第四話 君と星空を I Wish U Heaven 2 ①

 結局、この後で紙木城は例の一年坊主──田中志郎という名前だった──とつきあうことになる。彼女のアタックが功を奏したのだ。


「しっかし、わかんねえな。なんで先輩、あんなんが気に入ってんです?」


 おれは時々彼女に訊いた。彼女は実に気軽におれを呼び出しては「一緒に遊ばない?」と誘ったものだ。

 まあ、デートではある。映画を見たり食事をしたり、ビリヤードで互いの金を賭けて勝負したり。それ以上のことも、まあいろいろ。


「いや、彼、弓やってんよね」

「弓? 弓道、ってこと?」


 確かこのときは遊園地の観覧車の中だった。もう絵に描いたような高校生コーコーセーのおつきあいだ。


「うん。はじめて見たのが、中学ん時の彼が試合やってるトコ。知ってる? あれってなんか並んで射ち合うのよ。先に外した方が負け。それがさあ、かっこよかったのよねえ。いや試合そのものはいいトコまで行って負けちゃったんだけどさ。すごーく離れたところにある小さな的を睨みつける目つきっつーか、眼光っていうか、シビれたのよねえ。あとバシッ、と弓から矢が離れる瞬間つーのがまた」

「なんつーミーハーな……」


 正直、おれはあきれた。それでは田中本人の性格とかは全然関係ないではないか。ヤツが戸惑うのも無理はない。


「こうやって遊ぶ分には、木村キム君とかの方が楽しいんだけどね。自分で弓をやるつもりとかも全然ないし。でもなんか知らないけど、あの子は〝大したもの〟みたいな気がするのよね」

「おれは大したものじゃないっつーわけですか。ひでえな」


 おれは苦笑した。〝キム君とか〟はよかった。〝とか〟と来られちゃどうすることもできない。


「うん。たぶん、あたしと君は似たもの同士なのよ。あたしはイイカゲンだから。言っちゃなんだけど、君だってそうでしょ、木村キム君」

「それ言われると返す言葉がないですね」


 おれは、へへ、とだらしなく笑った。確かにそうだ。そうでなきゃ他に好きな男が歴然といる女とデートなんかできやしない。しかも、このころのおれは彼女のことがかなり真剣に好きになっていたのだ。それでも、ヘーキで彼女と田中ボーヤとの交際を前にしてたのだから、いい加減と言われても仕方がない。それにこの当時おれだってつきあっていたのは彼女だけじゃなかった。まさしくお互い様だ。


志郎シロ君はね、はっきり言えば気が利かないのよね」


 彼女はしみじみとため息をついた。


「わたしを傷つけまいとして、もったいぶった言い方をして、でもそういうことが余計にわたしを傷つけるってことがわかってないのよね」

「なんスか、それ? おれだってわかんねースよ、そんなんじゃ」

志郎シロ君にとってわたしは邪魔だってこと。あの子は、たぶん恋愛する必要がまだないのよね、きっと」


 彼女の言葉は、時としてひどく難解だった。

 女の子だから複雑であたりまえ、なんてのは男の楽観論でしかない。彼女の難解さは、明らかに彼女を同世代の少女たちから浮かせていた。女同士だからってわかり合ってるとは限らないのだ。おれの知ってる限りじゃ彼女の親友は当時おれと同じクラスだった霧間凪しかいなかった。彼女も、紙木城以上の変人で、それで気があっていたのだろう。正直に言うと、霧間の方が紙木城よりも美人だった。でもおれは、やっぱり紙木城の方が好ましいと未だに感じている。


「おれたちには、その必要がある、か。なるほど。なんとなく、自分だけじゃものたりないっつーか、そういう感じのことですか」

「うまいこと言うじゃない。やっぱり似てるわよ」


 彼女は口元だけで小さく笑い、そして身を乗り出してきて、おれの口にちょいと唇を重ねた。

 どうということはない。もちろんおれたちにとってはファーストキスでもなんでもなかった。


「……田中とはしてるの?」


 おれはぽつりと訊いた。


「まさか」


 彼女はニヤリと笑って、言下に否定した。

 彼女はどうも、色っぽいとか可愛らしいとか、そういう感じのないときの表情の方が全体的に魅力的だった。何故かは未だにわからない。


 ……手紙はいたずらに決まっているとは思うが、どうにも気になるので、おれはその日大学をサボって高校時代に住んでいた街にやってきた。手紙の送り主は、おそらくは街の住人であろうからだ。

 実家もあるのだが、立ち寄ることはせず、そのまま深陽学園に向かった。別に今の生徒に犯人がいるとも思わなかったのだが、なんとなく足が向いたのだった。


「あーっ、明雄じゃんか! おーい!」


 と声をかけられたのは、学校に向かう途中のバスターミナルに並んでいたときのことだった。

 振り向くと、高一と高三のとき同級生だった宮下藤花という娘がスポルディングのでかいバッグを持って立っていた。


「おう、ひさしぶり」


 おれも軽く挨拶を返した。


「なに、もう里帰り? 正月はまだ先よ」


 宮下みやしたもかわいい娘ではあるが、コナかけたことはない。そのせいかけっこう友人としてウマが合っていた。


「まあたまたまな。そういうおまえは?」

「なに言ってんのよ。あたしは浪人よ、浪人ろーにん。今日もこれから予備校の特別講習よ」

「ああ、そうだったっけ」

「そうよ。あーあ、現役ヤローは言うことが冷たいわよね」

「なんだよ、ヤケに荒れてるな。デザイナーの彼氏と喧嘩でもしてんのか」


 彼女は一年の時から、そういう進路を取った上級生とつきあっていたのだ。


「知らないわよ、あんなひと。最近誘ってもくれないし」


 宮下は口をとがらせた。


「そりゃ勉強の邪魔にならないように遠慮してんだよ」

「ちがうわよ、あいつのほうがあたしよりもっと勉強してんの。なんかの賞めざしてるとかでさ。やんなっちゃうわよ」

「ふーん」

「明雄は今は? 大学で彼女できた?」


 おれは、ちょっとだけ苦笑いした。


「うんにゃ」

「なに、まだあのときの三年生を引きずってるの?」

「三年だったのは当時だろ。今だったら彼女も二十歳過ぎだよ」

「……年を数えてんの? あんたを放り出して消えちまった女でしょ? いい加減忘れなさいよ」

「どうでもいいだろ」


 おれが投げやりに言うと、宮下は「むーっ」とした顔になり、おれの手をいきなり引っ張った。


「な、なんだよ」

「いいから、ちょっとお茶つきあいなさいよ」


 怒ったまま、彼女はおれを手近の喫茶店の〝トリスタン〟に連れ込んだ。


「予備校はいいのかよ」

「知ったこっちゃないわ。どうせ今年も落ちるもの」


 むちゃくちゃを言う。

 隅のボックス席に着くやいなや、彼女は「アメリカンふたつね!」とカウンターに怒鳴り、おれの方に向き直った。


「あんた、バカよ」

「わかってるよ」


 おれは鼻を鳴らしながら言った。


「わかってねーわよ。あんたまさか、自分がヒーローだなんて思ってないでしょうね。あの二年前の事件で」


 宮下は決めつけるように言う。変に正義感が強くて、お節介なところは昔とちっとも変わっていない。


「思ってねーよ。だいたい、あれは……」

「あんたじゃなかったんでしょ? 彼女のお相手って。誰をかばったかさえ、あんたは知らなかったんじゃないの?」

「…………」


 二年前、紙木城が失踪した後で、体育倉庫の、普段は誰も立ち入らないような奥に毛布やら枕やら小さな電池式のヒーターやらが出てきたことがあった。あきらかに学校に何者かが忍び込んで、勝手に住んでいた跡であった。浮浪者か? と最初は思われたが、そこから紙木城が持っていたアクセサリーが出てきたので(クラスメートの女子が証言したそうだ)事態は生徒の不祥事問題になった。

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