第二話 炎の魔女、帰る The Return of the Fire Witch 4
翌日、停学のあけた凪は学校に登校してきた。
でも京子は彼女を避け、彼女の方も昨日あんなに迫ったわたしたちのことなど眼中にないかのように、見事に一時限目から机につっぷして、ずーっと居眠りしっぱなしだ。先生たちも、腫れ物にでもさわるようで、全然注意しようとしない。
彼女が一度、休み時間にトイレに立ったとき、わたしは京子たちの目を盗んでこっそりと後を追って、声をかけた。
「あ、あの、霧間さん──」
「ああ?」
でも振り返った彼女は、ぽーっとしていた。眠気がとれないらしい。
「ああ、あんたか。悪いけどさ、オレ今日徹夜なんで、今のうちに寝とかなきゃならないんだよ、話ならあとでね」
と言って、さっさとトイレをすませ、席に戻ってまた寝てしまった。
「…………」
わたしは、昨日のことのモヤモヤを彼女と話したかったのに、やっぱりこうしてはぐらかされてしまった。
昨夜、凪は自分をわたしの家の夕食に招待させた。
その理由というのは、
「あんたのウチは、前例から娘が遅くなると過剰に心配するだろう。オレと会ってたことにすればいい。両親が旅行中だから、つい誘っちゃったとかなんとか言って」
というものだった。そのとおりだったので、わたしも素直に従った。
血のつながってない弟さんの「また来てくださいね」という見送りとともに、わたしたちが谷口家から外に出たら、もう空は真っ暗で、太陽はそのかけらさえ残してはいなかった。
わたしが歩き出すと、凪は黙って、わたしの後をついてくる。
沈黙に耐えきれず、わたしはいらぬことを言った。
「でもさ、霧間さん。あの、すこしはおとなしくしてよ」
「大丈夫。あまり不良には見えないようにするから。その気になれば私だって、フツーの女の子の言葉づかいぐらいはできるよ」
無理矢理に唇の端を吊り上げるその顔はだいぶあやしげだったが、まあ、もとが綺麗なので、それほどヘンではない。
「うん、まあ、それなら」
わたしも笑った。でも彼女に訊きたいのは、本当はそんなことじゃなかった。
もじもじしていると、彼女が口を開いた。
「あんたって、頭のいい子だよね」
「そ、そうかしら」
一番の成績で入学試験をパスし、学年トップを追試でとったことのある人にそう言われるのは複雑な気持ちだった。
「うん、そう思う。だから説明したけどさ、わかってるよな」
「うん、誰にも言わないわ」
そのつもりだった。第一、誰も本気には取らないだろう。
彼女は首を振った。
「いや、そうじゃなくって、霧間誠一だよ」
「え? なんのこと」
「あんたが勉強に使ってた霧間誠一は、娘がこんなバカやるようなヤツだってことだよ。だから、もうあんまし深入りすんなよ」
肩をすくめながら言う。
「…………」
わたしは、ちょっと立ち止まって、彼女を見つめた。
「どうしてそういうことを言うの」
「どうして、って──五年前の事件は、あんたとは関係がない。あんまり根に持つなよ。たたられる──つまり、そのために性格がゆがむぞ。オレみたいにさ」
「どうして?」
「どうしてって……」
凪は少し苛立った顔になった。
「あんた、オレみたいになりたいのかよ」
私を睨むその目は〝炎の魔女〟の顔だった。でもわたしはひるまなかった。もう怖くはない。まっすぐにその目を見つめ返した。
「どうしてあなた、わたしが五年前に殺されかけていたことを知っているの? それこそ、誰にも言ってなかったのよ」
言われて、凪ははっとなった。しまった、という顔になった。
「ああ、それは……えーと」
「あなたはクラスのみんなとろくに話もしたことがないから、てっきり殺人博士のわたしの過去は有名になってると思ってたんだろうけど、そんなこと誰も知らないのよ。わたしと、家族と、警察の人をのぞけばね。さもなければ──事件に関わっていた人だけよ」
「…………」
「そうなのね?」
「…………」
「じゃあ、やっぱり、あなただったのね。わたしを助けてくれたのは」
犯人は自殺した、ということになっている。でもそれは間違いだったのだ。
彼女が倒してくれたのだ。京子たちを助けたように。
「……どうでもいいだろ、そんなことは」
彼女は不機嫌そうな顔になった。
「どうして? わたしには、とっても大切なことだわ。わたし、ずっと思ってた。自分が生きてるのは何でなんだろうって。犯人が勝手に死んじゃったことで生きてるなんて、全然気持ちよくなかったわ。それはきっと、悪いことが自滅するの待つことでしか良いことが起きないって考えるのがたまらなかったからだわ。それじゃあ、わたしたちは何かを良くすることなんか何にもできないってことと同じだもの──」
そう──
そうなのだ。
正義は必ず最後に勝つのかも知れないが、普通の人間のわたしたちは別に最後まで生きていられるわけではないのだ。その前に殺人鬼の気まぐれで殺されてしまうかも知れないのだ。
でも、それでも、そういうことと戦っている人がいるというのは励みになる。そういう人に助けてもらったと思うのは、これは犯人の自滅で生き長らえていると思うよりも、よっぽど生きる活力を与えてくれる……。
でも凪は冷たく言った。
「アレはオレじゃなかった」
「噓よ」
「あれはブギーポップがやった。結局のところ」
わたしは、急に噂話の、架空のキャラクターの名前が唐突に出てきたので、大いに戸惑った。
「──へ?」
きょとんとする私に、
「しかしどーでもいいことだよ。あんたは別に、何ひとつ責任を負う理由なんかねーんだ」
と、凪はぶっきらぼうに言った。その口調から、さっきのは冗談だったのだということがわかった。はぐらかされたのだ。
「でも、わたしは──」
「もうその話はやめだ。頼むから」
彼女はすこし下唇を嚙んでいた。
それでわたしは、肝心要の言葉をとうとう言えずに、そのまま二人で歩くしかなかった。
──三時限目の授業が始まって、まだ凪は寝たままだ。
わたしは、彼女の丸まった背中をぼーっと見つめていた。
とても孤独で、寂しそうに見えた。
(霧間さん、わたしは、ただあなたにお礼が言いたかったのよ。助けてくれてありがとう、って……だって、命の恩人に何もお返しができない世の中なんて間違ってるわ、そうでしょう?)
わたしは、心の中で彼女に話しかけた。でも、それで彼女がなんと答えてくれるのか、わたしには悲しいことに見当もつかなかった。
彼女が、机の上で身体をすこしくねらせ、「うううん」と唸った。
するとそれまで我慢していた先生がとうとう切れてしまって、大声を張り上げた。
「こら霧間ァ!!」
凪は、ぼんやりとした顔のまま身体を起こした。
「……なんスか、センセ」
「いま説明してたところを言ってみろ! いや式を証明しろ!」
先生はばんばんと黒板を叩いた。おせじにも先生の字はきれいとは言えず、しかもこすったのであちこち掠れている。常に授業と首っ引きでノートしていないと判読は不可能だった。
「…………」
凪は目を細めて黒板を見ていたが、いきなり、
「a<b, ab>cで、cが有理数のとき、x=24, y=17/3, z=7で成立する」
と言って、そのまんままた机の上にずるずるとへたりこんだ。
先生は真っ赤な顔をしている。正解らしい。
わたしたちはくすくすと笑い、そして凪は全然変わらず、また寝入ってしまった。
わたしたちのいつもの授業風景だ。
この彼女の不敵な行動もあるいは、彼女の次なるなにかとたたかう準備であるかも知れない。
傍目には、ただの傍若無人だけれども……。
彼女はまたもぞもぞと動いた。
「ううん……」
漏らす吐息は、妙に女の子っぽい感じがして、わたしは小さく、ぷっ、と吹き出した。
このようにして、炎の魔女は停学から、わたしたちの学校に帰ってきたのだった。
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