第三話 世に永遠に生くる者なし No One Lives forever 1

 深陽学園一年D組の早乙女正美は十五歳にして、はじめての恋をした。彼はそれまで他人に決して心を開かず、ただの〝いいひと〟であり続けていただけだったので、このことは彼の人生にとって大きな転換点となった。



「早乙女君、今度の日曜日ヒマ?」


 同じクラスの草津秋子がそう言って話しかけてきたのは、二学期が始まったばかりで、掃除当番で放課後に残っていた時のことである。


「別に予定はないけど」

「じゃあさ、佐知子が映画のタダ券があるからみんなで行かないか、って言うんだけど」


 色黒で、やや頰骨の出た顔の彼女はうかがうような目で正美を見つめてきた。


「みんなって?」


 正美は箒を杖がわりにしてもたれかかって、彼女の目の高さにまで頭を下げた。彼は長身だった。そして顔はアイドルの誰それに似ていると言われるほど愛嬌がある。しかし、それは人によってまちまちで、誰か特定のに似ているとは、決して言われない。


「知ってるかなあ、F組の坂本君。あのひと佐知子にちょっかい出してて、それで誘われたけど、一人じゃ心細いって」

「それで風紀委員の調停役が必要ってわけかい。でも僕は坂本は知ってるから、あいつの邪魔はしたくないね」

「いや、そーゆーわけじゃ……あるかもね」


 草津秋子は彼に気弱な微笑みをみせた。他の者には結構気が強い彼女がはっきりと文句を言えないのは、正美のことが好きだからだ。そして正美もそのことを感づいていて、内心でうっとうしがっていた。これまでは。

 だが、今日は逆に微笑み返してやった。


「でもつき合うだけならいいよ。どうせヒマだし。指導教師の見回りにぶつかったときの言い訳ぐらいならしてやるさ」


 草津秋子の顔がぱっと輝いた。


「そう? うん、べつに佐知子だって、内心じゃ坂本君に誘われて嬉しがってるのよ。かばうとかしなくたってカンケーないと思うわ」

「どうでもいいさ」


 二人は笑った。決して器量好しとは言えない草津秋子も、整った顔の正美の横で笑うと、まるでドラマの場面みたいに映えた。

 四人で駅前にデートした彼らは、傍目にはとても仲が良さそうに見えた。途中で彼らは正美の委員会の先輩である竹田啓司とたまたま出会ったりしたが、その時の様子を見て竹田啓司は「グループ交際かよ」と発言し、明らかに男女交際のニュアンスを彼らに見ていた。

 映画は毒にも薬にもならないハリウッドの大物アクションスターがやってるシリーズ物のパート3で、正美が唯一感心したのは、端役の悪人が胸を撃ち抜かれてもんどり打つシーンだけだった。両腕をつっぱらかして後ろに吹っ飛ばされる様は、まるでアイススケートでバックしているように正美には見え、とても自由そうで軽やかだと思った。

 映画館から出て、通りを歩いている彼らの横を、なにやら殺気だった十代の少年少女たちが通り過ぎていった。みんな妙に固い顔をして、やたら足早である。持っているバッグは例外なく角張った物で膨れている。


「あれ、予備校生よね」


 このデートの発案者である野口佐知子が言った。


「なんかやだなあ、あたしらも再来年はああなっちゃうのかねえ」

「そうね」


 草津秋子はうなずいた。しかし正美は、彼女がいつか何かの拍子で自分は進学できないんだ、と漏らしていたことを思い出した。父親の会社が倒産寸前らしい。


「まだまだ先の話だよ。いまはそんなことは考えずに楽しくやろうぜ」


 野口佐知子を口説こうと必死の坂本清がとりなすように言った。


「そうとも、どうとでもなるさ、人生なんて。どうせ永久に生きるわけでもないんだし」


 正美も屈託なく言った。


「あ、見て。あれウチの学校の百合原よ」


 と野口佐知子が指さしたのは、学校で評判の秀才、二年D組の百合原美奈子ゆりはらみなこだった。

 予備校の二年の部の模試で、並み居る進学校の猛者たちを相手取り連続トップを取ったという伝説を持っている。そのくせ外見は全然ガリ勉タイプではなく、眼鏡さえしていない。長いさらさらのストレートヘアは、念入りにトリートメントしなくては得られない輝きを放っていて、細面の顔つきと相俟って、まるで平安時代の姫君のようでさえある。

 ひそひそと囁く彼らの横を、百合原美奈子は他の者たちよりもやや遅いゆったりとしたペースで通り過ぎて、予備校の方に姿を消した。


「……なんか、ヨユー、って感じ。天才のオーラ出しちゃってるわよね」

「知ってるか? あの女、進学校からスカウトされたんだぜ」


 訳知り顔で坂本が言った。


「噓ォ! そんなのあんの?」


 きゃあきゃあ騒ぐ彼らは、とても先輩の話をしているようには見えなかった。

 この間、正美は一人微笑みながら黙っていた。さっきも百合原美奈子の方を見ようともしなかった。

〝外では目を合わせないように〟というのが、彼と彼女が約束したことの一つだったからだ。


「ね、カラオケ行こ! いろいろ入れてる店が近くにあんのよ」


 草津秋子が明るく言った。彼女は憧れだった正美と一緒で浮かれていた。

 カラオケボックスでは正美は、最近流行りの、しかしもうピークは過ぎて皆が飽きかけた無難なポップスをもっぱら歌った。だいたい彼はカラオケではそういう歌しか歌わない。彼が好きなアーティストはドアーズという、ヴォーカルが麻薬中毒で死んで、とっくの昔に(彼が生まれる前に)解散したアメリカのバンドだったが、そんな趣味があるなどとは誰にも気づかせなかった。カラオケによってはマイナーなドアーズの歌が入っていることもあったのだが、素振りも見せなかった。

 彼の歌はうまかった。でもなにせ皆が飽きかけている歌ばかりなのでそれほど盛り上がることもない。

 そのかわり他の人の時はせいぜい手拍子を打ち、場を取り繕うことは怠らない。決して突出せず、多少あなどられても妬まれることはなく、距離を置いていることを誰にも悟らせない。

 彼はドリンクを皆におごった。運んできた店員の手から彼が自ら受け取り、そしてみんなに配った。

 草津秋子の手にも渡した。渡す前に、直径五ミリほどの小さな錠剤をカップに落としたのを見た者は誰もいなかった。錠剤は百合原美奈子が〝合成〟した物で、彼女の言うとおりにそれは速やかにダイエットコークに溶け込み、草津秋子に存在を気づかれることはなかった。

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