第三話 世に永遠に生くる者なし No One Lives forever 3 ②

 だが今気絶するわけにはいかなかった。

 ふふ、と少女が笑いながら彼に近づいてきた。その身体には木の葉や土がこびりついている。学校の裏手は山が深い。山を通ってきて、一番最初に出たのがこの学園であったのだろう。

 その姿は気高い野生動物のようで、他にはない奇妙な美しさと凜々しささえあった。人知を越えたものにのみ存在する、孤高のエスタブリッシュメントがあった。


「…………」


 正美はただその姿を見上げるのみだ。


「ちょうど良かった。どうせならコピーするのは女より男にしようと思っていた。おまえの姿を借りることにしよう」


 彼女は正美に手を伸ばしてきた。だがそのとたん、正美の身体から憑き物が落ちたように、彼は我に返った。


「……なんだって?」


 彼は眉をひそめた。


「……コピーする、だって?」

「そうよ。私はおまえに変わり、人間社会に溶け込んでみせるわ。誰にも見つからないようにね」

「……なんてこった」


 彼は顔をしかめた。だがそれは、自らの生命が絶たれることの絶望によるものではなかった。彼は続けてこう言ったからだ。


「それじゃあ、僕は殺されるより、生かしておいてもらった方が効率がいいじゃないか」


 忌々しげな言い方だった。

 少女も眉を寄せた。


「……なんのこと?」

「僕よりも、周囲から突出した変わり者の優等生である百合原美奈子に化けた方が、はるかにうまくいくだろう。僕だと、変わるとクラスで変に目立ってしまう……これまで中ぐらいのポジションを維持し続けてきたからな。変化は目に付く」


 心底残念そうだった。そしてそれは事実であった。

 彼は、自分を圧倒するほどのものに殺されたかったのである。霧間凪にも、彼は実は交際したかったのではなく、殺されたかったのだ。

 彼は、そういう指向サガの持ち主であった。今や彼ははっきりとそれを自覚していた。

 何故かはわからない。別に家庭環境が異常だったわけでもないし、過去に、末真和子すえまかずこが遭遇しかけたような〝幼児体験〟があるわけでもない。しかし、そうなのだった。

 強いて理由を探すならば、その彼の平凡さを殊更に装う態度が染みついた生活そのものの反作用とも言えるが、それは精神医学的にはあまりにも薄弱な説明にすぎなかった。だが彼のような間接的自殺志願者は決して珍しいものではない。


「……?」


 裸の殺戮者は、彼を不思議そうな目で見つめた。これまで、彼女を見た者すべては彼女を嫌悪し、恐怖したのに、この少年にはそんな様子が微塵もない。


「……おまえ、なんでそんなに静かなの? 暴れて、命乞いをしないの」


 と、彼女はつい訊いてしまった。


「君が好きだからさ」


 正美は正直に言った。素直な気持ちだった。


「……は?」


 少女の、啞然とする顔こそが見物だった。



「……でも早乙女君、あなたの言ったとおりだったわね。たしかにこの百合原美奈子の姿は都合がいいわ。クラスの誰とも話しもしないのに、誰も変だと思わないでいる。もとからそうだったのね、きっと」


 喫茶店の薄暗がりの中で、百合原の顔をしたマンティコア……いや、いまや百合原美奈子本人である少女は言った。かつて百合原美奈子と呼ばれていた少女の身体は、とっくに消化されてこの世から消え去っている。


「まあね、そうだと思ったよ」

「学校の授業なんて私には遊びみたいなものだし、受験勉強とやらも楽勝だわ。どんなことでも参考書を一度読めばわかるわよ」

「君は頭が人間よりはるかにいいからな」

「百合原美奈子の親でさえ私のことがわからないんだもの。腫れ物に触るみたいな感じで娘に接するのよ。人間てみんなああなの?」

「まあね。でも気をつけろよ。中には他人を自分の一部だと考えているエゴイストもいるから。うちの親なんかも半分はそのくちさ」

「ふーん。じゃあ殺す?」


 平然と百合原は言う。


「まだ早いな。もう少し経ってからだ」


 これもまた平然と正美は言う。


「そうね、慎重にいかなくっちゃね。世界を征服するまでは」


 くすくす、と彼女は笑った。


「そうとも」


 正美も笑う。

 ちょうどその時、ウエイトレスが「お待たせしました」と正美の注文したレモンティーとケーキを持ってきた。彼女は「世界をどうたら」という彼らの話を耳に挟んでいたが、ゲームか何かの話だとしか思わなかった。

 でも、なにかこのカップルをひどくいやらしいとは感じた。


(高校生ぐらいの感じなのに、なんかもう新婚夫婦みたい。べたべたしちゃってさ!)


 ついこの前彼氏と別れたばかりの彼女は伝票を少し乱暴において、去った。

 正美たちはさらに話を続けた。


「草津秋子以外にも〝スレイブ〟をつくるべきかしら」

「うん。できたら、今でもあと二、三人は欲しいな。あんまりやりすぎると目立つが……いずれもっと大掛かりにやるんだ。テストしておかなくては」


 彼らの夢は、彼らを中心として人間社会そのものを造りかえてしまうことであった。そして、それが可能な能力が百合原にはあるのだった。どんな人間にも化けられ、どんな人間も自分たちの意のままに操れる能力が。

 そのことを提案したのは正美である。彼は彼女に協力する事を提案して、そしてその力のことを聞いたとき狂喜した。

〝それは使える〟と。

 百合原も、そう言われたら出来るような気がして、乗り気になった。それまでの彼女は生き延びることばかりに夢中で、世界をどうにかすることなど思ってもいなかった。それより何より、彼女はそれまでどうしようもなく孤独だったのだ。〝実験〟のためにクローニングで造られ親も家族もなかった彼女を好きだと言ってくれたのは、一般社会では異常者に数えられるであろう早乙女正美が唯一の人間であった。


「でも、〝施設〟から追っ手が出ているはずなのよ。そいつらはどうしよう?」

「今は見つからないことを祈るだけだが、もう少しすればこっちにも戦力が出来る。そうすれば逆襲も可能だ」

「〝失敗作〟の私を〝消却〟しようとしている連中を逆に滅ぼしてやるのね」

「そうとも。なにが失敗なものか。君こそが新しい世界の王だ」


 正美は力強くうなずいた。

 彼の手に、百合原は自分の手を乗せた。


「早乙女君、あなたこそ私の王子様だわ」


 人を喰らう怪物は、うっとりとして彼女のメフィストフェレスの手の甲に指先を這わせて甘く囁いた。


「好きよ」


 ゆがんではいるが、これはまぎれもなく、恋なのだった。

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