、凪を抱えたまま屋上から飛び出した。
「逃がすか!」
マンティコアはその後をすぐさま追った。
彼女は、早乙女正美の作戦がこうも上手く行ったので、せせら笑いを頰に浮かべていた。
エコーズは逃げているが、傷ついた身体ではもはや気配を消すことすら出来まい。
本来なら不完全なコピーたる彼女などはエコーズの敵ではないはずだったが、今や優劣は逆転した。
彼女が再びエコーズをその視界に捉えたとき、ちょうど彼は霧間凪の身体を校庭の茂みに放り捨てているところだった。身軽になったつもりだろうが、今さら意味のないことだ。
マンティコアは唇の端を吊り上げながら、動きの鈍ったエコーズに突っ込んでいった。
跳び蹴りの一閃に、エコーズは吹っ飛ばされた。
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