第三話 世に永遠に生くる者なし No One Lives forever 3 ①

 五分後、さっきと同様に正美は草津秋子の身体を支えながら街の通りを歩いていた。


「う、うーん……あれ?」


 草津秋子が気絶から覚め、目を開けた。


「やだ、ここどこ?」

「なんだよ、やっと起きたな」


 正美は彼女から離れた。


「え、なに、あたし寝てたの!? やだ! 起こしてくれれば良かったのに!」


 草津秋子はあわてた。


「何度も揺さぶったよ」

「やだ、ごめん。なんでかしら。えーっと……」


 と彼女はいつから記憶がないのか考えたが、何も浮かばない。ましてや自分が本当は死んでいて、単に身体が薬物の刺激で組織反応が継続しているだけだなどと及びもつかない。


「しっかし、君って重いんだな。えらく苦労したよ」


 と正美に言われ、彼女は顔を赤くした。

 でも彼女は、何故かその言葉にそれほど傷つかなかった。

 二人は駅の前の広場で別れた。


「じゃあ、またあした学校で」

「うん。……誰にも言わないでよ、今日のこと。特に──」


 と言いかけて、彼女は言葉に詰まった。

 誰だったか、恥ずかしいところを絶対に見られてはいけないはずの男の子がいたような気がするのだが、その子の名前も顔も思い出せないのだ。


「特に、なんだい」


 正美は微笑みながら訊いた。


「う、ううん……なんでもない」


 草津秋子の恋心は記憶と一緒に消されてしまっていたのである。


「今日は楽しかったよ」


 と正美が優しく話しかけたが、彼女はなんだかすべてがどうでもいい感じがして、


「あ? ああ、そう」


 と冷たく言って、さっさと背を向けてしまった。

 なんだか心に大きな穴があいたみたいな気がしていたが、まさか自分から、今まさに意志と精神が根こそぎなくなっていく最中だとは気づく由もなかった。


「…………」


 正美は駅の中に消えていく彼女を見送っていたが、すぐにきびすを返して街の方に戻っていった。

 約束していた喫茶店〝トリスタン〟に、百合原は待っていた。奥まったボックスに座っていた。


「うまくいったでしょ」


 彼女は眼鏡をかけ、髪型をソバージュに変えて変装している。彼女の髪の毛はコントロールが可能なのだ。


「うん。もう感情が鈍くなりかけていたよ」


 正美は席に着くと、レモンティーとマロンケーキを注文した。彼は甘党だった。


「これで、あの女は自覚しないうちに仲間に、自分でもどこから手に入れたかわからない麻薬を吸わせることになる」

「夜中に、夢遊病者みたいに、自分の脳細胞で合成された液体を瓶に吐き出してね。ふふ、でもどこから手に入れたかなんて全然気にしない。脳が削られていくから、まともな判断力はもうないもの」


 二人は顔を寄せあって、くすくすと笑った。

 それは端から見れば、平和な罪のない若い恋人同士にしか見えない。

 すでに早乙女は、百合原──いや、人間の生命を喰らう怪物マンティコアに三人の少女の命を与えていた。

 彼らが出会ったのは二ヶ月前、学校が夏休みに入る寸前のことだった。

 ほとんど活動のない部活だというので正美は茶道部に入っている。将来のことを考えると、高校時代に部活動をしていないと言うのは、大学受験や就職の際の面接試験でマイナスになると思ったからだ。そこに百合原美奈子も所属していたのである。彼女も正美と同じ口で、ただでさえ少ない活動日にも全く出席しようとはしなかった。

 それまで晴れていたのに、夏の気まぐれで急に夕立が降ってきた日のことだった。その日も正美は部活に出る気はなく帰ろうとしていたのだが、傘がないのでしかたなく、


「しばらく部室で時間をつぶすか……」


 と、下駄箱から校内に引き返した。

 茶道部は専用の部室というのはなく、生徒指導なんかにも使われる作法室を借りている。学園に和室はそこしかないからだ。顧問の教師は、なんと副教頭の小宮教諭で、そのため業務に忙しくてこれもまるで姿を見せない。

 その日も、部室はしんと静まり返り、彼以外の生徒の気配はなかった。

 作法室の端っこには、茶道部出席帳というのが置いてあって、そこに名前を書くだけで部活に参加していることになる。正規の活動日に出なくても、これで部活に出ている扱いになり、除名されるとかいうことはない。

 正美は出席帳を開いた。まず日付を書き、それから名前を書こうとした。

 だが、日付を書いてから、その前に同じ日付の表記がされていることに気づいた。出席者がいるのだ。

 百合原美奈子だった。


「……?」


 トイレにしても、カバンもないのは不自然だった。彼は、それまで百合原美奈子に興味は全然なかった。学校でも評判の才媛で、おまけに美人であったが、彼はどうでもいいとしか思っていなかった。だいたい、彼には人の顔の美醜というものがぴんとこないのだ。

 彼は中学時代にすでに性的経験をすませていたが、その相手は顔中ニキビだらけでクラスでもブスと言われていた女子だった。もちろん皆には内緒の交際だったが、それは知られると色色うるさいからで、別に恥ずかしかったわけではない。一般に醜いとされている子とつきあうこと自体は何とも思わなかった。その子は彼とつきあいだしてからニキビも消えて見る見る綺麗になり、そのうち別のボーイフレンドができて彼とは別れた。しかし彼はもとより彼女が好きでも何でもなく、ただ欲望の捌け口に使っていただけだったので、未練も何もなかった。かえって「別れましょう」と言い出した彼女の方が「ごめんなさい」と泣き出す始末だった。

 その彼女の名前も、もう正美は覚えていない。そんな彼であるから、百合原美奈子の顔も良く覚えていない。ただ成績がやたらにいい女、ということは覚えていた。


「先輩、いるんですか?」


 彼は下履きを脱いで、靴下はだしで作法室の畳の上に上がった。

 二つにわけられた部屋の、障子を開け放つ。もっともそっちは座布団だのテーブルだのが置いてある倉庫であったが。


「……!」


 開けた瞬間、彼の眉が寄った。

 倉庫の中で、百合原美奈子は座布団の山にめり込むようにして逆立ちし、そしてその首が胴体の方に向いていた。頭が上下逆さまの向きになっていた。頸骨は折れて、脊髄は分断されてしまっているだろう。両眼がうつろに開いている。

 動かない。気配もない。

 死んでいた。


「…………」


 正美がとっさに思ったことは、出席帳に名前まで書いていなくて良かった、ということだった。こんなトラブルに巻き込まれるのはごめんだった。

 一歩後ずさった。

 それが彼の命を救った。

 顔のすぐ前を、ちっ、と鋭い爪を持つ手がかすめていった。

 潜んでいた殺戮者が、彼を襲ったのだった。


(──なにっ!?)


 彼は上を見た。

 裸の少女が一人、板張りの天井の隅に手足をつっぱらかしてへばりついていた。女だと思ったのは、その股間に男性器がなかったからだが、彼は後で、そこには何もついていないことを知ることになる。

 少女は、にい、と笑った。


「見たな」


 囁いた。


「見られたからには、生かしてはおかぬ」


 ほとんどふざけているような声だった。そのすぐ下に死体さえ転がっていなかったなら、完全に冗談の科白であった。


「…………」


 正美は絶句していた。

 ぽかん、と彼女を見上げて動かなかった。

 もしも彼が女の子で、あの噂を知る立場にあったら、きっとこう思ったろう。

〝ブギーポップだ〟と。

 少女は風のように迫って、気がついたときには正美の身体は彼女の蹴りによって作法室の反対側にぶっとばされていた。


「──がっ!」


 正美はしたたかに背中を壁に打ち付けて、危うく意識を失うところだった。


「う、うう……」

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