第二話 炎の魔女、帰る The Return of the Fire Witch 2 ①
「ねえ末真。人殺しってさ、どんなことを考えているの?」
ある秋も深まってきた日、学校からの帰り道で京子が急に訊いてきた。
「なあに、どうして?」
わたしたちは二人で、川の土手沿いの道を歩いていた。わたしたちのグループで徒歩通学をしているのは京子とわたしだけなので、帰りはいつも一緒だ。うちの高校は、ほとんどの生徒はバス通学で、徒歩の生徒は少ない。この通学路にも、今歩いてるのはわたしたちだけだった。
「うん、いや、別に」
京子は口ごもった。
「こないだから、そんなことばかり訊いてくるわね。なんかあるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
でもこんなことを言われて、なんにもないはずはない。
「なによ、言いなさいよ」
「……あのさ」
京子は低い声で囁く。
「うん」
「いま、停学になってるでしょう」
「は? ああ、霧間さんのこと?」
彼女は二週間前に校内でタバコを見つけられたとかで停学になっている。でも、明日には出てくるはずだ。
「彼女って……ほんとに人殺しだと思う?」
「ええ?」
わたしは耳を疑った。いくら浮いているとは言え凪はクラスメートである。それを殺人者呼ばわりはないだろう。
「何の話よ?」
「ほら、いつかそんなこと言ってたじゃない。お弁当食べてるときに」
わたしはだいぶ以前の昼休みにそんなことを言っていたことなど、とっくに忘れていたのでとまどった。
「えーっ、そうだっけ。言ったかも知れないけど……」
「ねえ、ほんとにそうかしら?」
でも京子は妙に真剣な目でわたしを見つめてくる。
「いや、言ったとしても、ソレはたとえでさ」
わたしはあわてて言った。でも京子の顔は変わらない。
「あのひと、なんか怖いのよ」
「うーん、まあ親しみやすそう、ではないけど」
「あたしの知り合いで、霧間凪になんかされたらしい人がいるの。彼女、すっかり人が変わっちゃって……」
声が震えている。真剣だった。ふざけているのではない。
「なんかって……なにを?」
「脅されたみたいなの」
「カツアゲ?」
京子は首を振った。
「ううん、お金じゃないのよ。あのひと、お金持ちだし」
「まあ、マンションに一人住まいだもんね。じゃあ、なにを」
「…………」
京子は黙り込んでしまった。
わたしは、こういうときにみんなが言うように、秘密は守るわよ、と念を押してみた。
それでも黙っている。それで訊いてみる。
「あのさ、それって霧間さんが停学になっているのと関係があるの?」
「……わからないわ」
「わからない?」
「なんか、そのためにワザと停学になったみたいな感じがするし……」
京子は意味不明のことを言った。
そういえば、凪が停学になったのは、表向きは学校でタバコをくわえていた、というものである。喫っていた、でないところが妙だ。
しかし場所が場所だった。なんと職員専用トイレだったのである。見つからない方がどうかしている。女の先生が見つけたものの、凪にじろりと睨み返され、怖がって男の先生を呼びつけたりして騒ぎが大きくなってしまったのである。
彼女は口答えをしなかったらしい。そのかわり謝りもしなかった。
彼女はいつもそうなのだ。
先生に注意されても、すいませんとかごめんなさいとか絶対に言わない。
一度など、授業中によそ見をしていたと叱られたときに、先生に向かって一言、
「冗長だからだ」
ときっぱり言ったことがある。これで成績がいいのだから、先生は始末に困っている。
そして、時々さぼる。
それも午後はフケる、とかいうんじゃなくて丸一日、全然出てこないのだ。それが三日間も続いたりする。そのくせ登校してくると、その間にやってたはずの授業の内容を全部フォローしていて、先生に当てられても、何でもすらすら答えてしまう。
学校に来ない間なにをしているのか、誰も知らないし、訊いてみる勇気のある者もいない。
不思議な人であり、たしかにちょっと怖くて、それでいつのまにかつけられた綽名が例の〝炎の魔女〟なのだった。一説だと〝カルラ舞う〟みたく黒魔術が使えるんじゃないかとか、まことしやかに囁かれている。
でも、それにしても、いくらなんでもわざと停学になるなんて考えにくい。停学だと内申書にばっちり載ってしまうのだ。
「考え過ぎじゃないの?」
わたしは京子にそう言ってみたが、彼女は答えない。
ひとり宙を見つめて、ぶつぶつと呟く。
「……私、殺されちゃうかもしれない」
さすがに聞き捨てならなかった。
「なんで? どういうことよ?」
そのとき、京子の体がびくっ、と痙攣した。そして凍りついた。
「ひ……!」
わたしも彼女の視線を追って、前を見る。
少し離れた路上に、一人の少女がいた。河原に座っていたのが、わたしたちの接近に立ち上がったのだ。
古着なのか、やたらに掠れた厚手の革のジャケットを着て、下もこれまた厚手の革のパンツをはいている。バイクに乗るためのものなのか、肘や膝には何やら金属製のガードが付いている。少しウエーブのかかった髪をバンダナでしばって留めていて、その下から垂れた前髪の間よりのぞく両眼は凜々しいと言うより、鋭い。
こっちを──いや京子を睨みつけている。
「木下京子、待っていたぞ──」
男言葉は彼女の特徴だ。
そこに立っていたのは、停学中のはずの霧間凪その人だった。
「わ、わわっ!」
京子は悲鳴を上げた。
そして私を凪に突き飛ばすようにして、後ろに逃げ出した。
わたしはよろけて、こっちに向かって走ってくる凪にぶつかりそうになった。
でも凪はわたしなど目もくれず、すばやく身をかわすと、京子を追って駆けていった。
「ま、待ちなさい!」
わたしもあわてて、二人を追いかけた。でも凪の足は速かった。見ると、履いている靴はやけに大きく、黒い。最初はゴム長靴かと思ったくらいだった。でも違った。それは工事現場などで使われている安全靴というやつなのだった。何トンという重さがかかってもつぶれないという特殊なヤツだ。人に蹴りつけたら、凶器になる代物である。
どう考えてもファッションではない。チーマーなんかのエアスニーカーとはまるっきり次元が違っている。
背負っているバッグも、ベルトでしっかり体に固定されていて揺れない。まるで……。
(……まるで、人を襲うための装備みたいじゃないの!?)
普通の女子高生のする格好ではなかった。もちろん、
これではまるで……
「た、助けて!」
京子が悲鳴を上げた。ところがそのとき凪が、
「助けを呼ぶと、警察沙汰になるぞ!」
と怒鳴ったのである。
すると、京子は黙ってしまった。一瞬立ち止まってしまう。
その隙に凪は京子に追いつき、容赦なく後ろからタックルした。二人は転がりながら、川の土手に滑り落ちていった。
わたしが息を切らせながら追いつくと、凪は京子の腕を逆さにねじあげていた。よくわからないが、たぶん柔術とか拳法とかでいうところの〝極め〟が入っているみたいだった。京子はぜんぜん動けない。もちろん、こんな格闘技まがいのことは学校で習ったことなどない。
「痛い痛い痛い! やめてえ!」
「どうする、このままへし折るか? そしたら再成するにしても時間がかかるぞ、マンティコア!」
凪は訳のわからないことを言っている。
「やめてぇ! もうしない、もうしないから!」
京子の叫びは悲痛だった。
「やめてよ! 霧間さん!」
わたしは彼女に飛びついた。
でも、彼女はわたしを蹴り飛ばした。
なおも、京子に話しかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます