第二話 炎の魔女、帰る The Return of the Fire Witch 3 ②

「あの、霧間さんは一人暮らしって聞いていて、それで」

「ええ。僕は半年前に来たんですよ。春までは両親と一緒に外国にいまして。来年高校受験なんで、一足先に日本に」

「ご両親……」


 凪にも、ちゃんとした親がいたのか。でも谷口という違う姓なのはなんでだろう。

 そのとき、玄関が開いて「ただいま」という声が聞こえた。凪だ。


「ああ、おかえり」


 弟さんは迎えに立った。


「あんた、また女の子連れこんでんの」


 凪の声がした。弟さんは笑った。


「凪にだよ。さっきから待ってたんだよ」


 やってきた凪を見て、わたしは危うく声を上げそうになった。

 着替えていて、制服を着ていたのだ。まるで学校帰りの格好だった。


「ああ、あんたか」


 声の出ないわたしに、凪は静かに言った。


「上に行こう」


 わたしは彼女に導かれるまま、二階の彼女の部屋にあがった。

 下とはうって変わって、本だのパソコンだのが並んでいるだけの殺風景な部屋だった。ベッドが一つに、机が二つもある。ひとつが勉強机で、この上は閑散としている。もうひとつがパソコンを使う机だ。パソコンの方には、なにやらいろいろな箱みたいなものや機械がごちゃごちゃとつないである。そしてモニターが三つもある。最初テレビかと思ったけど、どれもパソコンだ。いろんな機械が床の上にまではみ出して、十畳はある部屋が半分以下の狭さになっていた。

 女の子の部屋と言うより、なんか研究所とか、そんな感じだった。もちろん噂の黒魔術とかそんな本は一冊もない。みんな参考書ばかりだ。あとハードカバーの難しそうな本も多い。しかしパソコンのデータソフトの方が本よりさらにたくさんあった。

 凪は勉強机の方の椅子を引っぱり出して、わたしに勧めた。


「ほら」

「どうも」


 わたしは素直に座った。


「おどろいたろ」


 凪がいたずらっぽく笑った。


「え?」

「正樹がいて。独りで住んでると思ってたろう」

「う、うん。弟さんがいたのね。びっくりしちゃった」

「弟じゃない。血はつながってない」


 凪はかぶりを振った。


「彼はオレの母さんの再婚相手の連れ子。いい子だけど、どうもオレのあしらい方がうまくて、将来女誑しになりそうな気がする。やれやれ」

「ああ、それで谷口……」

「うん、母さんの旦那の姓。オレだけ旧姓のまま」

「へえ、どうして?」

「ファザーコンプレックスなんだよ、オレは」


 凪は冗談とも本気ともつかない口調で言った。


「おとうさん?」

「おや、あんたなら知ってるかと思ったんたが。霧間誠一、って本をたくさん出してるヤツで……」


 凪の言葉の途中で、わたしは、


「えええっ!?」


 と大声を上げていた。


「噓!」

「なにが噓だよ」

「だって──あの作家の霧間誠一なの!?」


 知らないはずはない。わたしは、その作家の本でさんざん犯罪心理だとか深層心理だとかを勉強したのだ。『心の中の叫び─多重人格について』とか『人が人を殺すとき』『殺戮者は気が変わる』『退屈する悪夢』『〝知らない〟の増殖』『VSバーサスイマジネーター』とかの本だ。小説よりも概説書とかエッセイ風の論文の方が多いという人で、実際わたしは小説の方は全然読んでいない。時代遅れの啓蒙主義者を自負して、とにかく本を書きまくった一種のカリスマ的な作家であった。


「そうだよ。アレがオレの親父だ。死んでるけどね」

「うん、それは知ってるわ……でも、ほんとなの? いやだわ、ほんとにほんと?」

「だから噓ついてどうすんだよ」

「そうだけど……だって、そんな」

「オレのこと変な名字だと思わなかったのか?」

「ぜんぜん、考えもしなかったわ……いやだ。なんでかしら?」


 言いながらも、わたしはその理由というのを何となく悟っていた。それは霧間誠一とか、そういった作家とかいう人は自分の周りになんかいるわけないという無意識の思いこみだ。そして、そういうすごい人は自分とはまるで次元の違う世界に住んでいるはずだという願望によるものだろう。


「まあとにかく、オレはその遺産で食ってるわけだ。学校の学費込みでね」

「え? お母さんは──」

「籍が入ってなかったんで、遺産は全部オレのものになった。ま、半分はお袋が自分で放棄したんだけど。その時はもう谷口だったから、霧間と関わるのがヤだったんだろう。おかげで、相続税でごっそり持ってかれたよ。この家には下宿してるつもり」

「…………」


 普通の中流家庭の両親のいるわたしには、もう実感できない話だった。たしかに、炎の魔女はまともな環境にはいない。

 でも、でもそれでも、彼女にどうしても訊かなくてはならないことがあった。


「あのね、その」

「なに。……ああ、〝理由〟か」

「ええ。……なんで京子を助けたの?」

「おやおや、アレをよく〝助けた〟とわかったね」


 凪は苦笑した。


「京子から話を聞いたわ。怪しげな麻薬にハマってた、って。それから、彼女たちを助けてくれたんでしょう?」

「さてね、どうかな」

「どうしてなの? どこで知ったの? なんであんなことを?」


 わたしは急き込むように訊いた。


「…………」


 凪はわたしの目を見つめ返した。

 わたしはどきっ、とした。彼女は、やっぱり綺麗だった。なにか「実は魔法を使ったんだ」とでも言いそうに感じさえした。


「親父は、オレが十歳の時に死んだ」


 彼女は唐突に話し始めた。


「う、うん」


 わたしが曖昧にあいづちを打つと、聞いているのかいないのか、とにかく彼女はまた話し出した。


「死ぬ寸前は母さんももう側にはいなくて、家ん中はオレとあいつだけだった。あいつは酒も女もやらないヤツだったが、代わりに仕事しかしないヤツだった。ある日、学校から帰ってくると、あいつが倒れていた。オレはあわてて救急車を呼んだ。助けが来るまで、オレは口から血を吐いてたあいつの相手をした。あいつは言った。

〝凪、普通ということをどう思う?〟と。

 オレはワケがわかんなかった。だから首を振った。そしたらあいつは言った。

〝普通というのは、そのまま放っておいたらずーっとそのままだということだ。だからそれが嫌なら、どこかで普通でなくならなければならない。だから、俺は──〟

 結局、それが遺言になった。意識を失って、二度と目覚めなかった。死因は胃穿孔による内臓溶解──ゲロゲロな死に様だ。医者が腹を開けたとき、凄まじい臭いがして馴れてるはずの看護婦が吐いちまったって噂されてたよ。

 だから何だっつーと、よくわかんねー。でもそれ以来、オレはフツーに生きるのをやめたんだ」


 彼女は淡々と喋った。

 わたしが言葉なく黙っていると、彼女は、


「メサイア・コンプレックスだよ」


 と、唐突に言った。


「……そうなの?」


 わたしは、顔つきだけなら物静かな美人さんに見える彼女の、少し薄めの唇を見つめた。目を見ることは、なんとなくできなかった。


「ああ。オレは病気なんだろうよ。幼児体験も充分だしな」


 怖いことを、平気な顔をして言う。

 でもわたしには、彼女が偏執狂には見えなかった。


「……でも、それは」


 と言いかけたわたしを遮るように、凪は自分の後ろの机に向き直り、パソコンを起動させて文字画面を呼び出し、キーボードを叩いた。

 ずらずらと、何かのリストが出てきた。次から次へと下からロールしていく。人の名前みたいだった。その後に数字が続く。


「──あったぞ」


 彼女は指を止め、わたしに画面を示した。

 そこには "2-B-33 末真和子 am8 : 25-pm3 : 40" とあった。


「これって……!」


 それはわたしの登下校記録なのだった。

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