第四話 君と星空を I Wish U Heaven 1

〝紙木城直子は死んでいる。彼女のことはもう忘れろ〟


 ワープロ印字のその手紙には、それしか書いていなかった。


「……なんだあ?」


 おれは封筒を取り上げてみたが、「木村明雄様」とおれの名前と住所が書いてあるだけで差出人の名前はない。消印は、おれが高校時代にいた町の名前になっている。

 まず、かつてのクラスの奴らのいたずらかと思った。紙木城直子とのことは、ことが終わった後で連中に知れ渡ってしまったからだ。

 しかし、それにしては遅すぎる。おれが彼女の姿を最後に見てから、すでに丸二年も経っているのだ。からかうだけにしては、すこしばかり時間が経ちすぎている。

 彼女は、おれが高校二年だったときに突然失踪してしまった。

 彼女が姿を消した理由は、おれには未だにわからないままだ。誰にもわからないと思う。彼女が何を考えていたのか、そんなことのわかる奴がいてたまるものか。


 紙木城直子とおれのなれそめは、少しばかり奇妙な形であった。

 それはまだ、春の新学期が始まってからさほど経っていなかった頃のことだった。

 おれが昼休み、ぼーっと校舎の裏でひとりキャスターマイルドをふかしていると、二人の男女がやってきた。おれは木の陰にいたので、二人からはおれは見えない。

 なにやら意味ありげな沈黙とともにやってきたので、おれはもしや、と期待して身を隠しながら様子をうかがうことにした。

 しかし、二人は黙って見つめ合うでもなく、ただ立っているだけだ。

 互いにもじもじしている。


(ああ、これは)


 とおれが見当をつけたとたんに、女の方が口を開いた。


「あの……手紙、読んでくれた?」


 両手をさかんに組み合わせながら言った。

「うん……」と男の方が煮え切らない返事をした。

 今時、ずいぶんとオールドファッションなシチュエーションをやっているものだ、とおれが興味をなくしかけて顔をそむけようとしたとき、男の方がきょろきょろと辺りを見回して言った。


「あの──お一人、ですか?」

「え?」


 女の方が目をしばたいた。おれもだ。こーゆー時はたいていひとりだろう、ふつう。まあ、トモダチとつるんでくるしょーもない奴もいるだろうが。


「なんかの呼び出しじゃなかったんですね」


 男が、ほーっ、と息を吐いた。なんかってのは、つまりレディースとかそーゆーのってことか?

 そこでおれは、やっと気がついた。

 よく見りゃ男は上履きが青で、女は黄色だ。ウチの学校は学年で色違いが指定されている。おれらの年度は緑色だ。この二人、男が一年で女は三年生なのであった。


「やだ、そんなんじゃないわよ!」


 と、三年の女子は言った。先輩である、とわかったとたんに妙に大人っぽく見えてきた。しかも美人だ。おれは女には結構うるさいので、彼女がそれとなく目が大きめに見える化粧をしているのにも気がついた。生徒指導の教師にばれないナチュラルメイクだった。自分を明るく見せることに、相当に馴れた人である。

 対して、一年坊主の方は、なんかすっげーガキに思えた。童顔で、美少年系って言えばそうなんだろうが、なんか影が薄い。


「じゃあ、どういうことなんでしょう」


 ぼけっとした口調で先輩である彼女に訊く。


「だからぁ……」


 彼女は顔を赤くしてうつむいた。どういうこともなにもない、そういうことだ、とその表情が言っていた。


(うーむ……)


 しかしおれは一年坊主の気持ちはよくわかった。なんでなのか、さっぱりわからない。なんでこんな美人の三年生が、一年坊主に惚れなくてはならないのだ。これは単純に喜ぶより、怪しいと疑ってしまうのが自然だ。

 それは、今だったらおれも大学生で、知り合いにも年下の恋人のいる女は珍しくない。だが高校では決してそうではない。高校までは世の中は歴然とした封建制度で、女は学校の外でなら大学生でも中坊でも、どんな彼氏がいてもかまわないが、校内の奴とは同い年か格上の上級生でなくてはならないという不文律が歴然と存在する。


「えーと……紙木城さん」


 彼の方が困り切った声を出した。彼女の名を、おれはここでやっと知った。


「なあに?」


 紙木城は期待と不安の入り交じった眼で彼を見つめた。こういう眼に男は弱い。でも彼は目をそむけていてその眼を見なかった。


「すいません、僕には自信がありません!」


 と悲鳴のように言うと、後も見ずに走り去ってしまった。


「あ…!」


 と紙木城は一瞬だけ追いかけようとしたが、すぐに立ち止まって、肩を落とした。

 その首をすこし横に傾けて佇む後ろ姿が、なんだかひどく綺麗に見えた。

 学校の、目に見えない決まり事に抵抗する女ドンキホーテというか、そんな感じで、変に感動的だと思った。

 ところが、こっちが感動していると、彼女は急に首をぐるぐると、まるで風呂上がりのおっさんみたいに回した。


「はあぁ、やれやれだわ……」


 疲れた声で言うと、いきなりこっちを振り返った。

 隠れるのが間に合わなかった。目が合ってしまった。


「いい見せ物だったでしょ? あはは」


 彼女は笑うと、こっちにやってきた。どうやら最初からいるのはバレてたようだ。


「えと、いや、あのその。見るつもりは」


 あわてて弁解すると、彼女は手を伸ばして、こっちのポケットからキャスターマイルドを一本引き抜いた。


「もらうわよ。ったく、ヤニでも吸わないとやってらんないわよね」


 彼女は唇にタバコをくわえると、こっちに突き出してきた。おれは急いで火をつけた。


「なれてるじゃん、君」


 彼女はにやりと笑うと、煙を盛大に吐き出した。さっきとエラく態度が変わっている。

 でも横顔を見ると、ちょっぴり涙がにじんでいる。


「……本気、だったんですか」


 彼女に「まさか!」と笑わせて立ち直らせるために、おれはそんなことを言ってみた。

 でも彼女は、そこで、


「うん。本気だった」


 と素直にうなずいて、そしてうずくまってしまった。


「そう、本気だったのよねえ……」


 膝を抱えるようにして座り込んで、顔をスカートに埋めてしまった。


「どうして、好きになれる相手を選べないんだろ。そうできたらいいのに……」


 彼女の声は湿っていた。


「いや、まあ、そうだけど。でも今の奴はむしろ振ってもらってよかったような気が」


 おれは正直に言った。

 彼女は顔をあげた。アイラインが涙で少し流れてしまっている。そして唐突に言った。


「……やめて」

「え?」

「優しくしないで。惚れたら困るから」

「えええ?」


 おれがどぎまぎすると、彼女は立ち上がった。もう泣いていなかった。

 そして微笑んだ。


「冗談よ、ジョーダン。でもあなたいい人ね。名前は?」

「2のBの木村です」

「あたしは3のFの紙木城。あなた午後の授業、出たい?」

「いや、別に」


 現国と政経で、もともとサボるつもりだった。


「じゃあ、モスバでもおこるわ。慰めてくれたお礼。あたし学校から抜け出す道知ってんのよ」


 そしていたずらっぽくウインクした。

 おれたちの最初は、だいたいこんな感じで始まったのだった。

 そして、最後までだいたいこの調子だった。おれたちは〝恋愛〟とかそこまで行くことはついになかったのである。端から見たらそうは見えなかったかも知れないが、少なくとも彼女はおれには惚れてくれなかった……そう思っている。丸二年経った今でも。

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