第三話 世に永遠に生くる者なし No One Lives forever 5
「……霧間凪? 何であいつが!?」
学校の、冬場は滅多に人の来ないプールの更衣室で、百合原は正美の話に声を上げた。
「わからない。しかし何か感づいていることは確かだ」
正美が百合原に凪のことを告げたのは、凪の停学から六日後のことだった。その間、彼は罠にはめて、殺す予定だった少女たちをストーキングしていたのだ。間違いなかった。凪はその草津秋子の中学時代の友人たちに片っ端から当たっていた。今日は木下京子を襲って、二度とクスリなどに手を出さないように脅しているのを見た。
どうも、彼女はなにやら学園の陰で正義の味方みたいな事をやっているらしいのだった。
「どうしてよ! 私たちはうまくやっているわ!」
百合原はヒステリックに叫んだ。
「ああ、その通りだ。だから彼女も僕らにまでは全然届いてはいない」
と静かに言ったものの、内心では正美も危ないところだったという事を痛感していた。草津秋子の始末がもう少し遅れていたら、凪は必ずや彼女の身体の異常を悟っただろう。間一髪だった。
「やはりもう深陽学園でこれ以上はやめなくてはな。この学校の生徒が怪しいと思われたら面倒だ」
「霧間凪は殺さないの?」
百合原は正美に詰め寄った。
「……まだ何とも言えない。彼女がどこまで知っているのか、またなんで嗅ぎつけたのか、それを知る必要がある」
「殺しましょうよ! 大丈夫、証拠を残すようなヘマはしないわ。それにあいつは変人だから、消えたって誰も」
彼女たちは同じクラスにいるのだった。だから百合原も凪のことはよく見ている。
「知らないのか。彼女の今の両親はすごい資産家なんだ。それに彼女の名義で何億という銀行預金がある。失踪したら、ただの不良娘の家出じゃすまない。金が絡むと人間の世界じゃ色々な奴が手を出して来るんだ」
正美も今回のことで調べて驚かされた事実だった。
ぐ、と百合原は言葉に詰まった。
床を見つめて下唇を少しの間嚙んでいたが、やがてうつむいたまま呟いた。
「……ほんとうにそれだけ?」
「え?」
「ほんとに、それだけの理由で霧間凪を許すの? 他に理由があるんじゃないの?」
「おい、なんのことだ?」
「早乙女君──彼女のことが好きなんじゃないの」
む、と正美は眉を寄せた。
「……何でそう思う」
「違う? 当たりでしょう?」
百合原は顔を上げて彼を睨んだ。
「僕は……」
と正美が口を開きかけた、その時である。
突然、
「──なんだエコーズ、ここにいたの?」
と、更衣室のドアが開かれて少女の明るい声が響いた。
びくっ、と二人は振り返り、室内に入りかけた女子生徒と目が合った。
制服の襟線の数から見て、三年生だった。明るい感じのする少女だ。
「──あ、あら? 間違っちゃったか。ありゃー」
彼女は頭をかいた。
「……あ、あの、あなたは」
正美は〝逢瀬を見つけられて焦るふり〟をしながら言った。大丈夫、話は聞かれていないようだ。
「悪い悪い。お二人さん、どうぞごゆっくり」
照れ笑いを浮かべながら、三年生はドアから顔を引っ込めようとした。
だがその瞬間、百合原の身体が弾けるように跳んでいた。
「──しゃあっ!」
獲物に襲いかかるキングコブラの威嚇音のような息を吐いて、彼女は三年生のうなじに齧りついた。
ぶちっ、という鈍い音がした。
「お、おい!」
正美はあわてて二人の間に入ったが、時すでに遅く、三年生は延髄を嚙み砕かれて即死していた。
一瞬のことで、自分に何が起こったのかもわからなかったろう。
「どういうつもりだ! 学校内じゃもう殺すなと言ったろう!」
正美は百合原の方を振り返った。
だが、彼女の表情を見て眉を寄せた。
彼女は顔面を蒼白にして、がたがた震えているのだった。
「な、なんてこと──そんな、あいつが……あいつが……」
その口の周りについた血だけが赤い。
「おい、どうしたんだ?」
「あいつ……
「なんなんだ、そのエコーズというのは?」
「わ、私の〝オリジナル〟──先に進化しすぎた男よ……!」
彼女は自分で自分の胸をかき抱いた。それでも震えが止まらない。
「おい、落ち着け! 説明は後で聞く。今はとにかくこの死体をなんとかしないと」
正美は三年生の死体を見た。よく見ると、それは見覚えのある顔だった。
「こいつ……紙木城直子か」
彼女は凪の数少ない友人の一人だった。だから知っていたのだ。凪は中学時代に一年病気で休学しているので、紙木城とは同い年で中学時代の同級生であった。
(なんで凪の知り合いが? これは偶然だろうか。いいや、そうではない……!)
彼は、これで状況をつかんだ、と感じた。草津秋子の始末が一歩早かった幸運のように、またしても彼らが先手を打つチャンスが巡ってきたのだ。
「大丈夫だ、マンティコア。状況はこちらが有利だ」
彼は微笑みながら、震えている百合原の肩を優しく抱いた。
「……え?」
と顔を上げた彼女に、正美はうなずいてみせた。
晴れ晴れとした微笑であった。
……二人は紙木城直子の死体を、二人だけの秘密の地下に運んでいった。そこで百合原は紙木城直子の死体の上に被さって、証拠隠滅の作業を始めた。
その様子を見ながら、正美はにやにやと笑っていた。
(かならず君を生かしてみせるよ、必ずだ。そうとも、たとえ僕がどんなことになろうとも、だ……)
早乙女正美の心の中では一つのメロディーがリフレインしていた。
それは何故か、彼の好きなドアーズの曲ではなく、彼も曲名を忘れてしまった、どこかで小耳に挟んだだけの曲だった。うろ覚えなので、フレーズの始めもはっきりせずに、同じところばかりがぐるぐると回っていた。
それは奇妙な曲を得意とする、ドアーズ以上にマイナーな
不気味な題名と血腥い歌詞に似合わないポップでアップテンポな曲を、いつしか正美は小声で歌い始めていた。
「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」
永遠に生きはしない、というサビのところに届くまで、正美は笑みを浮かべ続けた。その笑いは、愛するもののために命を懸けるという晴れやかさだけでなく、なにか、どこかひどく邪な、個人的な快楽のにおいのする笑いだった。
その前では、人喰いが少女を貪っている隙間風のような音が、おぉん、おぉんと響いていた。
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